■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/08/11/mh123268.html 



真相を伝えた言葉の影響

文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)人を救い済度する効果を達成させ、法輪大法が社会における威徳を樹立するには、私達の本格的な行動が必要になります。長い間、一部の同修が真相を伝える中の言動を見て、気になることがあり、ここで述べたいと思います。

 例えばお守りについてですが、お守りに神、仏の画像を使って良いかの質問に対して、かつて師父は「良くない」と私達に教えられたのですが、まだそれを使っている同修がいます。常人はお守りを仏教の中の神と思って供養するならば、「主客転倒」になるのではありませんか。「真・善・忍」は返本帰心が根本なので、大法を認めることこそはじめて未来に残ることができるのです。お守り自体は真相に等しいわけではなく、一つのお守りだけで真相を伝え、人を救い済度する役割を果たせるわけでもありません。

  例えば一部の修煉者は「真相メッセージ」と「真相が書かれた紙幣」に「法輪大法が良くて、真心を持って常に念じると命が助かる、災害がなく皆喜ぶだろう」、若しくは「常に『法輪大法は素晴らしい』と念じると、無病息災で健康が保証される」を書いています。しかし、常人はいつどんな病気に罹るか、いつどんな災難に遭うかは、予想し難いものです。今の人間、業力はとても大きいからです。 

 それでは、常人は「法輪大法は素晴らしい」をよく念じるなら無病息災になり、借りたものを返済しなくて済むのですか。いかなる難でも師父に消去してもらうのですか。いかなる病気も師父に耐えてもらうのですか(もちろん、同修は本当にこのように思っているのではないと思います。しかし、言葉にはこのようなニュアンスが漂っています)。たとえ修煉者でも、師父が慈悲で消去してくださった部分以外、また私たち自身によって耐えないといけないものですから。

  「転法輪」の中にはこのようなことを話されています。ある修煉者は、人生の中で脳卒中に罹ることが決められています。脳卒中が現れた時、師父は彼のためにたくさん消去したため、その難はほとんど小さくなったのです。しかし、彼は法輪功を修煉したために脳卒中に罹ったと愚痴を言っていました。 

 考えてみてください。常人が「真相メッセージ」と「真相が書かれた紙幣」に書かれた内容を受け入れたとして、師父は彼(彼女)の一部の業力を消しても、彼(彼女)に一切の病気と災害が無くなるとは限りませんね。いずれにせよ、借りたものは返さないといけません。一方、この人が病気か災難に遭った時、「脳卒中」の人のように、かえって大法を責めるかもしれません。私もしくは他の同修に説得されてすでに「三退」した人の中に、常に「法輪大法は素晴らしい」を念じてもよく病気に罹る人もいます。「三退」の意思を言ってくれて1時間後にお金を取られた人もいます。幸いに、私は彼に業力について教えることができたのです。お金をなくしたことで、一つとても大きな災難が消去されたかもしれないので、これはとても良い事ですよ。俗に言うと「財をなくして災難を免れる」ことです、と彼に教えました。

 真相を伝える時、私は時々同修が書いたストーリー、「神はなぜこの世に苦難が存在することを許すのか?」を引用します。

 旅をしている二人の天使が裕福な家庭に泊まることになった。この家族は天使たちに対して好意的ではなく、しかも彼らを快適な客室に泊めさせず、氷のように冷たい地下室の隅に寝かせた。彼らが床を敷く時、少し年を取った天使は壁に一つの穴があるのを見て、それを修繕した。若い天使がなぜかと聞くと、少し年を取った天使は答えた「ある事の一部分は表面に現れた現象とは異なる」と。

