新唐人テレビ討論会での説法
 

(李洪志、二〇〇九年六月六日)

 

 皆さん、こんにちは!(弟子たち:師父こんにちは!)

 皆さんお疲れ様でした。長い間説法しておらず、皆さんにもお会いしませんでした。実は私に分かっていますが、私が多く話せば話すほど、皆さんを前へと押せば押すほど、旧勢力の要素が大法弟子にもたらす魔難は多くなり、大きくなるのです。法はすでに皆さんに残しましたが、その本に則って修め、学んでいれば、何でも解決することができ、何でも得ることができるので、この間、意識的にさらに詳しいことを話しませんでした。多くのことは本当に皆さん自身で考え、悟らなければなりません。これがこの一年近く皆さんに説法しなかったことの理由です。

 いずれにせよ、法を正すことの進展は急速に前へと進んでおり、皆さんは形勢の変化と時間の変化からも感じ取ることができ、非常に速いのであって、不思議なほど速いのです。宇宙が現したことは人類にとっても不思議なことです。いずれにせよ、大法弟子の修煉の道と私が法を正す中で行ったこのすべてはすでに、今のままで定型になっており、もう変化はなく、しかも法を正す速度は非常に速いのです。法を正すことはひいては、私が指揮しなくても速い速度で、宇宙の最速の速度で近づいています。現在の状況から見れば、この世も速く変化しており、特に人類社会の下落は深刻化しています。現在、中国社会において、道徳は想像できない速度で下落しており、しかも人類史上、人類がかつてここまで堕落したことはありません。今までのいかなる状況下でも、どの王朝の滅亡も、または人類の劫難の前、人類はここまで堕落する前にすでに終わってしまいました。法を正すことがなければ、神はすでに人類を存在させないのです。特に中国の場合、そこは人類における神伝文化の中心であり、数千年来その影響は全世界に及び、その文化はほかの空間にも大きな影響を与えており、以前は決してここまで腐敗堕落させず、ここまで至る前に神に滅されてしまったのです。今は多くの大法弟子が修煉の中でまだ自分の道を歩み終えていないので、まだ存続させています。実は私にも分かっていますが、修煉だから、ここまで難しいのです。法を正すこと自体が難しいのです。人類社会が腐敗堕落しているという現実が大法弟子を含む世の人々に与えた影響はあまりに大きいのです。大法弟子は世俗の中で修煉しており、その上このような複雑な状況に直面し、人類社会の腐敗堕落した一面は人間を強く誘惑しており、どのようにすれば良いのでしょうか? 今はこれらの人をもう要らないとまだ言えず、まだ彼らを救う機会があります。これが現在、再三に延ばされていることの原因の一つです。

 皆さんの誰もが、今日の世の人々が歴史上、このことのために払った代価を知らないのです。彼らがかつてどれほど偉大な生命だったのか皆さんも考えたことがなく、彼らはこれほど大きな危険を冒してまで、この世に身を投じ、ここまで危険なところに下りてきました。このことだけでも皆さんは彼らを救い済度し、彼らを連れ出すべきです。危険なのは、この環境の彼らに対する誘惑です。大法弟子は今回の魔難で彼らのために、衆生のために余分の苦を嘗めました。しかし、いずれにせよ、大法弟子を待っているのはいずれも最も良いものです。この角度から言えば、大法弟子として、なおさら自分の責任の重大さを認識し、この責任を背負うべきです。皆さんはいつも「師が法を正すことを手伝う」、「師が法を正すことを手伝う」と言っていますが、何と言っても、この言葉はとても重みのある話だと思います。皆さんがそれをやり遂げ、できるだけやり遂げるよう期待しています。とても難しいことだと私は分かっています。皆さんはこのように言っていますが、完全にやり遂げるのはなおさら容易いことではありません。皆さんは衆生を救い済度し、この歴史的使命を背負っていますが、同時に自分自身も修めており、時々幾らかの具体的なことを適切に対処することができず、協調がとれないこともあります。この歴史の舞台は大法弟子が法を実証し、衆生を救うために残されたのです。皆さんが現したこのすべてはどんなことがあっても、未来は輝かしいものです。私はほかでもなく、皆さんが本当にもっとしっかり行ない、協力がもっと良くなり、協調がもっととれるように心から願っています。

 実は皆さん考えてみてください。何を放下できないのでしょうか? 皆さんは歴史上、栄光を手にしたことがあり、光り輝く過去を持ったこともあれば、歴史上、巨大な魔難に耐えたこともあります。待ち続けている長い年月の間、何でも経験したことがあり、今日を待っているだけなので、道理から言っても最後の道をしっかり歩むべきです。法を実証するとき、しっかり行うことができたかどうか、その原因はすべて自分にあるのです。

 先ほど言いましたが、現在のこの歴史はほかでもなく大法弟子のために残されています。この世界の各民族、各国家、各階層の人は皆、自分のことで忙しく動いていますが、それは人類の正常な生活であり、生存するための必要な形式なので、このような状態でなければなりません。すぐに皆が立ち上がって法のために直接何かをするというわけにはいかず、それならこの迷いを破ってしまうことになります。しかし、いずれにせよ、彼らの存在自体がこの法のためです。見た目では、すべては大法弟子と関係していないようですが、実はいずれも関係しています。見た目では、すべてに秩序がないように見えますが、実はいずれも秩序があるのです。衆生は皆、救われるのを待っており、このことに関して、私は非常に明確に皆さんに教えますが、大法弟子が彼らを救わなければ、世界のどの隅にいても、皆さんが救わなければ、彼らには希望がありません。特に中国人の場合、ご存知のように、以前私は言ったことがありますが、多くの天上の王、各民族の王、各歴史時期の王が中国に転生しました。彼らは最大の苦難と圧力に耐えており、彼らが成就させようとするのは彼ら自身だけでなく、彼らは自分のさらなる多くの衆生を成就させようとしており、その責任を背負って、代価を払っているため、彼らにそれほど大きな魔難があります。彼らの選択は巨大な宇宙体系の衆生の共通の選択であるため、これほど大きな魔難があります。皆さん自身も同じ状況であり、大法弟子なので、皆さんの機縁によって皆さんにこれほど偉大な責任をもたらしましたが、皆さんは歴史上で同様な代価を払ったのです。

 ここまで話したので、幾らかの具体的な問題について話します。大法弟子は現在、法を実証し、衆生を救い済度するとき、行おうとするほかのプロジェクトの目的は明確ですが、プロジェクト自体と事の進め方は世の人々が理解できるようなものでなければなりません。人間に理解されるのであって、神に理解されるのではありません。人間は表面のことしか見ておらず、人間は表面からしか問題を理解していないため、皆さんの表面形式は必ず常人社会の表現と行為とが一致しなければなりません。やりすぎてはならず、やりすぎると人に理解されませんが、やり遂げなければ、また人を救うことができなくなります。大法弟子はどのプロジェクトを行っても、最もよく見られる問題はこの関係を正しく扱うことができないことです。口にすること、行うことに気をつけなければ、常人はそれを理解できず、または政治に参与していると誤解してしまい、あるいは何かの目的のために行っていると思ってしまいます。これでは、大法弟子の法を実証し、衆生を救い済度するという偉大な使命は人的な要素でしっかり果たさなかったことになります。実はこれらのことについて、大法弟子は心の中で非常にはっきりと分かっていますが、具体的に行うと、混同しがちなのです。このことについて皆さんも注意しなければならず、決して自分自身に厄介なことをもたらしてはなりません。

 中共邪党を解体することを私たちの目的にする必要はありません。中共邪党は何ものでもなく、私はそれを重く見たことはありません。それは法を正すために特別に作られたものです。その特性が宇宙に反するものなので、全宇宙の力もそれを消滅しようとしています。そのため、それを維持させ、守るための旧勢力があり、それを庇護(ひご)して、百年あまりを経てきて、幾らかの経験を積ませ、最後の一歩がやってくるとき、大法弟子が衆生を救い済度するときの邪魔になり、大法弟子を成就させるときの魔難になり、皆さんが救い済度しようとする衆生を乱すための鬼になるように用意されたのです。こういうものなので、それを重く見る必要はなく、皆さんは自分の目的を全部それに集中させる必要もなく、そのようにする価値はありません。皆さんは衆生を救い済度するのです。邪党が仕出かしたそれらのことは全部それ自身でできることではなく、旧宇宙の勢力の要素に利用されたのです。当然ながら、なぜほかの生命が利用されないのでしょうか? それはそれほど悪いからです。作られたのはこういうものだからです。もし大法弟子が本当にもっぱらそれに対して行っていれば、中共邪党は崩壊してしまい、旧宇宙の勢力の要素はまたほかの何かを利用してかく乱するのです。中共邪党はただこういうことのために存在しており、それに構っても構わなくても、いずれ解体するのです。大法弟子の行うべきことが終わると、それは解体し、必ず解体するのです。しかし、正と邪が衝突する過程で、各生命が選択した位置、人間が選択した道、衆生が現したそのすべては衆生の未来の行方になります。つまりこういう関係です。

