湖北省:郭正培さんが生前に受けた迫害
(明慧日本)湖北省漢川市の法輪功修煉者・郭正培さん(48)は1999年「7.20」から、何度も共産党による残酷な迫害を加えられ、2009年4月25日にこの世を去った。
修煉前の郭さんは漢川市新河鎮(漢川市経済開発区に変更)の紅星管理区の元副書記であった。1996年、法輪功に出会って修煉を始め、それまで患っていた胆嚢炎、前立腺炎、肝硬変等の多くの病気がいつの間にか良くなった。かつて病気が重くなった時、6カ月もの療養休暇をとったという。修煉者の一人になった郭さんは「真・善・忍」に基づいて自分を厳しく律し、意識的にしていた不正行為なども正した。管轄地域で仕事をした後、食事をした時も食費をきちんと納め、また自費で損壊した道路を補修した。
1999年7.20から江沢民集団の法輪功への大規模な弾圧が始まった。法輪功修煉者・郭さんも1999年12月10日、紅星管理区で不法に連行され、その後、漢川市第一留置場に半年余り拘禁された。事件当日、郭さんの家は新河派出所の警官・胡咬青や周治発らに侵入され、家宅捜索された。悪辣な警官はいつも真夜中に来ては家族に嫌がらせをした。
2000年、郭さんは上司の高銀学や何柏林、原新河派出所所長・李双合により軟禁され、精神的な虐待や嫌がらせをされていたが、12月21日、毅然として法輪功の真相を伝えるために北京へ向かった。途中、郭さんと同修の丁継梅さんは連行され、高銀学と派出所の陳松想らから平手打ちや鞭で打たれるなどの暴行を振るわれた上、数人に代わる代わる殴られた。2人の鼻や口から出血した。
その後、郭さんは3年の刑を言い渡されると同時に公職を解雇され、沙洋范家台刑務所へ移送され、迫害された。そこでは、もうもうと埃が立ち込める高温のレンガ窯での重労働を命じられ、両手は火傷して化膿し、血の水泡ができた。一度、郭さんは独房に隔離され、5、6人の受刑者らに集団で暴行を加えられたこともあった。
漢川市公安局の夏偉と沙洋范家台刑務所の連携により、信仰を放棄させようと企み、郭さんを漢川市へ移送して迫害を加えた。ほかの修煉者が郭さんの服を開いて見て、全身に酷い傷跡が残っており、とても見ていられない状態だったという。
釈放された後、家に戻った郭さんは膝から下の感覚がずっとなかった。また、あまりにも大きなショックを受けたため、家族が迫害の様子を聞いても、話したがらず、あの痛ましい記憶から逃れようとした。
2004年2月18日、郭さんが新河達利の食品工場で仕事中、警官・李樹山らに連行された。そして、不法な1年の判決で沙洋労働教養所に拘禁され、さらにまた残酷な迫害を加えられることになった。
そこでは、4昼夜、眠らされず、目を閉じると暴行を加えられた。昼の炎天下で直立の姿勢を強制され、また臀部の一部しか支えられない小さい椅子に長時間座らされ、ほとんどの人の皮膚がひどく傷ついた。
郭さんもほかの修煉者も奴隷のような重労働を強制され、落花生の畑での作業中、動きを止めたり、腰を伸ばしたりすることも許されなかった。冬、警官・魏鵬、朱ホウ清らの命令を受けた受刑者・魏志祥、李健雄、夏らは修煉者を風通しの強い場所へ押し付けて、目を刺激する植物をむかせた。
当時寒くて、郭さんは高熱が出ても休むことはできず、激しい咳が続き、血を吐き、起き上がれなくなった。やっと病院へ送られ検査の結果、両側の肺結核、胸膜炎、胸水の貯留と診断された。郭さんは病院で注射されたが、どんな薬物かは不明である。
危篤状態に陥った郭さんに対し、教養所側は責任回避を企み、服役中の一時出所の手続きをして帰宅させた。しかし、すでに病気は重く、日に日に衰弱しつつあった郭正培さんは2009年4月25日、帰らぬ人となった。
(注:法輪功修煉者を迫害する主な責任者の情報、中国語ページを参照)
2009年8月16日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/8/13/206423.html)
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