王玉さんが、瀋陽龍山労働教養所と馬三家労働教養所で受けた迫害
(明慧日本)2004年の初め、瀋陽市云峰警察署が法輪功修煉者・王玉さんを強制連行し、いかなる手続きもないまま龍山労働教養所二大隊に拘禁した。王さんは断食をして、迫害に抗議したが、強制的に灌食(流動物を鼻から管を通して流し込む拷問刑のこと)を受けた。数カ月後、王さんは転向に従わなかったので、二大隊の警官が強制的に工場で労働をさせた。労働教養所にいた一部の法輪功修煉者と交流し、自分たちは無罪で、犯人ではない。刑務所の規則に従う必要はなく、労働する必要もないと考え、強制労働を拒否し始めた。
5月7日、強制労働を拒否し、偽物を作る作業をしない法輪功修煉者・王玉さん、劉金枝さん、孫燕さん、金科桂さん、梁素傑さん、高蓉蓉さんなどがそれぞれオフェスに呼び出され、暖房設備のパイプに手錠をかけられて殴打された。その日、高蓉蓉さんは警官にオフェスに呼ばれた後ずっと寝室に戻ってこなかった。彼女はどの程度殴られたかは定かではない。
5月12日、警官は唐亞琦さん、王玉さん、楊春華さん、傅艷玲さんを張士洗脳班に移送した。4人の法輪功修煉者は正念がとても強いため、転向に失敗した。長い間経過してから、皆は高蓉蓉さんが、唐玉宝、姜兆華らに電気ショックを6時間も与えられて、顔にひど損傷を負ったことが分かった。
8月、王玉さんと、唐亞琦さん、白華さん、蘇ウェイカンさんなど数人の同修は、再度、断食して迫害に抗議した。王玉さんの家族は北京へ陳情に行かざるを得ず、何とかして陳情の手紙を訪問局に渡した。その後、龍山労働教養所が解体し、すべて不法に拘禁されていた法輪功修煉者は悪名高い馬三家労働教養所に移送された。
王玉さんは馬三家労働教養所二大隊に移送され、独房に拘禁された。馬三家労働教養所に拘禁されて間もなく、司法部門の人が、高蓉蓉さんが電気ショックを与えられて損傷を負った事件を調査しにきた。高蓉蓉さんが残酷に虐待された事件が海外で暴露されたことで、中国共産党当局はとても緊張し、脅えている。王玉さんは龍山労働教養所の警官に殴打され、電気ショックを与えられた過程を詳しく説明した。王玉さんは司法部門の人に「将来、人を殴打した警官をどう処理するかを被害者に教えますか?」と質問した、司法部門の人は「必ずではない」と答えた。
当時、王玉さんは迫害されて、身体がとても弱っていた。また、長時間断食をして迫害に抗議したため、彼女は習慣的に嘔吐するようになった。その上、いわゆる「学習」に参加させられた。王玉さんは転向を拒否し、奴隷のように働かせられたことに抗議したため法輪功修煉者と一緒に拘禁されている。遼寧省の冬はとても寒く、部屋には暖房がなく、ある法輪功修煉者は足に霜焼けができ、腫れあがった。ある時煉功したため、王さんは警官に倉庫の椅子に一日中手錠をかけられて、手が冷えきってしまい、赤く腫れあがった。
ある日、王玉さんと、錦州のある同修と一緒に「法輪大法は素晴らしい!」と叫んだため、警官に独房に入れられた。独房の中ではいつもほかの独房から「法輪大法は素晴らしい!」と、声が聞こえてくる。警官は、法輪功修煉者がお互いに呼応することを恐れて、ラジオの音量を最大にし、妨害をした。独房での食事は特製のごはんと野菜、ウオトウ(トウモロコシなどの粉で作ったパンのようなもの)、つけ物。トイレも制限され、一日に2回しか行けない。時間が分からない、警官に聞いても答えてくれない。なぜなら、法輪功修煉者が発正念するのを恐れているからだ。長い間独房に拘禁されているために、栄養失調になり、煉功できないので、王玉さんの体調はますます悪化し、髪の毛が大量に抜け落ちた。
2005年の年末、不法に拘禁される法輪功修煉者がますます少なくなったため、大隊全体が新しく構成した。もともと大法を堅守する人を専門に対処する人は他の所に移動され、警官がその代りになった。
2006年1月の中旬、王玉さんはもう一度断食をし、迫害に抗議し続けた。旧正月の2日、王玉さんの身体は極端に衰弱し、急性腎不全と、糖尿病に罹った。このとき、馬三家労働教養所はやむを得ず王さんを釈放した。
2009年8月11日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/8/2/205747.html)
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