 マスコミに関わる皆さんは中共邪党を暴露しても良いのですが、それは衆生が分かるようになってから救われるようにするために行われたのです。今日は新唐人に関わる全世界大法弟子のテレビ会議であり、在席の多くはマスコミに関わっている人で、中に幾つかの仕事を掛け持ちしている人もいます。大法弟子がマスコミを運営する際、何を行っているのかをはっきりと分かっていなければなりません。もちろん、私が言わなくても皆さんも分かっていますが、具体的なことにおいて衝動的にならないでください。心が平静さを失うと、偏ってしまいがちになり、肝心なときに衆生を救い済度するために行っているのだと思い出してください。

 ここ数年来、テレビ局は今日の状況にまで発展してきて、とても容易いことではありません。私は新唐人テレビが放送した番組を見る度に、大法弟子に対する敬服の念を抱くようになります。大法弟子は本当に素晴らしいのであって、皆さんが何も分からないところから、これほど素晴らしく、精彩に満ちたテレビ局に育て上げました。世の人は当初、邪悪に騙されていなければ、誰もが見に来て、これは本当に良いテレビで、素晴らしいと思うでしょう。妨害があり、邪悪の要素が人間を制御しているため、現在多くの人は目を大きくしてもこの偉大さを目にすることができません。それは大丈夫です。法を正す形勢が進むにつれ、大法弟子の正念がますます強くなり、すべては急速に変化しています。新唐人テレビ局は強いエネルギーを放っており、受信するテレビも強いエネルギーを受け取ることができ、邪悪の要素を解体しています。ですから、この方面から言えば、テレビ局はしっかり運営されるだけでなく、ますますプロ化すべきです。大法弟子が圓満成就した後、皆さんは法がこの世を正すときの人々にテレビ局を残し、未来の人類の文化となります。それなら、皆さんはテレビ局をしっかり運営しなければなりません。

 ここまで話したので、もう少し具体的なことについて話します。マスコミをしっかり運営したければ、この社会に立脚しなければなりません。常人社会のものは神秘めいたことはなく、しかも人を救うことに旧勢力の要素も妨害するのです。もちろん、テレビ局自体は大法の修煉ではなく、直接大法と関係しておらず、大法弟子が法を実証し衆生を救い済度するために設立されたのです。つまりこういう関係です。テレビ局は大法そのものではありませんが、大法弟子が衆生を救い済度する道具なのです。常人社会に立脚し、常人社会のテレビ局と同じようにする以上、管理において皆さんは人類社会の通常のやり方で行わなければなりません。この方面において、常人社会の企業は多くの経験を持っています。その経営体制が常人社会の形式に符合しているので、常人社会で立脚でき、常人社会で成り立つのです。つまり、人間のこの行為はこの次元の理に合っているのです。皆さんもできるだけ最大限に常人のこの形式に符合して自分のテレビ局を運営すべきです。良いテレビ局にするため、皆さんは本当に方法を考えて正規の管理を行い、良性循環を実現させ、経営についてよく考えるべきです。

 実は、常人社会のテレビ局のその主要な目的は金儲けのためです。皆さんの出発点はそれと異なり、衆生を救い済度するためであり、これはあまりに偉大なことで、このことができる人はいません。こういう状況である以上、このテレビ局の運営がうまくいかず、経営が成り立たなくなり、資金がなくなれば、皆さんはこの力強い真相を伝える手段を失うことになります。この数年来、皆さんはその効果を目にし、社会への影響力を目にしましたが、それならなぜしっかり運営しないのでしょうか?

 ご存知のように、中共は虚言で維持されている政権であり、マスコミが作った虚像に頼っています。初期のときから中国人を騙しており、最後の今日にまで至っても、まだマスコミを利用して中国人を騙しています。中共はすべての事実の真相を隠しており、このように長年騙し通してきました。人々は中共の虚言の中で育ち、成長し、皆さん考えてみてください。これらの中国人は皆、このやり方の中で生きており、気の毒ではありませんか? 多くの中国人は国際社会に来てから、国際社会を理解することができず、なぜならば、彼らは中共邪党の文化の中で成長してきたので、ほかの国の人が異常で、ばかばかしいと思っています。国際社会は異常ではなく、これは正常な社会です。邪党に統制されている中国社会が奇形なのです。数十年来、中共邪党はその虚言による宣伝が功を奏しているとうぬぼれています。中共はマスコミをしっかり制御して虚像を作らせて宣伝し、その政権を維持しているのです。この話の意味はつまり、宣伝というものは人間を動かすことができ、人間が情報に頼るときにその作用を発揮することができるということを皆さんに教えたのです。一部の人はどうしても分析せず、言われたことを信じてしまうのです。

 人間の考えに一つの弱点があります。皆さんは長い間真相を伝えるとき、このことに気づいたのです。つまり、先入観のことです。(笑)何かの認識を受け入れてしまえば、この認識をもって後のことを量るのです。これは人間を作ったときの欠陥ですが、理が逆になっているこの環境では、人間が魔難の中で業を滅し、真理を捜し求めた後で抜け出すことに有利なのです。この状況でなければ、人間が法を得て天に戻ることはあまりに容易なことになります。ほかの人が何を言っても、正理(せいり)で求め、量るのであれば、この環境は永遠に悪くならなくなり、人間の社会でもなくなります。(笑)しかし、人間のこのところは過去において正理がなく、王者が国を治め、武力で天下を勝ち取り、勝者が官軍、敗者は賊軍で、これは人間という次元の理です。なぜ、佛法、神の法がここで伝わると、大きな障碍に遭い、それによって様々な魔難、衝撃、排斥が生じるのでしょうか? 伝えているのは正理なので、この環境に正理がないからです。

 いずれにせよ、それはすべて歴史であり、創世以来の人類の文化の過程です。今日は違います。今日は創世以来の最後の結末です。大法がここで広く伝わったため、この環境は将来人類に永遠に残されるかもしれません。これは大法が広く伝わり、宇宙で法を正す過程で人類にもたらした福であり、そのためこの空間を残すことができるのです。

 多くは話しません、皆さんがここで会議をしており、たくさんのことを話し合うと思います。これ以上皆さんの時間を使わないので、皆さんに多くの時間を残したいと思います。大事なこと、重要な問題があれば、質問してください。私は解答します。残った時間で皆さんは話し合いをしてください。(拍手)

 

弟子:記者として正確に報道しなければなりませんが、場合によって真相を伝えるために物事を大げさに表現してしまいます。西洋社会のマスコミの基準に合わせて、正確に報道すべきだと思います。

師:この考え方に同意します。このようにすべきであり、邪党の宣伝道具のようになってはいけません。出来事がある方面で作用を果たすことができるようにするために、その本当の姿を歪ませてしまっては、良くないのです。ありのままの作用を果たせれば良いのであって、人為的に操作してはならず、このようにすれば信用を失ってしまいます。

弟子:私は地元の記者です。修煉を通じて、いかなることも真善忍に従って行わなければならないと分かっています。私たちの報道は人々に真実で善なる良いものを伝えています。しかし、一部のことに関して、私たちは見抜くことができません。たとえば、チャイナタウンはとても複雑で、中共寄りの人がおり、そういう人の主催の活動はできるだけ報道しないか、または控えめに報道しており、宣伝しているものが正しくなければ、絶対報道しないようにしています。しかし、時々とても微妙なこともあるので、適切に報道しないと、悪人のために宣伝してしまう恐れがあります。

