師父の言われた通りに行ない、師父と共に帰る(一)
(明慧日本)私は1997年に法輪功を修煉し始めました。古くからの弟子とも言え、私は師父のご加護の下で、さまざまな関門を乗り越え、今日に至るまで修煉し続けてきました。
一、大法が私の破綻した家庭を救ってくれた
私は、不幸な家庭から逃れるため、大法を学び始めました。私は主人とお見合いで知り合って結婚し、結婚後、私は主人の性格と正反対であることに気付き、日常生活の中で些細なことで常に口喧嘩していました。主人は性格が内向的で偏屈、口数も少なく、そのうえ夜遊び、女作りまで仕出かし、家庭に対して全く無関心、妻子に責任感もなく、一言で言えば、ふしだらな生活しか送っていませんでした。辛い家庭生活で、主人と三日に一回でも喧嘩しない日はありませんでした。そのうち、私は体を壊し、高血圧、心臓病などなどを患って、生活苦を嘗め尽くしてきた私は、生きる気力もなく、主人を殺したいほど憎んでいました。しかし、主人を殺したら自分も死刑にされ、子供の面倒を見る人がいなくなってしまうと考えるとできませんでした。私は毎日苦しくて、夢の中で泣き崩れ、目が覚めたことが常にありました。その頃、私は一人で仕事を抱えながら、幼い子供を背負って、凍った地面を踏んで遠い道を辿って送迎し続けていました。主人との確執は日増しに増え続け、挙句には離婚しました。離婚後、彼は引越しもせず、仕事もぜず、一つ屋根の下で別居状態で、彼まで養うはめに陥ってしまいました。
私は法輪功を修煉して半年経った頃、師父の説法のビデオを見ている時、師父が私に法輪を植え付けてくださいました。会社にいる時、すでに下腹部に法輪が回っているのを感じ、帰宅後、寝床に横なったときはさらに強く感じました。私はいつも涙ながらに『転法輪』を読みました。『転法輪』を読んでいると、本の色が変わってきて、最初はピンク色、次第に赤色に変化していき、しかも、文字から様々な小さな光が強く放たれ、経文を読むときは文字の周りが緑色でした。そのとき、私は思わず『転法輪』を頭上に掲げてひざまずき、「これは宝だ、天国からの贈り物だ、私の探し求めていた本だ」と涙を流して感激しました。
私は法輪功に出会うのが遅かったので、以前の行為を法に照らしてみると、千里もの差があり、たくさんの業を作ったと痛感しました。私は修煉者として、離婚したことは間違いだと気付きました。師父は私達に「人に親切し、何ごとにおいても人のことをまず考えるように」と教えくださいました。以前、私は離婚後の仕事を持てず収入のない主人を追い出そうとしていましたが、法輪功を始めた私は、彼を救うべき衆生として扱い、離婚した主人と再婚しました。大法が私の破綻した家庭を救ってくれました。
二、親子の情を放下し、法理において向上する
ある年、私は警察署の政保課と会社の人によって、留置場に強制連行された後、子供が私宛てに決別の手紙を送ってきました。手紙には、修煉しない保証書を書いて家に帰ること、もし修煉を続けるなら、自殺すると書かれていました。これは私の修煉に対する関門だ、決して従ってはいけないと悟りました。手紙を受け取る前日に、私は夢を見ました。夢の中で、とてつもなく大きな鬼が赤い目をして、私の行く道を塞いでいました。私はすぐに「師父、助けてー」と叫びました。すると、酒鬼が即座に動物に変わって、だんだん小さくなっていき、次第に見えなくなりました。私は、師父が鬼を消してくださったと悟りました。
師父は『転法輪』第4講の中で「修煉は、錬磨の中でこそしなければなりません。常人の持っている七情六欲を放棄することができるかどうか、それらに対して淡々としていられるかどうかが問題です。どうしてもそれらのものに執着するのであれば、修煉を成就することはできません。すべてのことには因果関係があります。人間はどうして人間でありうるのでしょうか? それは人間には情があり、人間は情のために生きているからです。肉親同士の情、男女の情、親の情、感情、友情など、何をするにしても情が重んじられ、情を切り離しては何ごともできません。やる気があるかどうか、気分が良いかどうか、愛しているのかそれとも憎んでいるのか、とにかく人間社会のすべてのことが情から出ています。この情を断ち切らなければ、修煉することはできません。情から抜け出すことができれば、誰もあなたを動揺させることができず、常人の心があなたを動かすことは不可能となります。それに取って代わるものは慈悲の心であり、より高尚なものです」とおっしゃいました。
私は絶対に師父のおっしゃった通りに行ない、親子の情の練磨を乗り越え、執着を捨てようと決心しました。手紙を受け取って三日目、子供と父方の叔母さんが拘置所にいる私を見に来てくれました。子供は「手紙は父さんと叔母さんに言われて書いたの、私は自殺なんかするもんですか、母さんは心配せずに、やるべきことやったらいいですよ」と言ってくれました。これもまた師父の助けによって、親子の情の関門を乗り越えました。
2000年、子供が大学に通っていた時期、私は法輪功を修煉しているため会社から解雇されました。主人は仕事を持てず、収入がない上、貯金もなく、毎月わずか198元で生活をまかない、とても苦しく感じました。
私は師父が『転法輪』第9講の中で「苦の中の苦に耐えるとはどういうことでしょうか?わたしが『人間は苦の中の苦に耐えられなければならない』と言ったのは、もちろん必ずしもこういう形とは限りません」とおっしゃいました。
私は、どんなに苦しいことに遭おうとも、修煉をやめない、師父のご加護の下で、大法に照らして、修煉を必ず続けようと決心しました。それ以来、私は仕事を探し始めました。一年経っても見つからず、子供の学費はすべて借りたお金で工面しました。仕方なく、マンションを売って、借金の返済と学費に当てました。私はエアコンのない部屋を借り、冬になると、寒くても心は温かく感じました。その後、会社の上司は私に、修煉をやめたら仕事に復帰してもいいと言いましたが、私はきっぱり辞退しました。そして、私は経済上の関門を乗り越えました。
(続く)
2009年8月27日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/7/12/203884.html)
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