薬局経営者、迫害された経験を語る
文/丁海栄
(明慧日本)私は2006年11月5日に吉林市船営区黄旗街派出所の楊立柱らに強制連行された。当時私は46歳だった。午後4時頃、楊立柱等の4人の警官が不法に薬局に押し入り、「社会治安を掻き乱す」という不確かな罪名で私を強制連行した。私は薬局で顧客に真相を伝え、真相資料を配っていたからだ。彼らは薬局の中をひっくりかえし、法輪功の書籍、師父の広州における説法DVD2セット及び「明慧週刊」や「正見週刊」などの雑誌までもすべて奪ってしまった。
彼らは私を派出所に強制連行して、資料の出処を聞いたが私は答えず、私にサインを要求したが応じなかった。夜8時頃に私は船営支局の地下室に送られ、そこで2日間連続して鉄かごに閉じ込められ、食べることも飲むこともできなかった。11月7日夜5時頃、私はまた吉林省の留置場に移送され、27日間拘束された後、長春黒嘴子労働教養所に送られて1年の迫害を受けた。
労働教養所では、警察官に「五書」を書くことを強いて、法輪功修煉を諦めさせようとしていたが、私は修煉を放棄せず「五書」を書かないことで隊長に罵られながら往復びんたで猛打された。にもかかわらず、私はどうしても修煉をあきらめなかった。
労働教養所では毎日肉体労働をしなければならず、ノルマを達成できなければ、夜遅くまで残業しなければならなかった。辛酸と疲労のため1日が1年ほどに長く感じて苦難に満ちた日々を過ごした。この時、不法に労働教養されていた私のおじいさん(祖母の兄弟)が迫害により脳出血になり、吉林市病院で19日間応急手当を受けたが、命を取りとめられず亡くなった。まだ67歳だった。当時親戚らは私に衝撃を与えないようにこのことを知らせてくれなかった。2007年8月に娘が私に会いに来た時、「お母さん、これからおじいさんに会えなくなる」と泣きながら私に告げた。娘は子供の頃からおじいさんひとりに育てられ、一緒に20数年間暮らしてきた為、突然目の前から消えてしまうと、どうしてもこの残酷な現実を受け入れることができなかった。彼女は「自転車に乗っている年寄りを見るとおじいさんのことを思い出す」と話した。
理不尽な1年の労働教養のせいで、薬局は正常に営業できなくなった。妹は毎週水曜日に私に会いに来た時、いつも泣き出した。「姉のことをとても心配している。薬局のことも心配している。戻って来なければ薬局は閉店になってしまうかもしれない」 こうして私はやっと2007年11月11日に家に戻った。
2009年8月28日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/8/25/207140.html)
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