師:迫害が始まってから、中国大陸のある人が学習者に成りすまして私に手紙を送ってきました。中にあのことはこのようにすればもっと良くなるなどなどが書いてあります。しかし、この人がスパイだと私に分かっています。彼はそれをごまかすため、書いた観点は有利なものであって、私はそれを採用しました。これはどういう意味なのでしょうか? 私が行ったこのすべては衆生を救い済度するためであり、あなたが誰であっても、衆生を救い済度する中で正しい作用を果たすことができればそれを採用します。実は人間に関して言えば、人間の現在の表れはいくら悪くても、それらの最も悪いものを除けば、普通の人に関して、まだ生きていれば希望があるのです。迫害の中で受身的になって悪事を働いた人もいますが、いったん分かるようになり、正しい作用を果たすことができれば、以前迫害の中で働いた悪事を挽回する機会がまだあるのです。このような人が正しいことを言えば、それを引用してもよいのですが、良くないものは決して使ってはいけません。この人が良くなく、話したことが衆生を救い済度することとあまり関係がなければ、一般の人が興味を持っていても報道しないほうが良いのです。なぜなら、マスコミは人を引き立たせ、その知名度を上げることができるからです。悪人を引き立たせる必要はありません。もしその人が言ったことが衆生を救い済度することに有利であれば、報道してあげればその人の徳を積むことができます。

弟子:新唐人はテレビのマスコミとしてどのように経営を行えば良いのでしょうか? 私のいる地区では、営業に参加する学習者はまず大紀元の営業がよくできてから新唐人の営業をすると言っています。

師:実はこれらのことは私に聞く必要はありません。もし主に大紀元の仕事に関わっていれば、大紀元を主にして、時間があるとき新唐人を手伝えば良いのです。もし主に新唐人の仕事に関わっていれば、新唐人を主にして、新唐人の仕事が終わったらほかのマスコミを手伝えば良いのです。大法弟子なので、いずれも自分の本分なので、やれることならできるだけ行います。皆さんが運営しているマスコミはいずれも衆生を救い済度する作用を果たしており、マスコミから発した声にすべての参加者の威徳があります。これは間違いのないことです。

弟子:新唐人は資金難の状態にあります。一部の広告営業はとても難しくて、マーケティング部門は広告を誘致するため、記者に無償でニュースを取材するように指示しています。時にはやりすぎた場合もあります。このやり方は正しいのでしょうか?

師:やりすぎたら、それはいけません。最初の頃、適切に判断できなかったかも知れず、皆さんはみなできないところから始まり、できるようになったのです。徐々に上手になり、ますます経験を持ち、理性をもって問題に対処できるようになり、一人で一つの分野を切り盛りできるようになってほしいのです。

弟子:新唐人は二〇〇八年にカナダに進出してからすでに数カ月経ちました。しかし、ユーザーを増やすための営業をする際、新唐人に対する人々の認知度はまだ限られていると感じています。

師:現在の歴史はほかでもなく大法弟子のために残されたものですが、積極的に皆さんに何かをやってほしいという人はおらず、人々はいずれも迷いの中にいます。このすべては皆さんに残されたのであって、正しいもの、間違っているもの、善のもの、悪のもの、すべてが混じっているため、皆さんは確かに行い難いのです。こういう状況であっても、この宇宙のいかなる生命も皆さんと比べることができません。このことに関して、専門的に管理している神が把握しています。しかし、皆さんがしっかり行ってからはじめてこの世のことに変化が生じるのです。皆さんがどのようにすればしっかり行うことができ、協調をとり、作用を果たすことができるのか、これは本当に皆さん自身にかかっています。私たちに何か特効薬でもあるのでしょうか? 特別な方法でもとりましょうか? 現在皆さんに残されているのは最も正しい道のようです。しかし、この道はとても狭いので、心の持ち様が間違い、やり方に問題があれば難しくなります。道は狭く、不可能のように見えますが、実は可能なことです。

弟子:新唐人主催の九つのコンクールですが、募集要項が何度も修正されました。すでに申し込んだ人に対して信用を損なっただけでなく、プロレベルに達していないと思われてしまうと個人的に思います。師父にお伺いしますが、これは私個人の観念なのか、それともさらに良く行う余地があるのでしょうか?

師:修正があったことを私は知っています。多くの場合は経験不足のためであり、さらにコンクールの要求に符合するためなのです。修正が多くなると良くありません。実はコンクールに参加する人にとって、募集要項が明確であればあるほど良いのです。経験がないため、絶えず経験から汲み取る必要があります。間違いがあれば、修正しなければなりません。これから経験を持つようになり、良くなると思います。

弟子:私は台湾の記者です。台湾の大法弟子は中共が仕出かした悪事を報道する記事を多く書いていますが、直接的な証拠をなかなか入手することができません。この問題をどのように解決すれば良いのでしょうか? もう一つの質問ですが、今の政府と一部の台湾投資家はますます共産党と仲良くしており、記事の中で彼らの間違いを指摘すると、彼らが反対の立場に立ってしまうのではありませんか?

師:邪党が自ら報道したものとほかの大きなニュースウェブサイトが報道したものはすでに多くあります。これらの記事を転載して良いのです。自分で大陸から直接にオリジナルのニュースを入手できればそれに越したことはありませんが、大陸との連絡は絶対に安全でなければなりません。

 どの政府、どの人のどうこうについて、実は修煉者にとってまったく考える必要もありません。考えもせず、思ったりもせず、ほかでもなく衆生を救い済度しにきたのです。今日この人が執政者になり、明日あの人が執政者になり、なりたいものがなれば良いのですが、それは神の按排であり、こういうことです。皆さんが注意力をそこに注いでしまえば、ずれてしまい、考えるだけでずれてしまいます。まったく構う必要はなく、自分のことを行えば良いのです。多くの場合、あることに執着すればするほど、そのことに問題が起き、心性の関を形成してしまいがちです。それらのことをまったく構わなければ、最も良いのです。皆さんには皆さんの道があり、人間には人間のことがあります。皆さんには皆さんが行おうとすることがあり、政治的なこと、党派と党派の間のことをまったく構う必要はなく、考える必要もありません。もちろん、マスコミから見れば、常人が好む内容なので、報道しないわけにはいきません。それなら、常人の報道と同じように報道すれば良いのであって、自分で評論の記事を書かなければ良いのです。常人の報道を転載すれば良いのであって、党派間の争いについて自ら評論の記事を書きません。読者が好む出来事についてこのように行って良いのですが、迫害が終わり、大法弟子が運営するマスコミが完全に社会のマスコミになったとき、また違うやり方になります。

弟子:漢服(かんふく)コンクールが世の人々の衣服にもたらす変化、またなぜ漢服は明朝以降、長い間失われてしまったのかについて、ご説明願います。

師:(笑)今は新唐人の討論会で、漢服討論会ではないので、この質問はまたの機会にしましょう。

弟子:管理のことですが、もし皆能力があって自分の見解を持っていれば、私は協調人として相手を管理しようとするとき、または異なる意見をまとめようとするとき、内に向けて探してくださいと言われます。もちろん、修煉なので家に帰ると私は内に向けて探しますが、具体的なことに対する管理、そのことの対処方法、協調のとり方についてどのように考えれば良いのでしょうか?

師:あなたの言った意味は分かります。(皆笑って) 多くの場合、大法弟子が法を実証する仕事をするとき、寝食を忘れて、いくら疲れてもやります。しかし、管理の話になり、正式な管理を行い、誰かに管理されたり、制度を作ったりするとなると、皆さんは承知しなくなります。(皆笑って) しかし、皆さんは考えたことはありませんが、このようにしてはじめて、さらに力強くなり、正式になり、常人社会に立脚することができ、さらに大きな作用を果たすことができるのです。今まで皆さんはテレビ局を立ち上げ、法を実証するため、初期のころ邪悪を暴露する作用を果たせば良いと思っていたのです。しかし、先ほど師父も皆さんに言いましたが、どんなことを行ってもしっかり行うべきであり、それだけでなく、未来に残す文化になるかもしれません。規則さえもなければどのように将来に残すのでしょうか? 将来の人は何を学ぶのでしょうか? 規則もないなら、大法弟子のやる気だけを学ぶのでしょうか?(笑)(皆笑って) ですから、あなたがどこから来た王であっても、今どのプロジェクトにいても、あなたに指示を出す人がいれば、その指示に従うべきであり、ほかの人があなたを管理してはいけないと思ってはいけません。忘れてはいけないのは、人間は迷いの中におり、あなたは常人という形式の中で修煉しているのです。あなたを管理している大法弟子はあなたより低い次元から来ているのかも知れず、場合によっては、その弟子が修煉して到達した次元はあなたより低いかもしれませんが、それは関係ないのです。これは衆生を救い済度するために正念をもって協力していることです。このことの協調を必ずとらなければなりません。私ははっきりと説明したでしょうか?(拍手) 実は多くの学習者からこの問題に関する報告を受けており、今日機会があるので、皆さんにはっきりと説明しました。(皆笑って、拍手)

弟子:二つの質問があります。一つは、マスコミにかかわる学習者の多くはいくつかの仕事を掛け持ちしているので、神韻公演が始まると、営業してきた広告を製作する人がおらず、または営業マンまでチケット販売にまわってしまいました。この関係をどのように対処すべきでしょうか?

