■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/08/22/mh232762.html 



安逸をむさぼる心を取り除く

(明慧日本)師父は『二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法』で、次のように説かれました。「人によって修煉に対する考えが異なり、根基が異なるため、修煉に対する態度も当然異なるのです。最も貴いのは、この厳しい環境下と圧力下で、希望も見えない状況の中で、絶えず精進できれば、これこそ最も貴重なことで、最も素晴らしいことです」 また、師父は『洪吟』の「その心志を苦しめる」では次のように著されました。「世上の苦に耐え得れば 世を出づれば是佛陀」 そして、師父は『転法輪』では大根器の人について、「同時に彼は、苦の中の苦に耐えなければならず、大きな忍の心を持っていなければなりません」と著されました。

 数年来、法を学び、着実に修煉する過程の中で、私たち修煉者は必ず苦に遇い、苦に耐えなければなりません。苦に耐えれば業力は消去され、黒い物質を白い物質に転換させ、心性も高まり、功も伸びます。もちろん、我々はわざと苦を探して「苦行僧」になりませんが、修煉の道で苦に遇った時は必ず正念を持って対処しなければなりません。

 「苦に耐える」と逆の言葉は「安逸をむさぼる」、「のんきに過ごす」、「気楽に楽しむ」などで、修煉者の敵です。常人は如何に楽に生活するかを考え、金を多く求めれば、求めるほどさらに求め、酒食遊楽にふけり、七情六欲を何でも満たしています。さらに、健康な身体や災難のない生活を祈願しています。これは妄想です。なぜなら、人間は生きている限り業力を作り続けており、何回も生まれ変わっては、業力を積み重ねてきたからです。業力を作ったからには消去しなければならず、業力を消去するために災難が降りかかり、老、病、死が来るのです。借りがあれば返済しなくて良いのでしょうか。そんなことはありえないのです。

 私たち法輪大法の修煉者は、常人のように安逸をむさぼることは避けるべきです。師父は『転法輪』で次のように教えられました。「絶えず自分の執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」 ですから、安逸を求めるという執着心を取り除かなければなりません。さもなければ、この執着心は我々修煉者の「道を塞ぐ虎」や「足枷」になります。

 下記に二人の同修のことを挙げて、安逸をむさぼることは修煉の敵だということを述べてみたいと思います。現在、この同修二人の状況は非常に深刻で、心配です。私は同修として忠告したことがありますが、効果はあまり見られず、心が痛みます。

 同修Aは1999年「7.20」以前に大法の修煉を始めました。親切で、皆の学法や煉功のためにラジカセやDVDデッキを買ったりしました。5年ほど前、彼の会社は社員住宅を建てました。当時、彼は「新住宅の内装工事を終えたら、法の学習と煉功を落ち着いてやります」と言いました。1ヶ月過ぎて、新住宅の内装工事が終わり、その後お正月がきて、Aは息子や孫達にかこまれて賑やかに歓楽の中に浸っていました。私は彼を訪れて交流しましたが、意外にも彼の状況は180度変わっていました。彼の妻は「我々は法輪功を修煉しません。共産党が許さなければ我々はしません」と言いました。彼自身も「こんなに多くの大法弟子が連行されたり、判決を下されているのに、師父はなぜ守ってくださらないのですか」と私に聞きました。当時、私も深く法を勉強していなかったので、彼の質問に答えられませんでした。しかし、私は師父や法を堅く信じています。私は彼の質問に答えるための適切な資料を集め、彼に渡しましたが、彼の状況は変わりませんでした。その後、ほかの同修から聞いたのですが、彼は自ら功法を作り、そして、自ら作った功法も病気治療や健康保持ができ、しかも共産党はこのことにかまわないと宣告したそうです。これはほかでもなく恐れる心です。恐れる心の裏には安逸をむさぼる心があり、彼を大法からますます遠ざけました。その後、彼は常に病院へ病気治療に行っています。

 同修Bは私の叔父です。彼は定年退職する前、心筋梗塞に罹ったことがあり、一週間の緊急措置をとった後、親戚から法輪功を紹介してもらいました。彼は法の学習、煉功を通して、しゃがむ姿勢から立ち上がれなかったのが、立ち上がれるようになり、さらにオートバイに乗れるようになりました。この奇跡を見た彼の娘は、共産党の迫害を恐れて法輪功の修煉を妨害していたのが、大法を支持する態度に変り、心配が安心に変わりました。同修Bは定年退職した後、才能を発揮して、自分で診療所を開設しました。初めは、診断に来た病人に法輪大法の素晴らしさを紹介していましたが、長く経つと、法の学習を緩め、常人社会に流され、汚染されてしまいました。彼は朝5時から夜9時まで営業し、わずか9ヶ月で16万元を稼ぎました。私は「健康な身体は、修煉のために師父がくださったもので、お金を稼いで常人の生活を楽しむためではない」と、彼に忠告しました。しかし、彼は、地方劇のDVDをいつも見たり、常人と共に音楽と娯楽に夢中になりました。私はある常人を通して、彼に忠告し、師父の慈悲なる済度と大法弟子としての使命を彼に伝え、危険の瀬戸際で踏みとどまることを望みました。しかし、彼はすでに深く常人の中に落ちてしまいました。70代なのに、不倫の噂が流れたりと、本当に心が痛みます。

 以上の2つの例を通して見れば、安逸をむさぼる心は非常に危険です。それは泥沼で、落とし穴です。修煉者は一旦思想を緩め、気ままに行動すると、魔がすぐ隙に乗じ、自ずと旧勢力が按配した道に入ってしまいます。師父は「実は修煉は単なる精進していないという簡単なことではなく、自らを緩めてしまえば、常人の心に動かされ、回り道をしてしまい、法を実証し真相を伝えるときの互いの協調も取れなくなります」と、『二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法』で諭されました。従って、私達は必ず法をしっかり勉強し、しっかり自制しなければなりません。こうしてこそ始めて誘惑を断ち切り、正念をもって、師に遵って法を正すことができるのです。安逸を求める心、一切の執着心を取り除きましょう。

 個人の認識ですので、慈悲なるご指摘をお願いします。

 2009年8月22日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/8/20/206792.html

明慧ネット:jp.minghui.org