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人間になって心身ともに苦しく、大法を修煉して師恩の重みを知る(一)

(明慧日本)私は、第379期の『明慧週刊』で「8年間迷った末、戻ってきた」という文章を読んで深く感銘しました。そして、自分の修煉の過程を書き出し、師父がかつて大法に出会っても修煉を続けられなかった人を見捨てられない慈悲を悟るべきだと強く思いました。

 私は1998年、13歳のとき、母の勧めで修煉を始めました。母は気が強く、性格も悪く、幼い私の前で、両親はよく喧嘩をしました。私と弟は叩かれたり、怒鳴られたりすることが日常茶飯事でした。ある日、母は近所の人から法輪功はとてもよい気功で、心が爽快になり、健康な体を得て、良い人間になることができると薦められ、すぐに『転法輪』の本を大事に持って帰ってきました。

 修煉してから、母はまるで別人になったように優しくなり、父とも喧嘩しませんでした。修煉前の母は小言が多く、神様は不公平だと言っていましたが、修煉後の母はそんなことを言わなくなり、すぐ怒ったりもしません。家族は毎日楽しそうな母を見て、周りも穏やかな気分になり、こんな幸せな家庭が得られたのはすべて大法のおかげだと感じました。

 当時、私は鼻の炎症を患っており、息をするときに苦しく、薬を飲んでも、現状を維持することしかできませんでした。学校に通って手術をする時間もないので、仕方なく母は私を連れて大煉功に参加しました。いまだに私は、下腹に初めて両手を重ねた時の感覚を覚えていて、掌と下腹が熱くなり、強いエネルギーを感じました。それ以来、煉功するたびに、鼻がすっきりし、息もしやすくなりましたが、当時は大法を読んでも、その訳をよく理解できませんでした。

 私が大法を修煉してまもなく、中国共産党の法輪功への弾圧が始まりました。いわれのない弾圧に、私はどうしたらいいか分かりませんでした。母は北京に陳情に行きましたが、なんと不法に逮捕され、現地の留置場に入れられました。母は留置場から出た後、同修と連絡を取らず、閉鎖的になりました。こんな状況で、私は、その後10年間に出た経文を目にすることができませんでした。北京で仕事をしたときに、私は好きな人ができました。私は遠くの県に離れていた彼のために、修煉を放棄してしまいました。

 2008年、私は家で母と過ごし、彼と交際できないため、電話での口論がますます増えてきました。修煉を放棄した私は、内に向けて探すどころか、感情に流れるまま、性格が悪くなる一方でした。私はたまに師父の『洪吟』の「人を做す」にある「情を為る者は自ら煩悩を尋ね 苦しく闘い相って業を造ること一生」を思い出しましたが、彼のため修煉を放棄したことは間違いだと知りながら、彼への感情を断ち切ることができませんでした。

 往々にして、人は執着すればするほど、手に入らないものです。私は彼のために、修煉を放棄したのに、彼は私を裏切りました。これはまさに、大きな打撃で耐えられませんでした。これまでの人生を振り返ってみると、情のおかげで私の人生は辛酸と悲痛を味わい尽くしました。私の運命はなぜこうなったのでしょう、業を返すためだったのでしょうか?

 こんな絶望の中で、電話が鳴りました。法輪功の真相の説明と脱退を勧める電話で、その声はいまだに忘れられない、とても平和で善良で親切な声でした。これは偶然とは思えません。以前、同修達が脱退を勧めに来たとき、私は理解できず、政治に参加していると言い返しました。この電話のおかげで、「師父だけが私を救ってくださる」という考えが頭に浮かびました。

 その後、私は大法の書籍を保管してくれた同修の家に行きましたが、書籍を持って帰ることができませんでした。同修が私を慰め、法理において交流してから、私はMP3に説法を入れることに決めました。常人の歌を消し、師父の説法を入れました。当時の心性は低く、1週間かけても、1講を聞き終えることができませんでした。そのうち、大法の録音を入れたMP3を聞いているところを弟に見つかり、弟がMP3を地面に投げ捨てました。私はびっくりしましたが、弟を責めませんでした。逆に、自分の大法に対する敬意が不十分だった、恐怖心を捨てて、大法の書籍を正々堂々と持って帰るべきだったと悟りました。

 私は大法の書籍を持って帰りましたが、父は何もいわず、しかも、弟に「勝手に触らないように」と注意しました。そうです、自分に正念さえあれば、誰かが何をしようと思ってもできないでしょう。私は久しぶりに、『転法輪』を手にして開いてみると、「常人社会に来ている間は、ちょうどホテルに泊まるようなもので、しばらく滞在したら、たちまち去っていくと言われます。ところがこんな場所に未練がありすぎて、自分の家を忘れてしまっている人がどうしてもいるものです」という部分が目に入りました。

 私の心は明るく広々としてきました。長い間、心に積もった重い気持ちがさっとなくなり、快い気分を久しぶりに味わいました。心の中で、意気地なしの小弟子だった私を見捨てられなかった師父に感謝しました。そして、新たに大法を修煉することは、人生において私が歩むべき道だと悟りました。

 しかし、私が父に再び法輪功を学び始めたと言うと、父は強く阻止し、「母さんが逝ったばかりなのに、修煉したら、父さんの命までなくなるよ」と言いました。私は涙を浮かべて釈明しました。「もし、私が少しでも早く悟っていたら、少しでも、大法の修煉に早く戻っていたら、母さんはそんなことにならなかったかもしれない。私はこれ以上、間違いを重ねたくないのです」というと、父は「家で煉功や発正念をしないようにしてくれ」と哀願しました。しかし、私はこれは旧勢力が父を利用して、私の修煉を妨害しようとしていると分かったので、気にしませんでした。一度修煉をやめた過ちがあったので、今度こそ、だれも私の修煉を妨害することができない、私の決心がこんなに堅いので、師父が必ず助けてくださると信じました。

 現地の協調人は、私に1999年以降に出た経文を渡してくれました。私は飢えた子供のように読み始めました。師父は私の傍らにおられるかのように、私の心底の一つ一つの結び目や、一つ一つの困惑を解いてくださいました。涙も一回また一回とあふれました。

 (続く)

 2009年9月3日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/8/23/206949.html

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