師:確かにこの問題があります。ですから、神韻芸術団のツアーが始まるとき、私はできるだけ早く世の人々に神韻を知ってほしいと思っています。ツアー中、一つの都市で長く公演しないよう指示しています。現地の学習者に大変な苦労をかけるし、同時にほかのプロジェクトにも影響してしまいます。実は私は以前からこの問題に気づいたのです。神韻芸術団の設立当初、大法弟子のほかのプロジェクトに影響しないように、私は大法の子供弟子を起用することに決めたのです。しかし、チケット販売にやはり多くの大法弟子が参加して、しかも大変苦労しており、やはりほかのプロジェクトに影響を与えました。しかし、私が思うには、もしある程度の知名度があれば、常人に公演をマネージメントしてもらい、または神韻が短期間でとても有名になることができれば、皆さんがチケット販売に参加する必要はありません。実は神韻はすでに全世界最高のショーであり、その右に出るものはもうありません。(拍手) しかし現在、中共邪党は世の人々が救われることを妨害しています。神韻の影響はすでに非常に大きくなりましたが、予想していた速さにはまだ達していません。いったん影響がとても大きくなったとき、皆さんはそれほど苦労してチケット販売をする必要がなくなります。広告で「神韻が来ました。どこそこで公演します」と書けば、それで良いのです。人々は見に来ます。そのときになると、大法弟子は今までのように苦労する必要がなく、ほかのプロジェクトに影響することもありません。私はこのように行っています。過程の中で、演目の質、公演の質は完璧でなければならず、必ず最高の効果を出すようにと指示しました。いかなる過ちも問題もあってはならず、どの部分においてもこのようにすべきです。本当にこのことをやり遂げることができれば、この後に続く影響は必ず拡大するのです。私は何も保証しませんが、近い将来にそういう日がきっとやってくると思います。(拍手) そのとき、皆さんは広告だけ出せば良いのです。(皆笑って) もしかして、皆さんのマスコミもその時影響がかなり大きくなり、他のマスコミに広告を出す必要がなく、皆さんが報道すれば十分です。(笑)

弟子:衆生を救い済度することにおいて、新唐人の多言語放送の重要性と責任についてお話をいただけないでしょうか?

師:多言語放送があればそれはもちろん良いことです。しかも、テレビ局が本当に着実に常人社会に立脚することができ、良性循環を実現し、ますます発展することができれば、それこそ良いことです。多言語放送をするだけでなく、どの民族の言語ももらさずに放送することができれば、それこそ素晴らしいことです。なぜなら、皆さんはすべての世の人々を対象にしており、救い済度しようとしているからです。しかし、私には分かっていますが、人的と物的の資源から見れば、現在の能力から見れば、本当にまだまだそこまで達していません。しかし、私が思うには、どんなことがあっても、今は基礎からやりましょう。もししっかり行うことができれば、影響力が大きくなるだけでなく、それによって能力のある人も相次ぎ法を得るのです。それは相互に補いながら成り立つものなので、能力のある人も入ってきて皆さんの不足を補うのです。場合によっては、財力の面や、各方面においても改善が見られるかもしれません。もし根本から現在のこの状況を変えなければ、このすべては変化しません。ですから、どのように常人社会に立脚し、良性循環を実現するかのことに関して、皆さんは本当によく考えるべきです。皆さん頑張ってください。

弟子:先ほどカナダの学習者はカナダに関連することを質問しましたが、実は私も戸惑っています。新唐人は昨年九月にトロントに進出しましたが、もう半年以上も過ぎたにもかかわらず、ユーザー数はまだ足りません。目の前のこの挑戦をどのようにすれば突破することができるかと私は考えています。管理部門は企業に対して非常に重要な責任を持っているのでしょうか?

師:皆さんはしっかり協力し合ってください。これは一人、二人の問題ではありません。今回は皆さんが同じ事を考えているので、良い解決方法がないかを探ってみてください。少なくとも今後の道をどのように歩むべきかを分かるようになり、着実に行ってください。それでもだめなら、条件がまだ整っていないのかもしれません。良く行い、本当にできるようになれば、それはつまり協力ができたことになります。

弟子:すみませんが、メモを取る人がいます。絶対にメモを取ったり、録音したりしてはいけません。

師:メモを取られたことを恐れているわけではありません。皆さんがメモした内容はここを出ると、私の元々の意味ではなくなります。あなたは全部メモすることができないので、それなら断章取義をしていることになります。あなたは自分が好む内容、あなたにとって役立つ内容を選んで、ほかの人に教えているのであって、自らを修めているのではなく、それを用いてほかの人を指摘しようとしています。(皆笑って)やはりメモしないでください。私はずっと前からこのようにしてはならず、自分の道を正しく歩むようにと言ったことがあります。メモを破棄してください。

弟子:神韻は全世界で公演されましたが、香港だけ公演しませんでした。

師:分かっています。中共邪党は香港に対してますます憚る(はばかる)ことなくコントロールしているようです。「一国二制度」とは何でしょうか、完全に面子も要らなくなり、まるで「死んだ豚はお湯をかけられても恐れず」のように開き直っており、(皆笑って)何もかも構わなくなり、ますます全世界で反感を買い、世の人もその本当の姿をますます認識できるようになりました。中共邪党は香港政府を直接コントロールしており、香港の劇場はいずれも政府に管轄されています。構いません。大丈夫です。私がどのように考えているのかを知っていますか? 私は神韻の中国大陸での公演を準備しています。(皆が熱烈に拍手) 私は思いつきで言ったのではなく、邪悪は自分が有能だと思っていますが、見てみてください。歴史の次のステップがどういうものなのか、(笑)それはそれらが決めることではありません。どの王朝も勢いが盛んだったのですが、終りごろになると、いずれも萎(しお)れていました。(笑)(皆拍手)

弟子:私はニューヨーク新唐人本部でマーケティング部の仕事をしています。ニュース部門と製作部門の協力についてです。外回りをして、毎日たくさんの名刺をもらい、たくさんの人が私たちに興味を持っています。今の毎日の時間がますます速くなっており、とても焦っています。フルタイムでこの仕事をしていませんが、すべて接触した人と繋がっていきたいと思っていますが、毎日できることはわずかしかありません。

師:そうです。本当に仕事をしている人は時間が足りないと感じているので、私は多くの人にマーケティングの仕事に参加してほしいと思っています。このようにすれば、これほど切羽詰っていると感じなくなり、しかも道が開かれ、良性循環を実現させることができるのです。(拍手) マーケティングの仕事自体は人と接触する中で真相を伝えなければならず、これも人を救っています。このこともテレビ局全体が良くなるために行われているのであって、素晴らしいのです。直接記事を書いていることだけが第一線で人を救っているのだと思わないでください。そうではありません。皆テレビ局の報道を利用して人を救っているのです。

弟子:二つの質問があります。新唐人は設立以来、すでに七、八年経ちましたが、多くの学習者は技術的に大きく向上していません。これは私自身の考え方です。もう一つですが、多くの学習者は新唐人のニュースを作るより、街頭で資料を配るほうがやる気があるのです。

師:(笑)違います。どの部分も大事です。もし年配の人で、たいした教育を受けたことがなく、ほかにできることもなければ、彼が最も作用を発揮できるのは資料を配ることです。教育レベルが高く、楽に文章を書けるなら、あなたの才能を発揮できるのはこのことです。実はいずれも同じです。どの形を取っても、人を救うことができれば、それはすなわち偉大なのです。(拍手)(笑)

弟子:新唐人は速いスピードで発展しており、番組もますます増えていますが、各地で人手の問題があります。忙しいとき、量を守らなければならず、たくさん製作すべきだと言っている学習者もいれば、また忙しいから、質を守れなければ、量を減らすべきだと言っている学習者もいます。プロのレベルを目指している今、どのように適切に対処するのでしょうか?

