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自分を実証する心を捨て去る


文/山東大法弟子

(明慧日本)自分を実証する心には顕示心、歓喜心、嫉妬心などの人心が含まれています。これは真の自分ではなく、私欲を満足させるため形成された執着です。修煉者はこの心に動かされたら、「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』)を忘れます。又、人を救うチャンスを失い、互いの協調性にも影響があり、人が嘘偽りになる可能性もあります。とにかく悪いところが一杯あります。大法弟子として、自分を実証する心を捨て去ってこそ、法を実証する事ができます。

 最近、私には何回か自分を実証する心が生じて、大法の中でこの心を認識し、捨て去りました。

 この前、私は当地の邪悪を暴露する資料を作りました。師父の加持の下で、集める事が難しい資料も同修たちは容易に見つけました。私も資料を作る中で智慧が絶えず湧いてきて、仕事に夢中でした。その時周りの同修から私が仕事自体に執着していると言われましたが、私は別に気にせずそれに対して考えませんでした。

 資料を完成した後、急いで同修に渡し、早めにチラシを作って配布しようとしました。しかし同修はぐずぐずしていました。私はこのプロジェクトが邪悪を暴露し、世の中の人を救う中で働く作用が大きいので、同修にチェックをしてもらって、できるだけ早く配布してもらった方がいいと思って、再び同修に連絡しました。同修は、「私は最近忙しく、学法が少なくて、色々な面で足りない」と話しました。私は落ち着いて自分を探しました。自分で容易に気付かない仕事自体に執着する心を見つけ、大法の仕事をするという理由で自分を実証する心を覆い隠しました。

 私は師父の一段落の法を思い出して、心中は穏やかになりました。「大法弟子は常人の世間での修煉の中、法理に対するはっきりとした認識を持っています。つまり、常人の得失に執着しないことです。法を実証することにおいて、どうしても自分の意見を出さなければならず、私がどうしてもこうしたいああしたいと思い、それで始めて宇宙で威徳を樹立することができる、というようなことではありません。あなたに良い方法があり、それを考え出したので、あなたは法に対して確かに責任を持っています。しかし、あなたの意見、方法が採用されるかどうかは重要ではありません」 「あなたの方法が役立ったのを見て次元を上げるのではなく、あなたがこの問題に対する認識を高めたのを見て次元を上げるのです。これが即ち正法の理です」(『2002年米国フィラデルフィア法会での説法』)

 「私はあなたのために考えませんでした。私が気付かなかった執着が見つかるようにしてくれてありがとうございます。きっと良く修めて、捨て去ります」と同修に話しました。その後、資料は速やかにチラシになって衆生を救うことに用いられました。しかし、やはり私の人心のせいで、数日間は引き延ばされました。

 自分の能力を顕示しようとし、同修に認めてもらいたく、褒めてもらいたいのはすべて自分を実証する心です。実は、この時の修煉者は常人と同じ次元で、神に見下げられ、少しの威徳もありません。

 大法弟子の一切は師父が下さり按配されたのです。目的は、師に従って法を実証し、衆生を救うためです。もし使命をやり遂げなければ、責任を負わなければならず懲罰を受けなければなりません。まるで三国志の中で首を斬られた馬謖のようにです。

 私はパソコンについて習ったことはありませんが、大法のことをする時パソコンで阻まれたことはありませんでした。分からない部分は自然に大脳の中に現れ、或いはちょうど他の人が私に教えてくれて自然に出来るようになりました。私の心理状態が純粋ではない時、どんなに頭を使っても出来ませんでした。本当に「心性の高さは功の高さ、これは絶対の真理です」(『転法輪』)

 ある小型法会の中で、一人の同修は「この前のあなたの発言はとてもすばらしかったと他の同修から聞きましたが、私に教えてほしい」と話しました。この話を聞いて一喝されたようでした。同修は自分が修煉上の鏡であり、私に顕示心理、歓喜心などがなければ、こんな話を聞かされないでしょう。私は恥ずかしい思いで当時の感想を話しました。同時に同修にぜひこんなに私をおだてないで欲しいと話しました。大法弟子も人が修煉しているもので、「遭遇した一切の褒めたたえは、みな試練なのです」(『精進要旨』)の法理は分かっていますが、よく把握できない時はうぬぼれやすいのです。

 自分が担当しているプロジェクトがどんなに重要であっても、自分がどんな特殊な技術を持っていても、すべて師父の按配で、自分を実証する心を助長してはなりません。師父もかつて「第一線で真相を話している大法弟子はもっとも素晴らしいのです」(原文ではない)と言われました。私もこのように面と向って真相を伝える同修に敬服し、これらの同修と比べて私の恐怖心、惰性と時間が経つに連れ人を救うことに無感覚になる心が残さず暴かれました。師父の要求とは程遠く離れていました。私は残りの少ない時間でしっかり行なっていきます。

 以上は自分を実証する心を捨て去る中での自分の体験です。間違った所は、同修の慈悲な指摘をお願いします。

  2009年8月18日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/8/16/206585.html

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