■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/08/26/mh274694.html 



生前の司法武装警察官・李万云さんの迫害事実(写真)

(明慧日本)吉林省の法輪功修煉者・李万云さんは、在職時に何度も受章を受けた司法武装警察官で、妻・孫万梅さんも修煉者である。中国共産党が法輪功迫害を開始したと同時に、夫婦2人も不法に労働教養所へ送られて迫害を受け続けた。李さんは、長春市朝陽溝労働教養所で迫害され危篤状態に陥った。治療のための一時出所を要求したが、警官に恐喝されて嫌がらせを受け、一連の迫害に苦しめられた李万云さんは、2006年8月3日にこの世を去った。当時、警官に奪い取られた12000元のうち、未だに6000元しか返してもらっていない。
迫害で骨が見えるほど痩せこけ、危篤状態の李万云さん


 生前の李万云さんと妻が遭遇した迫害情況

 李万云さん(1962年9月8日生まれ)は、1988年に東北師範大学の体育学科を卒業。強くて体格のよい李さんは卒業後、長春興業監獄に管理員として配属された。1997年10月、長春で法輪功に出会って修煉をはじめてから、仕事面でも人格の面でも高い評価を得て「優秀管理員」という称号も得た。妻・孫万梅さんは1997年に法輪功の修煉を始める前には、病弱で主に神経性の頭痛で大変苦しみ、いろんな病院を回ってみたが良くならなかった。法輪功を修煉して間もなく、長い間苦しめられた身体が徐々に治り、軽やかな感じがして楽になった。しかも、『転法輪』という書籍に基づいて、善い人になるように心掛け、道徳心を向上させることを目指した。物事に対しては他人を優先に考え、矛盾に遭遇したら自らの内に向かって探した。そうすることで彼女の心の器は大きくなり心性も向上した。

 しかし、1999年7月20日から中共の江××氏集団は、法輪功迫害を開始し、マスコミなどを利用して法輪功を誹謗中傷するデマを流したほか、多くの法輪功修煉者達を逮捕して監禁した。法輪功修煉者である私は社会に真相を伝える責任があると感じ、国家のトップを信じて法輪功の無実とその素晴らしさを伝えに北京へ行った。江××氏の政権下では、自由に意見を発表することは許されないという環境下で、天安門広場や陳情局に多くの警官と、私服警官、特務が配備され、陳情しに来た人達を押し付けて連行した。孫万梅さんと夫もこのように逮捕され、不法に15日間拘留された。

 それから夫婦2人は、監視の対象となり、地元の公安局や、派出所、街道管理員の虐めや嫌がらせを受け、活動範囲も制限された。また、彼らは法輪功の修煉を諦めないことを理由に、職場から解雇されて仕事を失い、苦しい生活を送ることとなった。

 2000年、中共は何の罪もない李さん夫婦を労働教養所へ送った。2人は拷問と酷刑を加えられ苦難を受けつくした。夫の李さんは身体全身が傷だらけで化膿し、着服さえできなかった。この不法な拘禁は2000年11月まで続いた。

 帰された後も、中共による不審者などからの監視、嫌がらせが絶えず行われた。酷い迫害に耐えられず李さん家族は家を売却して、2001年末に田舎の公主嶺へ引っ越した。しかし、中共はすでに公主嶺公安局へ彼らを迫害するよう命令を下していた。

 2002年2月、孫万梅さんと夫は、公主嶺嶺西派出所の警官に連行された。その時、家を荒らされて12000元の預金通帳と、3000元余りの現金も奪い取られた。

 その後、2人は不法に3年の労働教養処分を科され、労働教養所でこの上ない虐待を嘗め尽くした。李さんは長春市朝陽溝労働教養所で残虐な酷刑を受けて身体が痛めつけられ骨髄炎まで発症した。こうして半身不随の身体になり、2003年6月に治療のための一時出所の許可を得たが、病院へ運ばれた時には、もう危篤状態で意識がなかった。それなのに、中共は家族から3000元の身代金を取って彼を釈放した。

 李さんは出所してから、法輪功の修煉を続けているうちに身体は好転した。そして、圧力を前にしても屈しない彼は、奪い取られた金を公安局へ取り返しに行った。それに対して、警官からの脅迫と言い逃れにも彼は動揺しなかった。最後に警官側は、12000元の預金通帳を奪い取ったことを認めたが、現金3000元は認めなかった。家族側の要求に対して、今まで3回に振り分けて6000元しか返却されていない。

 そして、李さんは監視されたり追放されたりの迫害をエスカレートさせた警官に虐められ、嫌がらせを受けて心身ともにぼろぼろになり、2006年8月3日に、無念な思いを晴らせないままこの世を去った。

 2009年8月26日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/8/22/206958.html

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