■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/08/20/mh214367.html 



6日間煉功して、失明寸前の目が回復

(明慧日本)私は53歳で修煉し始めたばかりの修煉者です。修煉した期間は短いのですが、たくさんの事を感じました。

 私が法輪大法と出会ったのは遥か以前のことでした。しかし、商売に熱中していましたので、集団煉功には数日間しか参加せず、『転法輪』も一回も読み終わらないうちに修煉を諦めてしまいました。その後、時々経文を読んでいましたが、やはり本格的に修煉を始めることができませんでした。

 2007年5月、持病の眼疾が急に悪化して、眼球が痛み目を開けることができなくなりました。階段を上り下りする時も階段がよく見えず、50インチのテレビを見るときも1メートル以内に近づかないと見えなかったのです。そして、20分続けて見ると目の痛みが激しくなりました。

 私は幼い頃から眼疾にかかり、数十年来、全国の名医、眼科の専門医、医学部の教授などを訪ねては診てもらいました。診察した結果、眼底に病気があり、治療方法がないため、「現状維持しかできない」と言った医者もいれば、「炎症を抑える程度の治療しかできない」と言った医者もいました。それ以外の治療を施すと角膜が脱落し、失明する可能性が高いということでした。

 その後、病院によく通いましたが、病状は悪化の一途をたどりました。そのため、家にいて目を閉じたままの生活を強いられ、大切な時間を失っていきました。

 ちょうどそんな時、法輪功を修煉している親戚に「法輪功は性命双修の修煉なので、効果が非常によく、法輪功を修煉したらどうですか」と再び勧めてくれました。私は何も頼るものがない状況下で法輪功の修煉を始めました。煉功して6日経ったころ、目の痛みが消え、3時間半ぐらいテレビを見ても目の痛みがなかったのです。そこで私は、もし文字が見えるようになれば必ず法を学ぼうと決心しました。

 すでに数年間も眼疾で本が読めなかった私は、再び文字が読めるようになりました。虫めがねを使用する必要もなくなりました。私は、窓の外の青い空とみずみずしい草、そして行き交う人々の服の色彩、トイレのタイルに書かれた花の模様などをはっきりと見て取れるようになりました。私の喜びは言葉では表現できません。私は、『転法輪』を開いて、その中にある師父の写真に、額をつけて大声で泣き崩れました。

 数年前、大法とすれ違ったことを後悔しています。師父が私の業力を消去し、身体を浄化して下さったことに心から感謝しています。

 私は、大法のために何かを行った事はまだほとんどありませんが、師父は私に本当にたくさんのものを与えてくださいました。今後、法をしっかり学び、まじめに煉功して、衆生を救うことが、即ち師父への恩返しだと思っています。

 私は「後悔」、「恩返し」というのは、師父と法に対する感性的な認識であると理解しています。心性を修め、執着心を取り除き、理性的に大法を認識し、法を正す進展についていけることが肝要なのです。

 1年くらい法を学び、心を修め、「真、善、忍」の基準で自分を律してきました。私の思想観念は大きな変化を成し遂げ、短気であった性格も随分穏やかになりました。また、問題が生じたとき自分を修煉者と見なし、家族に対してもあまり怒らなくなりました。家族は、元々私が修煉することに賛成してくれなかったのですが、私の変化を見て、今はみんなが支持してくれています。

 現在の私は、視力も回復し、身体も健康になり、家族とも睦まじくとなり、楽しい毎日を過ごしています。家族は、「以前の私と比べて別人のようだ」と言っています。

 法を正す進展は最後の最後の段階まで来ています。この最後の残された時間に自分の修煉をしっかり行い、師父の教えの通りに自分を修め、人々を救い済度し、真の大法弟子となることこそ、師父の済度に対する恩返しとなります。

 2009年8月20日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/8/18/206730.html

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