■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/08/08/mh095011.html 



正念を持って刑務所から釈放された体験

(明慧日本)この前私は当地の「610弁公室」、国家安全局の警官に強制連行され、一部の個人財産を押収されました。警官は「お前は今回絶対に裁判沙汰になるぞ! 少なくとも4年から6年の判決を下してやる!」と叫びました。しかし、師父の慈悲なるご加護の下で、私は大法を堅く信じ、旧勢力の按排を徹底的に否定し、邪悪のすべての強要に従わず、家族や全世界の同修の協力と救援により、1カ月身柄を拘禁された後に釈放されました。

 同修の勧めで、今回正念を持って釈放された体験を書き、皆さんと交流したいと思います。今回刑務所から早く帰ることができたのは、師父や大法が何でも出来ること、全体となった大法弟子は強大な力を持っていること、修煉者として、内に向けて探し、師や法を信じることができれば旧勢力の按排を否定できることを裏付けました。

 最近、法の勉強や法を暗記することをしっかりやっており、同修の経験や教訓を学ぶことも重視して、いつも『明慧週刊』を読んでいますので、何かに遭ったら必ず内に探して、旧勢力の按排を否定する法理についての認識がはっきりしています。したがって、警官が家に侵入して強制連行したその時に、私はすぐに迫害を否定し、警官の要求や命令に協力しませんでした。警察署に着いて、写真を撮ることや、指紋を取ること、尿検査などすべてに協力せず、旧勢力の按排を否定し、師父が按排してくださった道だけを歩むようにしました。

 同時に、すぐに内に向けて探し、「一体どこに問題があるのか、どこが自分は良く出来ず邪悪に隙につけ込まれたのか」と反省しました。結局、私は次のようなことに気づきました。この前、私は大法の仕事に夢中になり、多くの仕事を引き寄せたあげく、様々な人心、例えば、やること自体に執着する心や、焦る心、自我に執着する心などがふくらんで、学法と発正念を緩めました。有名人になろうという執着心が生まれたからこそ邪悪に隙につけ込まれました。また、自分の修煉の決意や意志が不足しており、師や大法を十分に信じていないことにも気づきました。私は大法の要求から遠すぎたのです。

  しかし、後悔しても遅いのですが、問題は、今どうすればいいでしょうか。「自分の一念を正し、良くない考えが出たらすぐに見分けて掴みとり、解体する」と、私は密かに決心しました。例えば、家族はすでに正義感のある弁護士を雇いました。私はその弁護士に会った後、頭の中でこう計画しました。「法廷で、裁判官と現場の人々に大法弟子の風采を見せるために、私は必ずこのように行動する等など」 しかし、私はすぐにこのような計画が間違っていると気づきました。なぜなら、このように計画すれば、自分は法廷に行くことを認めることに等しいからです。これは間違いなく旧勢力の按排です。私は絶対法廷に行かないで、ここを出なければなりません! 社会で法を実証し、衆生を救い済度することこそ師父が按排してくださった道です。法廷に行くこと自体は旧勢力の迫害であり、私は認めるわけにはいきません。

 私は『転法輪』を暗唱し始めました。法を暗唱する過程で、自身の不正な物が解体していくことをいつも感じていました。そして、刑務所で何か起こったら、私は見た限りで、必ず内に向けて探しました。「なぜ私に見せたのか。私の修煉に何か関わりがあるのか。修煉者が出遭うことは絶対に偶然ではない」 こうして、私は常に自分の隠れた人心を見つける事ができました。普段は毎日忙しく法を実証する仕事をするばかりで、落ち着いて自分を見る(反省する)時間がなかったのです。現在、ここに連行されたからには、落ち着いて自分の不足を見て、修煉状態を調整しようと思いました。

 私は時間を切り詰めて法を暗唱し、内に探し、発正念と煉功をし、刑務所にいた期間私は『転法輪』を3回暗唱しました。次のような一念が私はずっとはっきりしていました。即ち、大法の資料や、資料を作る設備などはすべて私が衆生を救い済度し、邪悪を解体する道具です。当局がこれらの物を証拠として没収し私を迫害してはなりません! 従って、警官の審問に対して、どんなに脅されても、どんな甘言を弄されても、いくら圧力をかけられても、私は落ち着いて協力せず、口を開かず、結局、警察はメモに何も書くことができず、毎回の審問を早々に終えたのです。師や法を信じることができれば、旧勢力の按排を徹底的に否定することができます。最後になって、邪悪は「証拠不足」として、やむを得ず私を釈放しました。

 師父のご加護の下で、私は釈放されましたが、損失はやはり大きく、私の地域の資料の供給に影響を与え、同修の時間や力を引っ張り、衆生を救い済度することに損失を与えました。

 有名人になろうとするその顕示心はとても人を害するのです。数年来、私が何度も迫害された根本的な原因は、この心がもたらしたのです。この文を書いた目的は、同じ状況にある同修と体験を交流するためです。我々がいくらよいことをしたとしても、それは師父がくださった智恵によるもので、師父のご加護のお陰であり、師父が我々にくださった威徳を樹立するチャンスです。自分が如何にも大した人間であると絶対に考えてはなりません。大法の前に、我々個人はきわめて小さいものなのです。

  2009年8月8日


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/8/4/205848.html

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