■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/08/29/mh301845.html 



人を傷つけ、自分も傷つける嫉妬心を捨てる

文/中国河北の大法弟子

(明慧日本)以前、自分には嫉妬心がないと思っていました。師父の嫉妬心に関する説法を何十回も学びましたが、嫉妬心を探し当てることができませんでした。法を学ぶ時いつも形だけで終わってしまい、詳しく法に照らして探さなかったので、今まで嫉妬心を認識することができませんでした。

  実際、この嫉妬心が私の思考の中に根を張り、自分で気付くことができませんでした。最近、いつも一緒にいる甲同修のある態度がきっかけで、私は内へ向かってこの嫉妬心を探し当てることができました。嫉妬心を根っこから取り除かなければならない時が来たのかもしれません。甲同修と私はいつもグループ学法をし、協力して衆生を救い済度しています。しかし、私たちの心の間隔はとても大きく、表面的には良く協調しているように見えますが、いつも心の中でお互いに負けたくありませんでした。長い間、ずっとこの状態のままでした。ある時少し和らいだように見えますが、根本的にはそんなに良くなっていませんでした。

  甲同修は数十ムー(土地面積の単位)の杏の畑を請け負っていますので、収穫の季節になると、甲同修はいたるところで同修に杏の収穫を手伝ってほしいと探しています。地元の村や他の村でも、知っている人ならすべて声をかけました。他の村のある乙同修は身体の調子が良くないのに、ちょうどグループ学法に参加しており、みんな学法が終わると、乙同修の身体が良くなるように発正念をしました。しかし、乙同修が家に帰ろうとするとき、甲同修は乙同修に明日一緒に杏を収穫しませんかと誘いました。乙同修は身体の状態が良くないにもかかわらず、同意しました。地元の村の他の同修も誘いました。

  去年、オリンピックが開催されたあと、多くの同修が影響を受け、そのうちたくさんの人が修煉しなくなりました。私はそれらの人とそれぞれ切磋し、交流をして、彼らの多くはこの圧力を乗り越え、修煉の道に戻ることができました。甲同修は彼らにも杏の収穫を手伝うよう声をかけました。これを知って、私は少し不満に思いました。あなたは本当に人を利用するのが好きですね! あなたに地元の村の同修を少し助けるように言ったのに、喜んで助けようとしない。あなたが見終わった週刊を彼らに届けるようにと何度言っても送ろうとしない、送ったのはすべて私です。その上、あなたは同修に常人の仕事を頼むのですね。それに、乙同修の身体の調子は良くないのに、相手の身体のことも考えずに、よくも頼めたね! あなたは大法弟子の善良な一面を利用して、大法の隙を狙っているのではないか? と思いました。非常に不満に思い、腹立たしくなりとても辛くなりました。

 週1回、よその地域の同修と学法をしています。同修とこの事を交流した後、ある同修は『二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法』での質問を私に聞かせました。

  「弟子:真相を伝えるときに出会った常人は大法弟子の誰それと知り合いですが、その弟子が普通の常人よりも劣っており、口では良いことを言っていますが、行いはよくできていないと言っています。

 師:こういう話は私も聞いたことがあります。行いが大法弟子らしくなければ、旧勢力が望んでいる作用を果たすことになり、危険です。しかし、この話を聞いた人も自分を考えてほしいと思います。私の話が分かったのでしょうか?」

 師父は聞いた人も自分のことを考えるべきと私たちに言われました。まさか、私に何かのよくない心があるとはわからず、どうしても探し当てることができませんでした。同修は「あなたには嫉妬心があるのではないですか?」と言いました。この一言が私を悟らせてくれました、私に強烈な嫉妬心があったのか? 今まで意識することができませんでした。

 この問題で、念入りに内へ向かって探し、もう一度『転法輪』の嫉妬心に関する法を学びました。探さないとわからないのですが、いざ探すと驚いてしまいました。もともと不満に思うとき、怒るとき、陰で他人の悪口を言うときなどはすべて嫉妬心の現れだと分かりました。

 嫉妬心の現れだと知った後、自分にたくさんの問題があることが見えました。以前、同修とよく協調ができていない主な原因は私の嫉妬心が引き起こしていたのです。トラブルに遭った時、内へ向かって探さず、修めず、外へ向かって探し、他人の不足を探していました。さらに、相手に不平を言い、責任を負わせ、そして不満に思います。これは修煉者の現れでしょうか? たとえば、他人を手伝うとき、他人に良いことをしたので、同じ分を相手が報いるべきだと思っていました。しかし、相手がそうしないとき、感謝しないとき、不満に思ってしまい、「あなたは良心をもっていないのか?」と思っていました。逆に、それが心性を向上させるよい機会と思わないのです、内心から怒らず、逆に相手に感謝を言うことができないのです。もし本当にできたら、嫉妬心は自然に捨てることができるに違いありません。

 この執着心を探し当ててから、不満に思い、負けたくない気がするとき、自分に注意することができ、すぐに意識することができるので、注意深く修めて捨てることができるのです。他人が私に良くないと話すとき、前と違って怒らなくなり、逆に穏やかに接することができるようになりました。自分が前よりやさしくなったと気付きました。周辺のすべての人に対してやさしくなり、恨みの心がなくなりました。同修に会うと、何事も起こらなかったようでした。そして、同修は前よりやさしくなりました、もともと私の心が起こしたことでした。真相を伝えるときのエネルギーの力が大きくなりました。師父の経文である『精進要旨』の「境界」をより新しく理解しました。

 嫉妬心を悟ってから、身体全体が軽くなりました。もしかすると、慈悲なる師父が良くない物質を取り除いてくださったのかもしれません。以上、私たちは必ず嫉妬心の重大さ、危険性を知り、嫉妬心の本質を認識すべきで、私たちは必ず自分を傷つけ、他人を傷つけてしまう嫉妬心を捨てるべきです。

  2009年8月29日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/8/24/207071.html

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