■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/08/24/mh250859.html 



慈悲の力について

(明慧日本)先日、師父の最新経文『二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法』を読みました。経文の中の「実は慈悲は巨大なエネルギーであり、正神のエネルギーなのです」と、又「本当の善」についての話が印象深く残り、心の中で深い震撼を覚えました。

 これによって、私は1年前のあの経験を思い出しました。邪悪な迫害で、私は追い詰められて家を離れました。公安局の人は絶えずわたしの家に行って邪魔をしました。私は外にいる時間を利用して法を暗記し、毎日法の中にいたため認識も高かったのです。これは私の人心を狙ってきたもので、時々刻々自分の心を制御して、一切のものに動かされてはならない、一切はうわべの現象だと思いました。

 しかし警察は絶えず私の家族を騒がし、いわゆる条件を出して、私を誘おうとしました。これらのことを聞いて警察に対して恨みが生じはじめ、ついに我慢ができませんでした。法の暗記が出来なくなり、心中の恨みがますます大きくなり、思想の中で警察と戦っていました。良くない思いが絶え間なく湧いてきて、頭もくらくらしてぼうっとしました。心性が落ち、自分の状態が正しくないと感じましたが、なかなか制御できませんでした。人心から自分が受けるかもしれない迫害の光景を想像し、やり切れない思いも一杯ありました。確かに自分の心が悪くなっているのを感じました。

 当日の夜、私は明晰に真実な夢を見ました。夢の中で、私を狙っている警察は又私の家に来ました。私は彼に「あなたはこれ以上大法弟子を迫害してはいけません。あなたは知っていますか。大法弟子はすべて未来の宇宙の一つの主、王であり、ずっと迫害を続ければ、あなたが作った業力は天より大きいのです」と話しました。しかし彼は聞かず突然キッチンから包丁を持ってきて私の命を奪おうとました。私が驚いたのは、自分がこの時少しも驚かず慈悲心を持って彼を救おうとしていることでした。この時私は彼の目に恨みを見ました。私は目を閉じて、心の中で師父に話しました。「師父、若し私の生命だけで彼の恨みを解けるなら、私は喜んで命を差し上げます」 突然、私は強大なエネルギー場に包まれているのを感じました。それは素晴らしく穏やかで、まるで道に迷った子供が家を見つけたような感覚でした。これは昔から良く知っていましたが、久しぶりに感じた感覚でした。

 これは師父が加持してくださると分かりました。この時心の中では無限の慈悲心が生じ、自分も知らない内に滅亡に向かっている衆生が本当にかわいそうで悲しく感じました。私は思わず涙を流しました。心は非常に穏やかで、周りは静かでした。私は全てが終わったと感じて目を開きました。この時彼は既に激しく泣きじゃくっていました。包丁は眉間で止まりその後地面に落ちました。彼は私の家から飛び出して行きました。その後私は目が覚めました。この一切は夢でしたが、顔は涙に濡れていることに気付きました。起きている時も広大なエネルギー場を感じ、その後一日中ずっとこの広大な慈悲の中にいるのを実感しました。

 「慈悲は能く天地の春を溶かし」(『洪吟(二)』「法正乾坤」)この一切は夢でしたが、慈悲の力は一切を溶かすことを私は身を持って感じました。以前私が警察に対する時、心中は恨みに満ち、善の心はありませんでした。本当に悪で悪に対処しようとしました。師父は私に慈悲とは何か、なぜ私達が衆生を救うようにされたのか、私達はなぜ衆生を救うのかなどを感じました。今日この説法を学び終えて、いっそう私達が広大な慈悲で衆生を救うべきであることが分かりました。「人間は神になりたければ、人間の状態から脱皮したければ、この心を放下し、慈悲をもって問題を解決しなければなりません」(『二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法』) 同時に一人の修煉者が本当に生死を放下したとき、心中に抱いたものは永遠の慈悲であることも悟りました。

 これらを悟った後、私の心は広く和やかになりました。恐怖の心がなくなって心の中は衆生を救おうとする善の念と、同時に自分が巨大な使命を背負っていることを感じました。私達が純粋で広大な慈悲で衆生に対する時、どんなに大きい邪悪も直ちに消え、又慈悲は衆生の善を呼びもどす事ができます。若し私達が広大な慈悲でこの一切の迫害に対する時、迫害を停止させることができます。

  2009年8月24日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/8/20/206805.html

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