師:皆さんが大変苦労しており、皆できるだけ良いもの、たくさんのものを作ろうとしていることは私に分かっています。もちろん、質も良く量も多いことに越したことはなく、私はこのように考えていますが、皆さんの苦労を見て、私は何も話したくないのです。(笑)(皆笑って) これは皆さんの願いです。もし協力がもっと良くなり、人手もさらに増えれば、このすべては更なる大きな変化があると思います。現在の困難は私に分かっています。特別な方法はなく、(笑)師父は皆さんに特別な方法を与えてはならず、なぜなら、この道は皆さん自身で歩まなければならないからです。

弟子:インタビュー形式の番組はゲストを招く必要があります。外部のゲストはその観点が中共を暴露することができれば、招いて良いという意見があり、しかし、場合によってはゲストの背景をよく知らないのです。もう一つの意見はできるだけ内部のコメンテーターを招くべきだと言っています。

師:コメンテーターの問題ですね。もちろん、適切な立場の人がいれば、最も良いのですが、能力があり、視聴者に好まれるレギュラーコメンテーターを持つべきです。つまり、テレビ局はこの面の専門家を有すべきです。しかし、場合によって外部から適切な人を招いて番組を収録する必要もあり、第三者の立場、または専門家の角度、あるいはある特殊な身分から話すことも必要です。しかし、すぐにはその人の観点を判断できない場合、事前に調べれば良いのです。番組のテーマは非常に明確で、そのテーマをめぐって話し、コメンテーターに皆さんの観点を伝え、同意してくれれば番組を作りますが、そうでなければ作りません。その人が本当に中共関係の人であっても、公開される評論番組で中共の邪悪を暴露するなら良いのではありませんか?(皆笑って)(笑) 心を広くすべきです。(笑)(拍手) 心が広ければ、良く行うことができます。

弟子:取材のとき、真相が分かった一部の大陸の人から、師父に会ったら、よろしくお伝えくださいと言われました。(師:ありがとうございます。)(皆拍手) 現在大陸で人権活動をしている人から、新唐人の大陸での記者になっても良いかと聞かれました。

師:彼にとってあまりに危険なのです。できるだけ彼らの安全に配慮すべきです。もし彼らが情報を提供してくれても、彼らの身元を公開してはならず、彼らの安全にさらに配慮すべきです。公開されると、彼らにとって本当に不利なのです。皆さんはこれらのことに配慮すべきです。

 もう一つのことについてお話します。中国大陸で、一部の学習者は迫害される中、愚かになってしまいました。このような学習者はいったん分かるようになり、または環境が変われば、何が正しいのか、何が間違っているのか分かるようになります。彼らは決して意識的に邪悪の道に走ったわけではなく、これは間違いのないことです。皆さんは人を判断するとき、いつも誰それが大陸で「転向」したことがあると言っています。修煉過程で乗り越えられなかった関は修煉過程でのことです。修煉がまだ終わっておらず、彼がまだ修煉しているため、彼が本当にだめになったとは言えません。もちろん、いわゆる「転向」させられた間に幾らかの悪事をした人がおり、彼らがもし今後の修煉の中で補うことができれば、彼らにも機会を与えるのです。しかし、このような人が改めてしっかり行いたいという姿勢を持ってほしいと思っても、まだ気にしていないなら、確かに人から見下されます。もちろん、それらの「転向」せず、邪悪の中から乗り越えてきた大法弟子は非常に素晴らしいのであって、尊敬に値します。(拍手)

 私が言いたいのは、皆さんは同じ修煉者を外に押し出さないでくださいということです。その人は皆さんと同じ修煉者であり、できるだけ大法弟子の間の暖かさを感じさせてください。もし相手のことをよく知らないと思うのであれば、国内の大法弟子を通じて調べれば良いのです。本当に大法弟子であれば仕事を任せてよいのです。もし、誰もはっきり判断できなければ、仕事を任せるのを見送ればよいのです。だめだと感じれば、相手にまずチラシを配ってもらえばよいのです。もし国内で確かに大法弟子だと分かれば、問題ないと思います。本当にスパイであれば、皆さん考えてみてください、誰もが中共がもうすぐおしまいになると分かっており、高官は多額のお金を海外に持ち出し、退路を用意して、外国のパスポートを買い、国外逃亡を企んでおり、中共のために働く人がまだいるのでしょうか? 確かに幾らかの愚かな者がおり、(皆笑って)確かに頭の悪い人がいますが、いずれも中共邪党の洗脳ですでに良し悪しを完全にわきまえることのできない人で、このような人は接触するとすぐ分かるのですが、やはり少ないのです。この世の人は皆、皆さんによって救われるのを待っているのです。皆さんは自分の心を広くして、自分と同じ学習者を排斥しないでください。そのようにすると、自らの道を塞いでしまうのです。

弟子:フラッシングで取材するとき、常人の言い方からすれば、もっぱら法輪功に反対している人がいますが、これらの人をカメラに収めるべきなのでしょうか? また多くの場合カメラに映されない人がおり、時には手だけ映していますが、常人の視聴者から苦情が寄せられています。また、宗教団体が主催の活動を報道すべきなのでしょうか?

師:皆さん自分で判断してください。まだその人に機会を与えたいのなら、機会を与えてください。その人がすでにすっかり悪くなっていれば、彼のせいで、多くの衆生が将来淘汰されてしまい、機縁を失ってしまうなら、カメラに映さなくて良いのです。これは皆さん自分で判断してください。誰であっても、その人の現れ、または話したことは、衆生を救い済度することにメリットになるのであれば、映して良いのですが、メリットがなければ使わないのです。重要ではないニュースで、皆さんの人を救うこととあまり関係がなければ、その人を宣伝する必要はありません。

弟子:旅行の番組はマーケティング開発にとても有利なので、自分で番組を作りたいと思っています。今収録した番組は外部からのテープを使っていますが、自分で作成したものは将来、販売することもできます。(師:いいですね) しかし、管理部門に申請したら、現在のレベルがまだそこまで達していないので、他社並みのものを製作できないと言われました。(師:管理部門の考えに一理あるかもしれません)(皆笑って) 法を勉強したとき、自分の意見にこだわりすぎているかもしれないと思い、修煉者なので、その考えを止めました。(皆笑って) しかし、一部の学習者は私の考えがとても良いと、支持してくれました。今、それが自分の執着なのか、それとも現在常人と同じレベルの番組を作れるということなのか判断できません。私自身は自信があります。

師:それなら、自分の考えをテレビ局の管理部門に、どのように段取りし、どのように作るかを詳しく説明してみてください。彼らが自信を持つようになるまで説明できれば、問題ないと思います。(皆笑って)(拍手)

弟子:私は今、テレビ局の音楽番組の制作に関わっていますが、音にも高い技術が必要だと気づきました。しかし、どのように時間を配分すれば良いのかが分かりません。専門的に学んだり、研究したりする必要があるのでしょうか? とても時間がかかるので。

師:テレビ局のレベルを良くするには、ある程度のレベル、プロのレベルが必要です。できないのなら、やはり学ばないといけません。(笑) 具体的にどのようにすべきかはやはり自分で按排すべきです。

弟子:毎回師父の説法を聞いて帰った後、ほかの学習者はいち早く「説法」を聞きたがっているため、この人が少し思い出したり、あの人が少し思い出したりしていますが、これは適切ではないと思います。

師:戻ってから話すなら、「私が言ったのはおおむねの意味で、師父の元々の話ではない」と付け加えるべきです。伝えるだけなら問題ありません。メモした内容を読み上げるのであれば、断章取義になります。

弟子:番組の全体的な企画について、テレビ局の企画管理の担当者に聞きましたが、テレビ局から指示された番組であれば、たとえばある方向性を示しても、それを続けて制作する学習者が少ないのです。もし学習者が自発的に作った番組であれば、比較的続けられます。このようにした結果、番組は視聴者を楽しませるものとはかけ離れたものになりました。直接真相を伝える番組と視聴者を楽しませるための番組の割合はどのように決めれば良いのでしょうか?

師:もし常人の会社に勤めていれば、上司からの指示に従わずに、自分のやりたいようにやっても良いのでしょうか? 法を実証するための協調がなぜできないのでしょうか? なぜしっかり協調しないのでしょうか? 自分の興味に合わないといけないのでしょうか? これはすなわち協調と協力の中で見られる問題です。皆さんは共通の願いのためにこのプロジェクトに参加しましたが、それぞれ自分の意見にこだわり、それぞれ自分の意思に従って行っているのであれば、どのように協調を取るのでしょうか? この五本の指は全部伸ばしたいのなら、こぶしになれず、打つことができず、(笑)力がないのです。ですから、協調をとるべきです。

弟子:今大陸と台湾の交流は多くありますが、もし常人のマスコミと同じように報道すれば、中共を粉飾してしまいかねません。

師:これは注意すべきです。具体的なことはやはり皆さん自身で判断すべきです。邪党を粉飾する内容のある常人のマスコミの報道なら、修正すべきです。

弟子:私たちが自ら評論の記事を書かないのなら、常人に評論の記事をお願いして良いのでしょうか?

