■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/08/08/mh092996.html 



北京:女性教師の程建華さんが受けた迫害

(明慧日本)2008年7月12日、北京市大興区の第五中学校の教師・程建華さんは、帰宅途中に待ち伏せしていた「610弁公室」の警官らに連行された。程さんは2年6ヶ月の不法な労働教養を科され、8月16日に北京労働教養所に移送される途中、警官に手かせや足かせをはめられそうになったが、抵抗した。そのため、3人の警官は程さんを車から引きずり降ろして殴打し、程さんの後頭部は負傷し、前歯が一本折れ、顔面には複数のあざができていた。悪辣な警官は「おまえを殴り、外傷を負わせようと、内傷を負わせようと、病院に行って検査しても負傷した結果は出てこないのだ! どの医者も真実を言えるわけがない!」と怒鳴り散らしていた。

 労働教養所に到着して間もなく、2人の警官は程さんを再び暴行した。そして数日後、程さんは遼寧省馬三家労働教養所に移され迫害され続けた。警官らは迫害の事実を暴露されないように厳しく監視している。

 修士課程を卒業した程さんは今年で40歳となり、黒龍江省牡丹江の出身で、以前は中国の東北部のある中学校で化学を教えていた。およそ10年前に北京大興区の第五中学校が優秀な人材を確保するため、全国に応募したとき程さんは応募に合格し第五中学の教師になった。程さんは1995年から法輪功を修煉し始め、「真・善・忍」に基づいて更なる善い人になることを目指していた。

 1999年7.20、中共(中国共産党)は法輪功に対し全面的な迫害を展開し始めた。程さんは法輪功の修煉を堅持していたため迫害の対象となり、強制的に洗脳施設(大興区魏善鎮にある4階建ての白いビルのことで、周囲は人気が無い)閉じ込められ、残酷な迫害を受けていた。程さんが洗脳施設から無事に出られたとき、夫に離婚を突き付けられた。程さんは離婚した後、放浪生活を強いられた。

 それから約2年後、程さんがやっと正常な生活を取り戻したところ、悪辣な警官は再び程さんを連行し、借家にあったパソコンなどの物品を持ち去られた。北京労働教養所で2年の迫害を受けさせられ、手足を手錠でベッドに固定し、トイレも行かせてもらえず、ガマンと寒さで程さんは激しい腹痛に苦しんだ。悪辣な警官は強制的に程さんを「転向」させようとしたため、程さんは10日間の断食で抵抗した。体が衰弱していた程さんは手かせや足かせを付けられたまま警察病院に入れられ、数歩歩いたところ足首の皮が剥げていた。病院の地下室に入れられ、昼夜も分からなくなっていた。そこで、看護士に昼夜の判別方法を尋ねると、看護士は「私たちが来ているときは昼で、来ないときは夜だ」と言った。酷いことに寝るときも片手は手錠でベッドに固定し、足かせをかけたままで寝なければならなかった。

 程さんは北京女子労働教養所でも残酷な迫害を受けてきた。電撃されたり、手錠をかけたまま吊し上げられたり、灌食されたり、酷暑の中で日差しに晒されたり、真冬の寒いときに冷水を頭から掛けられたり、長時間殴打されたり、背中から腎臓の位置に目掛けて殴るなどの迫害を受け、幾度も意識を失い昏睡状態に陥ったこともあった。

 労働教養の期限が満了しても、元の学校で教鞭を取ることを許されず、教師の資格を剥奪された。監視をつけられ、教育委員会の建物の清掃などを強制的にやらされていた。

 2998年7月12日、オリンピックを前にして、程さんは中共に再び連行され労働教養所に拘禁された。2008年8月20日前後、数人の法輪功修煉者が秘密裏に連行され、遼寧省馬三家労働教養所に送られ、残酷に迫害された。

 程さんへの迫害を直接指示していたのは北京大興区の「610弁公室」の李廣林、北京大兴区警察の冦欣栄の2人である。

 
2009年8月8日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/7/27/205371.html

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