仕事を探すうえで旧い観念を取り除く
(明慧日本)一年前、私は邪悪の魔窟から脱出しました。それによって、ずっと家に帰れず普通に働くこともできませんでした。そして、子供が大学に進学することもあって、生活がとても困難な状態に陥り、時には同修から寄付ももらっていました。私自身はいつも、修煉に影響を与えず、しかも稼げる仕事を探したいと思っていましたが、なかなか見つかりませんでした。稼ぐことに焦っているため、私の利益に対する執着心が強く、同修にもよく言われていました。自分自身もこの利益を求める心は良くない、それを取り除こうと決意しましたが、やはりときどき湧いてきます。とくに最近、生活にも危機が及んでいるので、余計に利益を求める心が膨らみました。おそらく、この状態は私一人のケースではなく、多くの同修にも似たような経験があるかもしれません。ただ対処する時の心の状態が異なっているのだと思います。
この執着心を取り除くため、私は今日は外に行かず、しっかり法を学び、正時になると発正念をして、大法弟子に経済面で迫害する要素を一掃すると念じていました。徐々に、最近少しずつ悟った法理がはっきりとしてきました。
偶然にも私は仕事が見つかりました。住んでいる場所と近くて、歩いても数分しかかかりません。この付近にも同じく経済的に困っている同修が何人かいるので、私は彼らに、皆で一緒に会社からある仕事を請け負ってやらないかと相談しました。しかし、他の同修は皆、仕事が終わっても報酬をもらえないことを心配し、応じませんでした。そして、この仕事は、皆で協力し合わなければできない仕事なのです。
同修の考えに対して、私の意見は異なっていましたが、法理に基づいて説得することもできませんでした。今日、心を静めて考えてみました。多くの大法弟子が生活に困っているので、私たちは真剣に内に向かって探し、自分の漏れは何かを考える必要があるのではないでしょうか? 覚者としての一念はとても重要であり、このことについて師父は説法の中でもよく説いておられます。しかし、私たち修煉者はこのことについて誰が深く考えていますか? どれだけの同修が常に神の念を持って後天の観念を抑制し、自分とこの全体に損失をもたらせないようにしているでしょうか? 「以前既に話しましたが、実は常人社会で起きた全ては今日においても、皆大法弟子の心によって促成されたのです。」(『二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法』)と師父は説いておられます。これらのことは、心が正しくないため引き起こされたことであり、後天の観念が神の念に代わって卑しい鬼を呼んでしまい、さらに旧勢力に迫害の口実を与えてしまったと思いました。
修煉は執着心を取り除く過程であり、自分自身を浄化し、後天の観念を取り除く過程でもあります。私たちは師父に従って下へ下へと降りてきたと同時に、下の物質空間に一層一層で埋まっているのです。その中で、先天の本性は後天の観念に埋められたのであり、今日の修煉自体、この後天の観念を取り除き、本性へ戻ることなのです。私たちはただいつも正念を持って、後天の観念を抑制して初めて、師父の『心自明』の中で説かれた「執着を放下して軽舟快(はや)し」になることができ、返本帰真の道を歩むことができるのです
先の仕事の件を例にしましょう。皆は働いても報酬がもらず、無駄に働くこと心配しています。軽く言いだした話で、誰もがどんな結果につながるかを考えてもみませんでした。良し悪しは一念によるものだと皆分かっています。特に、法輪大法を修煉する人はなおさらでしょう。しかし、まずこの結果を定めてしまいました。まだ、常人は皆そうだ、皆悪くなっていると言いますが、実はそうではなく、やはり心の良い人もたくさんいます。師父は『洪吟二』の中で「自己に非(あらざ)るを切り捨て」とおっしゃいました。その自己に非ずというのは、私は後天の観念だと理解しています。日常生活と仕事において、なんとなく後天の観念に左右されて気づきません。修煉途中に泥沼にはまり、一歩進むだけでも相当な力が必要であり、中に陥って抜け出せないのです。観念は山のように前にそびえており、絶えず人心を放下して初めて、この山を乗り越えることができるのです。物欲が横行している現世で、後天の観念は修煉者の本性を覆い隠しており、修煉者を常人社会で迷わせています。また、観念は旧勢力が迫害を実施するうえで一番使いやすい手段です。少しでも油断すると、邪悪がすぐに隙に乗じて迫害します。もし、私たちがそれを乗り越えたら、このこと自体、私たち修煉者が威徳を樹立することにもなります。絶えず人心を取り除き、自己の後天の観念を切り捨ててこそ、私たちは先天の本性に帰ることができるのです。この後天のものを切り捨てて初めて漏れのない覚者になります。修煉者の私たちは多くの場合、この観念に左右されたため、まっすぐに歩むことができず、一歩を進むのにも巨大な代償が必要となってしまいます。
修煉の過程で起きたたくさんの難関は、すべて自分の観念が引き起こしたものです。多くの場合は見分けられず、自分の先天の考えだと思ってしまいます。迫害が始まったとき、魔の首魁は三つの迫害政策を出しました。その一つは「経済を破綻させる」ということです。これは高次元の旧勢力の按排であり、私たちは徹底的に否定すべきです。しかし、私たちの考えは隙に乗じられました。例えば先の仕事の話ですが、無駄に働くことになり報酬がもらえないだろう、という念は正しいでしょうか? 心配、恐れることは執着ではないでしょうか? 失うなければ得られずなので、私たちが汗をかいて稼いだぶんの報酬はもらうべきです。もし、その時に本当にもらえなかったら、きっと因縁関係に関わっています。さもなければ法が許しません。しかも、修煉者の場は不正の要素を正すことができるので、悪い心を持っている常人を、私たちの善念で溶かすことができるはずです。その人に失と得の理を教え、真にその人のために考えれば、きっとその人の善良な心が感じ、罪を犯さなくなるはずです。皆それぞれ佛性と魔性の両方を持っているのですから。
修煉者の考えはいつも法に従い、常に正念を持つべきで、自分の修煉になるべく人為的な障碍をもたらさないようにすべきです。
今の次元に限った認識であり、慈悲なるご指摘をお願いします。
2009年9月1日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/8/24/207079.html)
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