■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/08/19/mh192791.html 



私が知っている劉成軍さんの受けた迫害の一部始終

(明慧日本)2002年3月5日、吉林省の長春と松原地方では見事に大法の真相がテレビに映るようになってから、環境が厳しく一変してあちこちで法輪功修煉者が捕まえられる事件が起きた。劉成軍さんは同修の安全を心配して、携帯電話のメールで放送業務のもう1人の修煉者に「早く場所を変えるように」といった内容を送った。しかし、その修煉者が逮捕され、劉さんの行方も供述させられた。

  逃走中、劉さんは吉林省松原市の郭県深井子郷に住む親戚に身を寄せた。その後、行方を見つけ出し警官によって、彼が姿を隠していた乾草の小屋に放火して体に火が着いた(火傷の酷さはかつて監獄で見せられたという)。火傷を負って彼は逃げ出したが、警官に追い付かれて木棒で暴行された上、銃を足に一発打たれて捕まった。

  劉さんは長春に連れて行かれそこで迫害を受けた。まず、「トラの椅子」という拷問を受け、腹膜が破れて疝気(下腹部や腰の筋肉がひきつって痛む病気)になるまで迫害した。そして、ベッドに縛り付けたまま50日間も放置した。その間に中央テレビ局の女性記者の偽取材を強いられながら、完全黙秘で抗議した。彼はマスコミのでっち上げ報道に利用されなかった。

  2002年10月、19年間の不法な禁錮刑を科せられて吉林監獄一大隊に拘禁された。その時の迫害者には、監獄長・李強、副監獄長・劉長江(「転向」の手配者)」、一大隊大隊長・趙京、副隊長・王建孔(「改造」の手配者)、小隊の陳昕(氏名不明)がいた。まだ警官の言いなりに動く受刑者の李剛、郭樹鉄、賈玉彪、劉X海らの6人は専ら劉さんに対する加害者だ。迫害状況を目にした受刑者の一人によると、「劉さんはこの上なく酷い集団暴行をされても、屈せず一言も発しなかった」という。

  また、迫害のために劉さんを水房という部屋に押し入れて、分厚いベッドの板が何枚も破れたほど彼を猛打した。臀部の怪我は酷く腫れ血が染んでいた。賈玉彪(吉林省前郭県新廟鎮出身の窃盗犯)は、ベルトで劉さんに鞭打ちをして顔と目に相当なダメージを与えた。さらにベルトに付いていたボタンが落ちてもまだ鞭打ちはやめず、目に血が染んで悲惨な姿だった(その時の姿はまだ写真に残っている)。

  上述の暴行が終わっても、臀部の怪我が治っていないのに、幅4センチの棒状の板に座らされて、その怪我の痛みを重くさせた。また「四書」を書くことを強いられても反した劉さんは李剛に強く蹴られて体が転倒した。

  翌日の朝4時、彼1人を起こして朝食の支度をさせた。支度が終わって、みな(受刑者)が外へ行った後、前日行われた迫害が続けられた。そのような連続的な迫害は「四書」を書かせるためだという。

  傷害罪の李剛(吉林市出身、身長180センチ)と窃盗罪の郭樹鉄(黒龍江出身、延吉市移住)は、劉成軍さんを酷く迫害する加害者で、現在出獄している。

  2003年8月末、監獄内の人事異動で劉さんは五大隊へ編入された。その大隊長は元一大隊の大隊長の趙京とされ、「改造」の担当者を副隊長の林志斌とし、迫害を命じられた受刑者らは郭樹鉄を責任者にした。人より強い意志を持つ劉さんは邪悪の士気を倒す恐れがある人とされて、日頃の監視と隔離の段取りを厳しくされた。

  ある日、郭樹鉄は劉さんと他人とが接触したことを密告した。警官の林志斌が恐る恐るプレッシャーを感じて押えようと恐喝を加えた。同年10月11日、非人道的で専制高圧の管理を訴えて、劉さんと雷明さん(迫害で死亡)の断食が始まり、他の修煉者も影響を受けて集団断食に発展し、煉功のできる環境と、強いられた「四書」を取り戻す要求をした。

  劉さんはずっと奴隷のように見られたくないと、監獄の押し付けた重労働を断り続けてきた。こうして、いつも1人で部屋にいて、そこに彼を監視する人も置かれた。10日間の断食生活をして、ずっと飲み食いもしないため、10月21日病院へ運ばれた。一度吉林市中心病院へ送ったが、再び吉林省公安の病院へ戻されて、虐待を続けられた。

  12月頃、吉林監獄で病弱になった体を「小号(小さい牢屋)へ押し入れた。監視の受刑者は、当時病弱な彼が腰を上げることさえできなくなり、病院などへ行く時も歩けないくらい困難だったと述べた。

  劉さんは「小号」の中にいても断食をやめなかった。そのため病院へ送られそこで強制的に灌食をされた。五大隊の張建華は「もう断食をやめなさい。やめれば、寝室へ戻してやる」と劉さんに妥協を求めた。「『四書』を返せ」と劉さんの屈しない返答に圧倒された張建華は「それは一大隊に管理されているから、私に関係ない」と言い逃れた。

  病院で強制灌食を目にした受刑者の話によれば、強制灌食をされた時でも劉さんの屈しない態度に虐待はエスカレートしたため、大便を失禁した。

  以上は劉さんが受けた迫害の一部である。

  劉さんは残虐な迫害を受けても、人への心配りを忘れなかった。みなで断食をしている時、自らの買い物カードを他人に譲ったという。

  断食を続けた最後も、劉さんは他人のぼろぼろになった服を縫ったり『祝福』の歌を歌って皆を励ました。この歌は拘留場にいた時、他の修煉者に教えてもらったという。彼の歌声は人の心を震わせて感動させた。修煉の道をしっかりと歩もうと勇気を付けてくれた歌で皆を支えた。歌を聞いた誰もが、感動の涙を流した。

  邪悪の迫害は劉さんの心身に大きなダメージを与えた。劉さんは自分が書いた「四書」に後悔して廃棄証明書で邪悪に屈しない意志を表した。しかし、彼自身は師父と大法に悪い影響を及ぼしたと、自分を許さなかったという。

  彼は最後の最後の夜に「法輪大法は素晴らしい」と書いて心に銘じた。

  2009年8月19日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/7/23/205143.html

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