師:常人にお願いしても、やはり皆さんの新聞が評論していることになります。読者は評論する人が皆さんのマスコミに属しているかどうかを見ないのです。常人のことに関わらないでください。常人の政治に参与しないでください。私ははっきり言いました。

弟子:もう少しお聞きしたいのですが、現在両岸の間の交流がたくさんあり、中共は様々なメディア方式で、或いは商業や経済方式で台湾に浸透していますが、この部分において我々は報道の切り口を見つけるべきではないでしょうか?

師:これらのことに関して衆生を救い済度することに関係しているかどうかを見るべきであり、関係がなければ報道せず、関係があれば真相を明らかにします。浸透するとかしないとかを考えないでください。これらのことを考えれば考えるほど、中共の浸透は強くなり、あなたはどうするのですか? 関わらないでください。人を救うことは人に対して行っているのであって、社会情勢に対して行っているのではありません。人の心に対して行うのであって、階層と団体に対して行うのではありません。

弟子:海外のニュースを報道するときに気づいたのですが、中国大陸が報道したとき、海外ではすでに報道され、私たちの報道は中共の報道と鮮明な対比をなしています。つまり、海外の自由な国の報道内容と中共の報道内容の違いです。お聞きしたいのは、海外のニュースを報道するときの重要な考え方として、中国のニュースを参照し、それを逆手に中共を暴露するということなのでしょうか?

師:違います。決まったモデルはなく、理性を持って行ってください。中共邪党がいくら情報を封鎖しても、法輪功への迫害状況をいくら制御しても、いずれも社会に流れてきて、いつか人に知られてしまい、国際社会で報道されるのです。一方で報道を転載し、一方でルートを通じて確実な情報を入手し、その後報道すれば良いのです。中共の報道を逆手に報道する必要はありません。もちろん、特別な角度から報道するマスコミならこの限りではなく、それはもっぱら邪党を分析しているのです。(皆笑って)

弟子:私はロサンゼルスの弟子で、神韻の販促の戦略のことについてお聞きしたいと思います。今年の正月に八回の公演をしましたが、早期の販促計画は的を得ていなかったので、うまくいきませんでした。後で感謝祭を利用して挽回しようと思い、計画を立てましたが、学習者の意見がまとまらず、論議を呼び、結局計画が実行されませんでした。最後になって、私たちが最も目にしたくないことが起きました。つまり、開演前に割引券を配ることになりました。

師:神韻のチケット販売は、実は現地の学習者の修煉状態をも反映しており、私は非常にはっきりと分かっています。その学習者、その地区の状態は必ずそのままチケット販売の状況に反映されます。皆さんがよく修煉できていないと言っているのではなく、現れたのは皆さんが互いに協力し合うときの状態であり、このことは神韻公演のチケット販売にはっきりと見られます。学習者の協調が非常に良くとれる地区があり、しかも数人の学習者しか関わっていないのに、人は多くないのに、非常に効果的に行った地区もあります。

 実はロサンゼルスに長い間、表に出てきていない学習者がいると私に分かっており、私は彼らを見捨てたくはなく、これらの学習者が出てきて、まず簡単なことをしてほしいと思いました。まずこれによって彼らが表に出るようになります。もう一つは彼らが自ら幾らかの威徳を樹立することができます。そうでもなければ、将来彼らはどうなるでしょうか? ほかの大法弟子はとても忙しくて、関わる余裕がありません。確かに一部の表に出ていなかった学習者が出てきました。これはとても良いことです。

弟子:ヨーロッパの新唐人のレギュラー番組は二週間に一回の「ヨーロッパニュース」であり、ただ十五分の番組でもなかなか難しいのです。ヨーロッパの新唐人のこの状態を見て、とても焦っています。どのようにヨーロッパの新唐人をさらに良くすることができるのでしょうか? 新唐人に関わる人も少なくないようです。

師:あなたは実際、私に私たちがどのように良く修めることができるのか、(皆笑って)どのように協調をとることができるのかについて聞いています。仕事がうまくいかなければ、誰にも責任があり、これは間違いのないことです。皆さんはこの道を歩みたいと思い、このプロジェクトに参加して師が法を正すことを手伝いたいと思っていますが、皆さんは師が法を正すことを手伝ったのでしょうか? それともこの過程で自分の執着を満たしているのでしょうか? つまりこの問題です。私が言っているのはこの十五分間の番組のことだけではありません。協調がとれなければ、テレビ局のたくさんの番組はどのように制作するのでしょうか? 自分の責任を分かっていなければなりません。大法弟子なので、歴史の重責を背負っており、千万年、億万年も過ぎ去り、二つの地球も終わりましたが、すべては最後のこのことのためであり、最後になってもしっかり行うことができないのでしょうか? 確かに迷いの中にいますが、なぜしっかり行う人がいるのでしょうか? なぜほかの人は協調をとることができるのでしょうか? 修煉において最も難しいのは苦を嘗めることだけではありません。苦はすぐに去ってしまい、しっかり行わなければ、後で分かるようになりますが、最も難しいのは望みがない中、希望が見えない中でずっと精進していくことで、これは最もやり遂げがたいことです。大法弟子よ、千年、万年が経ちましたが、あなたがやろうとしていることがやってきたのに、しっかり行わなかったら、将来どのようにこのすべてに直面するのでしょうか?

 皆さんは大審判のことを聞いたことがあると思います。当初、とても次元の高い神は法を正すことが終わるとき、大審判が行われるよう按排しました。地獄に落ちたものと死んだ衆生も復活して審判を受け、生きている人も審判を受け、全宇宙のすべての神も漏れることなく審判を受けるのです。西洋の伝説にも大審判の説があります。悪事を働いたもののみが審判を受けるのではなく、正の作用を果たした人と神も、大法弟子を含めて、審判を受けるのです。すべての生命は歴史の中で行ったことに対して自分で責任を負わなければなりません。特に宇宙で法を正す中で、誰がどういう目的で、何を行ったのか、小さいことであっても、責任を負わなければなりません。法を正す中で正の作用と負の作用を果たすと定められた神、鬼、微小生命まで審判を受けなければなりません。正の作用を果たすものも同様に審判を受け、行ったことの中であなたがしっかり行わなかったために、どれほどの衆生が救われ済度されなかったのでしょうか? もし大法弟子であれば、あなたの誓約はどれだけ実現されなかったのでしょうか? 誓約が実現されなかったことはただの一つの側面ですが、あなたが行わなかった、またはしっかり行わなかったために引き起こしたすべての結果に対して、大小に関わらず、いずれも責任を負わなければなりません。あなたの行ったすべての事によって大法にもたらした恥辱と主に対する欺きに対して、責任を背負わなくてもよいのでしょうか? このことは以前話したことがなく、私はこれらのことを言いたくはなかったのですが、皆さんは本当に目覚めなければなりません。もうどういう時になったのでしょうか?

弟子:神韻公演は大陸で開催されますが、新唐人テレビは将来、大陸でどのような発展を遂げるのでしょうか?

師:(笑)(皆笑って)これは笑い話ではありません。皆さんが目にしましたが、この肝心な歴史時期に、新唐人テレビは師が法を正すことを手伝い、衆生を救い済度するとき巨大な正の作用を果たしました。中共邪党の代弁者である「殃視(おうし)」(訳者注を参照)(笑)は、デマと虚言を作るならず者の魔の巣窟で、邪党のために人々を欺く専門的な機関なので、将来残る可能性があるのでしょうか? 残ることはなく、必ずなくなるのです。それは当然のことで、新唐人テレビ局は社会のために責任を持ち、国民のために声を上げるテレビ局なので、所在地を変えるのがなぜいけないのでしょうか?(皆笑って、拍手) 私はこのように話していますが、法輪功は常人の何かを手に入れたいのではありません。新唐人テレビ局はそもそも常人社会に立脚している会社なのです。皆さんは私の言うことを覚えてください。つまり、衆生を救い済度することの偉大さによって、将来の人々は皆さんを高く評価し、大法弟子が行ったすべてを受け継いでいくのです。(拍手)

 (訳者注:災いを意味する中国語「殃」と、中国中央テレビの略称「央視」の「央」は同じ音で、原文の中の「殃視」は「央視」を指す。)

弟子:神韻公演は確かに多くの学習者の力を借りたため、多くのプロジェクトに影響しました。しかし、台湾の弟子は師父が神韻を通じて法を正しているのだとはっきりと分かっており、共通認識を持っています。しかし、九つのコンクールに対しては認識が分かれています。

師:新唐人の九つのコンクールの影響力はすでにかなりのものになっており、皆の頭にこのことに対する認識があります。九つのコンクールは人類の文化を再建しています。一つはテレビ局の知名度を高め、新唐人テレビ局の影響力を拡大する作用があります。番組が豊かであれば異なる階層の人を楽しませることができ、これは表面から言っています。実は、テレビの作用を通じて衆生を救い済度しています。しかし、コンクールが終わった後、来年の開催までの間に宣伝する必要はありません。これ以上宣伝すると、単なる常人のことを宣伝することになります。大法弟子が人を救うことは第一位のことなので、これらの関係を正しく扱うべきです。コンクールはテレビ局を宣伝することができ、人類の正統文化を復興させることでもあります。しかし、終わったら終わったで、人間の文化だけを宣伝するために衆生を救うという主たる責任を放置してはいけません。皆さんにとって現在、衆生を救い済度することは第一位なのです。

弟子:経営するとき、いくつかの困難に遭いました。一つは学習者の中で営業を担当する人がそもそも多くいません。もう一つは彼らにとって大紀元の営業はやりやすく、新唐人の営業が比較的難しく、自信がないのです。確かに新唐人の広告に制作の問題があり、要求が高くなります。どのようにこの困難を見るのでしょうか?