 次の日、二人はとても貧乏な農家に泊まることになった。夫婦は彼らにとても親切で、少しだけ残っている食べ物を取り出し心を込めて彼らをもてなした。また自分の床を二人の天使に譲ってくれた。翌朝、二人の天使は夫婦が泣いているのを目にした。彼らの生活の唯一の頼りである乳牛が死んでしまったのである。若い天使はとても怒りを覚えて、少し年を取った天使にどうしてこうなるのかと聞いた。最初の家庭は本当に豊かに生活していたが、老天使は彼らのために壁の穴を修繕してあげた。次の家庭は大変貧乏だったのに、心を込めて彼らはもてなしてくれた。しかし、老天使は乳牛の死ぬことを止めなかった。

 「ある事の一部分は表面にあらわれた現象とは異なる」、老天使は答えた。「私たちが地下室に泊まった時、私は壁の穴から壁の中に金塊があるのを見た。ご主人は貪欲に惑わされ、彼の財産を人と分け合おうとしなかったため、壁の穴を修繕して塞いだ。昨夜、死に神が奥さんを呼びに来たので、そこで私は乳牛を彼女の代わりにした。ある事の一部分は表面に現れた現象とは異なるのです」 

 ここで言ったのは大きな災難が小さい災難に変えられたことです。常人は自分に当たる災難の大きさを知らないため、福を得たとしてもまだ愚痴をこぼしています。

 私は、常人に「無病息災」の言葉を与えるのは絶対的な間違いだと思います。常人には業力が付いているので、業力があれば病気か災難は免れません。業力がない生き物は神になり得るのではありませんか。

 一方、修煉者が言葉遣いの面で「絶対的」なことを言わないように注意しなければならないと思います。かつて、私はある中学生に「三退」を勧めた時、「永遠に幸せになれ」とか言いました。その晩、師父は夢の中で私に悟らせました。我々が言い出した言葉は彼をその状態に固める力があり、業を消せなくなるのは、彼にとってよい事ではありません。実は、日常生活の所々でも絶対的な話し方をしないように、注意しなければならないのです。私達が自分のいる次元の真相しか知らないため、口を慎まなければいけません。これは修煉の中の必須事項です。

 実は、大法は人間の病気を追い払ったり、困難を解決したりするためのものではなく、ただこの特殊な時期に衆生を救い済度するため、誠心を持って「法輪大法は素晴らしい」を念じる人に、師父は本当に病気を消して福を与えたのです。彼はこんな邪悪な環境においても一言「法輪大法は素晴らしい」と言えるから、彼は当初、絶大な勇気を持って人間世界に降りて来たのです。

 常人に、「法輪大法は素晴らしい」を念じることを勧めるのは、こうして彼が淘汰されずに未来に入れるためです。私はよくこのように人々に教えます。「法輪大法は素晴らしい」を念じて福報になります。念じて病気が治ったのは、良い人になろうとして現れた効果なのです。良くなろうと思わない人に効果がありません。「真・善・忍」に随って行ったららどれだけ良いものを得られるか。良い人こそ良いことに報われます。周りの人に必ず「真・善・忍は素晴らしい、法輪大法は素晴らしい」を教えてください。財産が山ほどあっても未来を保証されることができず、「真・善・忍は素晴らしい、法輪大法は素晴らしい」を信じることで未来が保証されます。このようにして、世の道徳の堕落を止めるには効果があります。「真相メッセージ」と「真相が書かれた紙幣」に、こう書いたらどうでしょうか。「誠心を持って『法輪大法は素晴らしい』を念じると、幸福な未来がある。天に守られ災いが転じて福となす、遭難しても吉祥が現れる」など。いずれにせよ、言い過ぎにならないように、絶対的なことを言わないように注意すべきだと思います。 

 常人に「人の気持ちをよく理解できる」という言葉があります。私達は常人の執着に沿うまで人を救い済度するのは、本当に多大な苦心です。ここで誰の出来が悪いのかを議論したいわけではなく、救い済度の効果を良くさせるために、皆に真相を伝えた言葉の影響まで配慮してほしいのです。 

 個人の体得に過ぎなくて、謹んで同修と交流したいと思います。

 2009年8月11日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/7/21/204748.html

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