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全体に溶け込む体験


文/黒龍江省の大法弟子

 (明慧日本)これまでの修煉の中で、私はほとんど「独修」の状態でいました。ずっと地元での資料を提供していましたが、2、3人の同修としか連絡しておらず、しかも資料を渡す時しか顔を合わせませんでした。私はずっと以上のようなやりかたが良いと思っていました。皆と共に法を学ぶのは面倒だし、個人の場合は、自分が好きな方法で、好きな時間帯に法を学ぶことができ、そして、交流にもあまり興味はないし、自己満足で、次元が高まる環境をなくしていました。

 集団学法に参加し、全体に溶け込んでほしいと、何度も同修に言われましたが、私はいつも断っていました。私は、自分一人でも勉強でき、仕事があり、子供もおり、時間的に皆と合わないという口実で、再三同修の好意を断り、次元を高める機会を逃がしました。

 このような状態は2008年の夏、つまり、北京五輪が開催する直前までずっと続いていました。突然襲ってきた災難が私を変えました。五輪開催の一ヶ月前、私の勤務先に「610弁公室」が急に私に「関心」を示し、何度も私の所属部門のリーダをー訪れ、騙したり脅したりし、私を監視しようとしました。リーダーは騙されて怖くなり、両親に電話をかけて、私を厳しく監視するよう要求しました。しばらく、邪悪な勢いが猛烈に襲ってきて、家の環境も厳しくなりました。

 このようなことが起きたのは私にとって意外でした。なぜなら、この2年間、私はほとんど嫌がらせをされなかったからです。資料を作り、渡すことは固定の形式になり、社会が平和になったかのようで、用心せず、慣れっこになっていました。しかも、平日法をしっかり勉強しておらず、危険に晒された時は、慌ててどうしようもないのです。時間を切り詰めて法を勉強し、高頻度で正念を発することしか考え出せませんでした。

 しかし、私が思いも寄らなかったことは、周辺の同修達は私のことを知り、すぐさま行動し、正念を発したり、交流に来たりし、私のことは皆のことだと見なしていたのです。平素、私は皆とあまり交流していませんでしたが、私を助けて資料のことを改めて按配し、また、私に落ち着いて法を勉強させ、内に向けて探させ、引き続き私を励まし、難関を乗り越えるように助けてくれました。ある年配の同修が「忘れないで、皆がいるから、孤独と思わないで」と話てくれ、私は涙が流れました。

 これほど多くの同修がいることを私は思いもつきませんでした。非難せず、文句も言わず、押し付けもなく、みんなはすべて私に関心を持ち、黙々と、できるだけ私を助けてくれました。

 私は内に向けて反省しました。地元で嫌がらせをされた人は私一人だけでした。私の資料を直接受け取るその同修は、地元で有名な刑務所に入ったこともあり、地元の悪辣な警察らがみんな彼女を知っており、私の勤務先のリーダーも彼女のことに言及したことがあり、彼女は私と一緒に資料の仕事を担当していたのに、嫌がらせをされなかったのです。私だけが嫌がらせをされました。それはなぜでしょうか。皆と交流して原因が初めて分かりました。長い間、私は全体から離れていて、邪悪に隙に乗じられました。これが主な原因です。

 夜寝ている時、私は次のような夢を見ました。悪辣な警官は私の家に侵入し、書籍や資料を没収し、私を強制連行しようとしました。私は心が落ち着かず、動揺しそうな時、ドアを叩く音が聞こえました。ドアが開くと、外は同修でいっぱいでした。「あなた達はここに来て何をするつもりですか。自らこんな状況の中を入ってくるなんて」と、私は焦って聞いたら、先頭にいた年配の同修は、「私達は正念を発して助けます」と厳粛に言いました。……目が覚めると、私は感動し、そして恥ずかしく思いました。同修達は引き続き次元を高めているのに、私は皆と離れ、個人の枠の中に陥って、安逸を求め、各種の執着に邪魔され、さらに「情」の道で大回りし、計れないほどの損失を蒙りました。

 もちろん、このような良い同修達の助けにより、邪悪が自ずと退き、無事済みました。また、同修達は「資料・技術学法グループ」を設立し、わたしはそれから集団の学法に参加するようになりました。

 集団学法に入ってから現在まで、まだ長くないのですが、私は多く実感しました。同修は鏡のようで、私に自分の多くの不足を見せ、気を緩めようとしても緩められないのです。同修との間にトラブルもあり、見方もそれぞれであり、これらはすべて自分を高める機会で、個人の「独修」の状態下ではこのような良い環境がないのです。

 皆と共に学法し、交流することにより、自分が今までいかに浅い考えだったのか、いかにうぬぼれていたのかが分かりました。私たち大法弟子は一つの全体であり、「全体」の意義をもっと深く認識しました。例えば、今回の投稿、これも全体に溶け込み、邪悪を滅するチャンスではないでしょうか。

 2009年8月29日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/8/24/207078.html

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