師:私が思うには、ビジネスのターゲットが違います。大手企業ならテレビでコマーシャル、小さい企業なら新聞の広告を出したいと思います。このことについても分からないといけません。レストランにテレビコマーシャルを薦めれば、相手はまるで大砲で蚊を撃つようなことだと思ってしまいます。(皆笑って)大手企業はビジネス範囲が広いので、テレビのほうが効果的です。広告営業をするとき、どういう企業にどういう媒体の広告が適切なのかを考えるべきです。

弟子:私は多言語の神韻報道の協調担当です。中国語報道の編集者は西洋人の名前のスペルをいい加減に扱っていますが、名前はマスコミ報道にとってとても重要なのです。もう一つの質問ですが、ある神韻のプロモーションビデオを数種類の言語に翻訳しなければなりませんが、編集の質にまだ改善の余地があり、私は半日で修正できると思っているにもかかわらず、ある上司は時間が長すぎるので、早くリリースするようにと言いました。これは正しくないと思います。自分の意見を申し上げてもよろしいですか?

師:もちろん話して良いのですが、やると言ったらすぐやってください。数日ないしもっと時間を長引かせるのであれば、問題になります。マスコミ報道の質はとても重要です。あなたが言った名前のスペルの間違いや誤字の問題について皆さんは今後気をつけるべきです。

 ついでにプロモーションビデオのことについてお話します。神韻を宣伝するためのプロモーションビデオに対して、皆さんはみな、意見を述べています。私は二つの側面からお話します。一つは撮影と創意は本当に皆さんの要求に達していないところがあるかもしれません。皆さんはみな、学習している最中なので、きっと不足がありますが、皆ベストを尽くしました。将来はきっとますます良くなることでしょう。この点を私は彼らに要求しており、彼らも努力すると思います。しかし、私はもう一つの問題を考えています。ご存知のように、常人は修煉者ではないので、美しいものと醜いもの、善と悪、好き嫌いを量る際、神伝文化の中の正統な基準を持っていないのです。人間が後天的に形成した各種の観念は人間の考えと行為を決めているので、このようなものがいいと言う人もいれば、あのようなものがいいと言う人もおり、あなたのこれが良くないと言う人もいれば、そうでもないと言う人もいます。

 ご存知のように、西洋社会にたくさんのショーがありますが、彼らの広告はさほど多くはなく、場合によってプロモーションビデオもないのです。広告の中でそれほど明確な内容説明もなく、時には幾つかの字を書いて、それにとても抽象的な画面を付けて、これで広告になり、効果が出るのです。このように対比して考えれば、神韻の広告はかえって多すぎるのであって、そうではありませんか? そうです。このことは皆さんも非常にはっきりと分かっています。どのショーの広告もここまで詳しくないのですが、まだ足りないと思っている学習者がおり、一つの広告で舞台のすべてを表したいと思っています。それはありえないことです。映画の広告も同じで、あまりに詳しく表現すれば、すべてが分かり、誰も見に来なくなります。多くの人は何も知らないままで見に行ったほうが新しいショーを見たと感じ、面白いと思い、夢中になって見るのです。広告であまり詳しく表現すれば、かえって効果が下がります。皆さんが思っているように、この盛大な輝きを全部見せてはじめて、人が来るということではありません。何でも知っていれば、かえって見に来なくなるかもしれません。

 それなら、なぜチケット販売の状況は思わしくないのでしょうか? 広告だけの問題ではありません。どこに問題があるのでしょうか? 人々の長期にわたって形成された文化の基礎と異なる文化に対する理解にあります。アメリカの各バレエ団、西洋社会のどの地区のバレエ団または芸術団についても、多くのアメリカ人は知っています。場合によっては劇団のトップ俳優が誰なのかも知っています。誰が公演に出ているのかも知っています。彼らが簡単な広告、非常に簡単な広告を出せば、観客がやってくるのです。現在、神韻はまだここまで達しておらず、多くの人は神韻が何なのかを知らないのです。私たちの公演は最も素晴らしいと私たちは分かっていますが、常人はそれを知らないのです。さらに、長期にわたって、中共邪党は系統的に中国文化を破壊しており、西洋社会にやってきた中国大陸の芸術団の公演はほとんど寄せ集めのものです。文化が破壊された中国大陸の人はいろいろ混ぜ合わせた公演が西洋人に好まれると思っています。党文化に洗脳された中国人には分かっていないのですが、中共邪霊は意図的に中国人を操って自分の文化を破壊しており、国際社会で中国人が自分の手で中国人のイメージを破壊するように仕向けているため、公演の内容は非常にレベルが低いのです。たとえば、ダンスの演目はバレエ、中国舞踊、現代舞踊など何でも混ぜた寄せ集めのものになっています。このようなものは西洋社会ではまったく受け入れられないものです。その上、西洋社会の現代意識から生まれた現代的な表現手法を幾らか学びましたが、それらの変異した人の表現と目的は西洋社会に及びません。しかも、現代的なものを追求することがモダンだと思っている俳優には分かっていないのですが、実は現代的なものは西洋社会では主流社会の市場を得ていないのです。ですから、西洋人は中国の公演に対して従来から良いイメージを持っておらず、これらのことはいずれも神韻の公演に障碍をもたらしています。

 皆さんの広告が足りないのではなく、一昨年ニューヨークでの広告は、ニュージャージー州とコネチカット州も含めて、少なくとも一人五回、目にしました。それなら、なぜもっと多くの人が見に来なかったのでしょうか? 人々が公演の内容を知らないからです。神韻が来るのを知っており、このショーを知っていますが、内容と質について知らないのです。そうなると、方法は一つしかないのです。つまり、高品質の演出効果と年々良くなる公演の内容をもってマーケットを切り開くしかありません。実は現在、演出効果はすでに社会に影響を与え、しかもその影響はずっと拡大しつつあり、観客が鑑賞して素晴らしいと思えば、周りの人に宣伝します。この数年の神韻の公演はすでにこの作用を果たしました。神韻はデビューしたばかりで、全世界の数十億の人を対象にしているため、この影響を作るには過程が必要ですが、神韻の素晴らしい公演の力はすでに相当強いものとなり、影響は非常に大きいのです。いつかきっと局面が打開され、いつか神韻も広告に力を入れる必要がなく、苦労してプロモーションのビデオを作る必要もなく、ただ「神韻が来た」と掲載すれば、観客がやってきます。(皆笑って、拍手) 必ずこのようになりますが、この過程で広告の質をおろそかにしてはいけません。テレビコマーシャルにしても、新聞広告にしても、現在おろそかにしてはいけません。創業は難しいのです。何を行っても、最初は難しいので、皆さんは力を合わせてしっかり歩んでください。

弟子:マスコミ報道が人々を楽しませなければならないということについてです。楽しませるというのは常人の執着に沿って相手を楽しませるということなのでしょうか? それとも、人類の道徳が下落した後の好みに合わせることなのでしょうか? または彼らにとって本当に楽しめるもの・・・・・・

