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いろいろな試練を乗り越え、大法小弟子になった


文/湖北省黄石地区の大法弟子

(明慧日本)子供(訳者注:ここに登場する子供は、私の甥)がまだ幼かった時、母親は修煉を始めました。母親はよく子供を背負って、学法したり、煉功したり、大法を広めたりしていました。大法に包まれている母親は毎日ニコニコしていました。母親が法を広める時、そばで遊んでいた子供はその母親の姿を見て、「真、善、忍」を深く心に刻んでいました。

 大法が迫害され始めた頃、子供は小学校に入ったばかりで、母親は大法を守るために、何度も連行され、労働教養を受けさせられました。家にも何度も侵入され、罰金を課されました。幼い子供は父親に背負われて監獄と家を行ったり来たりしていました。利口な子供はお母さんに会うと、一度も泣くことなく、さらに「お母さん、私はお母さんがいい人だと分かっているよ」と話しました。父親は修煉していませんが、善良な心を持つ人です。ある日、父親は子供を背負って母親のところへ会いに行くと、監獄の前で、父親は自分達よりも、もっと貧しい家族を見て涙を流しました。そして、父親は帰りの費用を残し、自分が身に付けている全てのお金と食料を出してこの家族の懐に押し込み、振り向きもせずに帰っていきました。子供は、「叔母さん、お父さんとお母さんは善良な人なんだ」と私に言いました。

 母親は迫害を受け、一家の生計は全て父親が一人で支えていました。全ての親戚は子供と疎遠になりました。父親は家族を養うため、昼も夜も働いており、まだ小さな子供はいつも一人で学校に通い、途中の露店で何か適当な物を食べていましたが、何も食べない日もよくありました。

 ある日、子供が学校から帰ると、近くに住んでいる子どもたちは、家に大人が誰もいないのを見て、大勢で彼を囲み、「あいつを殴れ、あいつの母親は法輪功の修煉者だ、逮捕されたのだ」と言いながら、子供が身に付けていたわずかな食事代を奪いました。子供はランドセルを背負って頭を抱え、必死に暴力に耐えました。周りには、この子の隣近所に住む大人たちが大勢立っていましたが、誰一人として手を差し伸べた人はいませんでした。空が次第に暗くなり、お金を奪われた上に家のカギまでなくなってしまった子供は、父親も残業で帰ってこないため、寒くてひもじい思いをしながら、夜が更けていくのを家の前で縮こまって待つしかありませんでした。

 子供は私に「叔母さん、僕は泣きません。お母さんは、僕が勇敢な男の子だと言ったから。心の中に真善忍があれば、何も怖くありません。ただ、お母さんが恋しいだけです」と、とても落ち着いた口調で言いました。

 子供よ、あなたが耐えたのはこれだけでなく、叔母はあなたがこの世の辛さをすべて身を以て経験したことを知っています。しかし、あなたのお母さんはあなたを愛し、とても大事に想っているということを忘れないでほしい。お母さんは「法輪大法は素晴らしい」という真実を伝えるため、「真、善、忍は素晴らしい」という真理を守るために、大法を証明する道を歩んでいます。

 数年後、母親は無事に家に帰ることができ、子供もだいぶ大きくなりました。彼はいろいろな試練を乗り越え、優れた大法小弟子になりました。

 2009年8月21日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/8/11/206297.html

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