■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/08/13/mh144210.html 



法輪功修煉者・解運歓さんは9年間も迫害され衰弱、危篤状態に陥る(写真)

(明慧日本)2009年7月27日朝、法輪功修煉者・解運歓さんの家族は黒龍江牡丹江監獄で彼に面会した。3時間の面会中、警官らは不気味な雰囲気を漂わせ、裏に3人、表に2人の警官でずっと監視を続けた。なかには名札を付けていない警官もいた。警官らは耳にイヤホンを付けて検閲し、(通話用の)スイッチをコントロールして面会がいつでも中止される可能性があった。外にも巡回の警官らが多くおり、面会の家族の持ち物は全部管理されていた。

解運歓さんが帰国した時(2000年2月1日より)
不法に拘禁された解運歓さん

 家族が解運歓さんの衣服を開けたら、彼の全身は傷だらけで指の腫れや膨らみができ、腰の傷が痕となり、腹に一本一本の傷跡が残り、腕に吸殻でできた焼き痕と腰に残った痕は重傷であった。

 解運歓さんは「四肢が麻痺して、下半身にもう感覚がなくなった」と訴えた。痩せこけた彼の姿に、家族は食べ物を用意するよう要求したが、警官から食堂の使用が中止になったと言われた。しかし、他の受刑者と家族が使っていると訴えたら、警官は口を閉じて知らないふりをした。

 牡丹江監獄の610弁公室の主任・路顕明は裏で操作して、家族の月に一回の面会要求に言い訳を付けて許可を与えなかった。そして、家族は黒龍江省監獄管理局の獄政処(?所)に理不尽な情況を訴えて面会を求めた結果、最後にやっと許可が下りた。

 現在、解運歓さんの家族は、治療のための「一時出所」を求めている。

 解運歓さん(男性、1975年5月9日)は、黒龍江省鴨東県出身で、1999年4月日本へ留学した。1999年7月20日、中国共産党の元首席・江沢民政権の下で法輪功とその学習者に対して大規模な弾圧が始まって、多くの法輪功修煉者が逮捕され、労働教養や不法な判決などが加えられた。2000年2月に日本の留学生活が1年も経っていなかった解運歓さんは、中国国内の法輪功に対する迫害情況に憂いを感じ、法輪功の陳情で帰国した。しかし、その後共産党に逮捕されて10年間の禁錮刑を言い渡された。

 2001年3月12日解運歓さんは、北京国家安全局に北京団河労働教養所へ送られた。そこで洗脳を行われ、眠らされず、暴行と精神上の虐待を加えられた。2001年7月末、黒龍江省鴨西市第一看守所へ移送され、42日間眠ることを許されなかった。ちょっと目が閉じたら電撃棒(バトンスタンガン)で打たれ、固形の食物を与えられず、食事は、ただスープ一杯しかなかった。

 2002年8月末、鴨西市の鴨冠区裁判所では解運歓さんに対して不法な裁判を行った。不法裁判において、中国憲法や法律は無視して、証人、弁護士や家族にも知らせないで、勝手に10年の禁錮刑を言い渡した上、上訴の権利も奪い取られた。

 解運歓さんの兄は解運華さん(日本の名前・博林光弘)で日本に居住している。静岡県藤枝市で働く会社員で、海外からずっと弟の迫害を訴え続け、救出を呼びかけている。2009年5月6日、東京外国人記者クラブで行われた「迫害を停止し家族を取り戻す」というテーマでの記者会見において、解運華さんの発言によって、4番目の弟(解運歓さん)は中国の牡丹江監獄で不法に拘禁されていることがわかった。2001年から現在まで精神上の虐待と洗脳、肉体上の酷刑などで迫害され続けたので、小さい頃から体の弱い解運歓さんは危篤状態に陥った。

 解運華さん:「19999年7月から迫害が始まった中国では、弟のように不法判決によって禁錮刑を受けた修煉者は1千万人以上いる。私たちのように迫害され家族がばらばらになった家庭は数え切れない。我が家が受けた迫害の実態は、中共が法輪功を迫害する事例の氷山の一角に過ぎない。証明され、確定したものだけでも、すでに3000名以上の法輪功修煉者が迫害で死亡した。法輪功修煉者に対する中国共産党の残酷な迫害は共産党の邪悪な本質によるものだ」

 2009年8月13日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/8/1/205698.html

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