師:人間の好みには基準がないのです。いかなるものも、よくできていれば、人に好まれますが、品質しだいです。辛いものが好きな人、苦いものが好きな人、甘いものが好きな人、すっぱいものが好きな人、それぞれ好みが違います。人間は長い社会の生活の中でも自分を楽しませることのできるものに対し観念を形成するので、それぞれの好みの味も違います。しかし、これに影響されないでください。皆さんが神韻公演において、どんなことがとても肝心なのかご存知でしょうか。なぜ寸劇がないのか? なぜ漫才がないのか? なぜ流行歌がないのか? なぜ雑技がないのか? なぜこれがないのか、なぜあれがないのかと私に言う人がいました。私はあることをはっきりと分かっており、つまりどんなものでも良くできていれば、人々に好まれるということです。何を選ぶのかは対象と芸術形式の品格を見なければなりません。なぜ歌とダンスにしたのでしょうか? 歌とダンスにはいかなる言語の壁も民族間の文化の壁もなく、誰もが見て分かるからです。寸劇を取り入れたら、中国語の分からない民族の人は見ても分かりません。多くの芸術スタイルに局限性があり、歌とダンスだけは誰もが受け入れることができ、見て分かるのです。

 時に私は思いますが、私の耳元で毎日このように行うべき、あのように行うべきと囁く人がいます。これも私だから、自分が何を行っているのか、将来どうなるのかが分かっていますが、ほかの人となれば、適切に判断できず混乱してしまうでしょう。(皆笑って)(拍手)

 また大法弟子が運営するマスコミのことを連想しましたが、大法弟子が何かをするとき、周りできっともっと多くの人が意見を述べており、このようなあのようなアドバイスがたくさんあります。(笑)(皆笑って) ですから、関わる人はいつも責任者に問題があると思い、責任者は参加者があまり協力してくれないと思います。実は大法弟子なので、何を行ってもまず相手のことを考えるべきであり、相手の立場に立って考え、そして全体を見れば、どのように行うべきかが分かるようになります。相手がどのように考えているのかを考え、そして全体を見れば、どのように行うべきかが分かるようになります。

弟子:神韻公演は映画のように香港で上映しても良いのでしょうか? 台湾で、新唐人テレビは公益事業の方向に向かって発展しても良いのでしょうか?

師:神韻公演は映画のように上映してはいけません。実際の劇場で感じる震撼力もなければ、その場で人を救う効果も得られません。テレビ局をどのように運営するのか皆さん自身で決めてください。台湾の大法弟子はテレビ局を立ち上げ、しかも条件がアメリカよりも良いと聞いて、私は大変嬉しく思いました。しかし、のちに皆さんがやめることにしたと聞きました。いずれにせよ皆さんが法を実証しており、やりたければやって良いのですが、やりたくなければやめても構いませんが、もともと皆さんが行っていることなので、しかし、あまり意気地なしにならないでください。なぜしっかり行うことができず、協調をとることができないのでしょうか? なぜ経済収益の面でテレビの運営を保証できるように努力しないのでしょうか? 西洋社会では、中国人大法弟子には文化上の違いがあるのですが、中国人が集まるところでもしっかり行うことができないのでしょうか? 常人もできるのに、なぜ皆さんはできないのでしょうか? 皆さんが報道したものはすべて常人が見たいもので、ほかの局が報道する勇気のないものであり、視聴者に好まれている内容なのに、なぜそれでもしっかり行うことができないのでしょうか? 方法を間違えないでください。よく考えたうえ、行ないたいのであれば、行なって良いのであって、本当にだめなら方法を変えてほかのプロジェクトをやっても構いません。大法弟子は何を行なっても最後までやり遂げなければならないと思います。半分の力を費やし、修煉の道を半分歩んだところで、もう一回最初に戻り、もう一度やり直すのであれば、もったいないのです。時間には限りがあります。

弟子:マスコミに関わる弟子の多くは若者で、男女関係の度合いを適切に扱うことができなかったため、自分の修煉と周りの環境に大きな影響を与えました。

師:このことに厳重に注意すべきです。大法弟子はこの面で正しく行なうことができず、関を乗り越えることができず、自分の道をしっかり歩むことができなければ、自分に泥を塗るだけでなく、大法弟子全体にも泥を塗ることになります。これらのことは多く話したくはなく、今までたくさん話しました。気をつけましょう。大陸のマスコミは意識的に公にこれらのことを宣伝しており、邪悪はほかでもなく中国人を堕落させ、救われ済度されないようにしています。邪悪の目的は非常にはっきりとしていますが、つまりこのような人を済度するかどうかを神に判断させています。大法弟子として、自分がしっかり行なうことができなければ、どのようにほかの人にしっかり行なうようにと要求するのでしょうか? どのようにほかの人を救うのでしょうか?

弟子:マスコミの仕事に関わる学習者の多くは常人の仕事も持っているので、マスコミの運営に全力を投入することがなかなか難しいのです。

師:在席の皆さんはほとんどこの状況であり、皆マスコミの仕事をしています。それはほかでもなく、自分で時間を適切に配分して、自分で判断してください。今はこういう状況です。もし生活の問題を解決する方法があれば、専属のスタッフを所有することができます。私は専属で広告営業をする人に給料を払ってよいとテレビ局に伝えました。正式な仕事として行ない、皆さんも安心して仕事に専念し、必ずこの道を切り開かなければなりません。ほかの業務も条件があれば、このように行なって良いのです。この条件がなければ、このように行なってはいけません。

 現在、神韻芸術団の公演の効果を皆さんも知っており、果たした作用も目にしました。数千人が劇場に入り、公演を見た後に必ず変化しました。ほかの真相を伝えるプロジェクトは通常このような即効を得ることができず、現在まだこの程度に達することができず、これほど多くの人を相手にすることもできません。芸術団の公演はこのような作用を果たすことができます。芸術団がこれほど大きな作用を果たすことができたのはもちろん、多くの方面でしっかり行なったからできたのです。それでは芸術団を多く作り、皆これをやりましょうと言う人がいます。それではいけません。ご存知のように、このことは財力と人的、物的の資源に関わっています。芸術団の俳優と子どもたちは確かにこの方面の条件を備えており、彼らの技術レベルはすさまじく向上しています。飛天学院の学生は教科の勉強も良くできており、ニューヨーク北部地区でほかの学校と比べて、教科の試験はトップの成績を収めました。(拍手) 勉強ができるだけでなく、訓練にも励んでおり、技能は著しく向上し、今は普通のアーティストよりレベルが高く、しかも短い期間でここまで達したのです。なぜこれができたのでしょうか? 一つは彼らが大法弟子であり、もう一つは教科の先生もダンスと音楽の先生も含めて、素晴らしい講師陣がいるからです。講師は専属で、毎日講義ばかり行なっています。この部分の大法弟子も家庭と仕事があるので、もし長期的にこのようにしていくなら、それではいけません。ご存知のように、ほかのプロジェクトは皆仕事の後の時間でやっており、家のことをやりながら、大法弟子の仕事をしており、これは影響されません。しかし、彼らはそうはいかないので、正式な給料がないといけません。さらに成人した俳優もいるので、莫大な費用がかかります。各地での公演の収入は芸術団全体の数百人のスタッフの給料をまかなうことができず、各地での公演の収入は給料の支払いには足りないのです。ほかの芸術団のように、スポンサーを探し、神韻の事務局を設立し、政府と企業にスポンサーを求めていこうとも考えています。これは非常に難しいことです。芸術団に少し収益があるように見えますが、まだまだ足りません。

弟子:神韻公演を見た常人が神韻の広告を中国大陸に持ち帰りました。先日中国から帰ってきて、大陸で四十数枚の真相資料を配ったと言いました。師父によろしくお伝えくださいと言われました。

師:人間を制御する邪悪の要素が多く消滅されればされるほど、人間は解放されます。目覚めた人は自分で分析し、迫害の真相と邪党を自らはっきりと認識するようになります。どちらが良いのか、どちらが悪いのか、人間はすぐ分かるようになります。人間の道徳がどこまで下落しても、人間はなんと言っても理性があり、良し悪しをわきまえることができ、徐々に目覚めるのです。

弟子:大紀元に対して収支のバランスが取れるようにという要求がありましたが、新唐人の経営に対して、私たち新唐人の大法弟子はどういう目標を設定すれば良いのでしょうか?

師:具体的なことはやはり皆さん自分で具体的に行なってください。あまりに具体的なことは師父に聞かないでください。皆さんがよく話し合って、私も責任者に言ってありますので、彼らはどのように行なうべきかを分かっています。

 師父はもうこれ以上話さないほうが良いと思います。皆さんに話し合うための時間を残さないといけません。今日は何と言っても法会ではなく、(皆笑って)私は皆さんに差し迫った問題について解答しただけです。ここまでにしましょう。ありがとうございます!(熱烈な拍手)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/8/15/206600.html)