■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/08/23/mh243911.html 



返本帰真へ向かって

文/文蓮

(明慧日本)私は1997年8月24日に法輪大法を修煉し始めました。それより前に『法輪功(訂正版)』を読んでいた時、今度師父が講座を開かれる時にまた学びに行こうと思っていましたが、半年過ぎました。1997年8月24日の朝、私は煉功場へ学びに行きました。指導員が親切に挨拶してくれて、煉功動作を教える担当を探してくれました。さらに、私のために学法チームを作り、こうして私は真剣に大法を学ぶようになりました。

 毎朝煉功場で煉功し、夜は会社から帰って夕食を済ませた後に学法チームの所へ行っていました。忙しい日々を過ごしていたが、充実した生活を送っていました。私は、なぜ法を学ぶかをはっきりと分かっています。それは、返本帰真の道です。私は人生の目標を見つけた後、家でも会社でも時間があれば必ず『転法輪』を読んでいました。普段から自分を一人の真の修煉者と見なしています。

 良い個人修煉の基礎があるため、1999年から始まった邪悪な迫害に、私は脅かされませんでした。1999年7.20午前、会社の上司は私に修煉を諦めさせようとしましたが、私は何も言わなかったのです。午後、帰宅の途中で同修に会いました。法輪功の無実を訴えに一緒に上京するかどうかと聞かれ、私は「はい」と答えました。市場で年老いた家族に食べ物を買い、準備を整えました。こうして夫は私を同修の家に送る途中、私は彼に「六四天安門事件」のように帰れないかもしれないと話しました。私はすでに命を以って大法を守ることを決心しました。

 上京の道は決して容易なものではなく、私達は幾重にもある障害も突破し、難関を乗り越えて来た。5、6回の身分証明書の検査を経た後、やっと目的地に到着しました。私達は大法に公正な一言を言いたくて、師父の潔白を証明したかったのです。当時「法が正されなければどうしても家に戻らない」と思っていました。

 しかし、10数日後、私達は無事に帰りましたが、法はまだ正されていなかったのです。私達の心は重苦しく感じていました。その時、社会、会社及び親友からの圧力が一斉に私に襲ってきて、どうしたら良いのか私は分かりませんでした。10数日間も法を学ばず、私は毎日いらいらしていました。後にm私は「真善忍」に従って良い人になることに何の誤りもないと思うと、また法を学び始めて、落ち着くようになり、体調もよくなりました。

 2001年、私は会社で騙されて派出所に連れられてしまいました。何の手続きも行わずに留置場に強制連行され、22日後に釈放されました。それ以来、毎日、中共は私の生活を監視しています。それにもかかわらず、私は諦めずに、最後まで大法を修煉し続けたいと思います。

 真相資料を配って衆生を救い済度することを自分の使命と見なし、世間において師父に遵って法を正したいと思います。師父から正念を発することを学び、正念を発することは邪悪を取り除くことであり、衆生を救い済度することでもあると気付きました。そして、毎日時間ごとに定刻に正念を発しており、主意識がはっきりしています。いつも何をやっていても、頭を上げて時計を見ると正念を発する時間になのです。

 正念に執着があると言った同修もいますが、私は少しも動揺していません。私は天目で何も見えないのですが、師父のおっしゃったことに従い、やるべきことは何でもやります。

 真相資料を配る時、怖くなったこともあります。その時、私はいつも「怖くなるのは真の私ではなく、私は宇宙のもっとも神聖なことをやっているので、だれも私を阻むことができず、師父は私を見守ってくださっている」と自分を励ましています。こうして、師父の慈悲深いご加護により、私は艱難辛苦(困難な状況や辛い場面に出会い、苦しみ悩むような大変な苦労)を経て今日までたどり着きました。師父と大法がなければ今日の私もありません。師父の救い済度と同修の助けに心から感謝しています。これから私は「三つのこと」をよく行い、その名に恥じない大法弟子になるように努力します。

 2009年8月23日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/8/16/206519.html

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