法の勉強をしっかり行う
文/豪州の大法弟子
(明慧日本)多くの体験談の中で同修たちも言及していますが、今日の法を正す時期において、大法弟子は神の状態で法を実証する必要があります。そうしてはじめて、衆生を済度することがさらに神聖なものとなり、さらに多くの衆生を救うことができます。
神の状態とは、長期にわたる精進から生じるもので、一歩一歩の積み重ねであり、自分が神の状態になればなるほど、人間の状態が少なくなることを体得しました。それでは、どうすれば自分の正念を増強し、神の状態を多くすることができるでしょうか?
『転法輪』では功が伸びない二つの原因について次のように述べています。「高次元の法が分からないために修煉ができないことと、内へ向かって修煉せず、心性を修煉しないので、功が伸びないのです。この二つが原因です」 高次元の法を知りたければ、われわれはこの法をしっかり学ばなければなりません。
10数年の修煉の中で、今でも記憶に新しい出来事があります。それは1998年頃のことでした。当時、私は北京に住んでおり、仕事が終わると同修の家に行き、学法をしていました。その同修は家族全員が修煉しており、毎週2回のグループ学法を行っていました。学法は夜の7時半から始まるのですが、私は仕事が忙しく、いつも20分ほど遅れて行きました。ドアをノックすると、誰かがドアを開けてくれるのですが、何も言わず、ただお互い会釈をするだけで、私に座る場所を示してくれるのです。その学法グループは10人ほどで、1人ずつ法を読むのですが、読むスピードもゆっくりでした。毎回私が遅れて行っても、誰1人顔を上げて私を見る人はなく、本から目を離して私を見る人はいませんでした。
まるで何も起きていないかのように、1人1人が端正に座ったまま、本を読むだけで、異常なほど静かなのです。1本の針が落ちても聞こえるほどで、座って少し動いただけでその静けさを壊してしまいそうでした。毎回その場に入ると、私は自分の心身がすぐその場に溶け込む感じがして、静かに座り、何の音も立てたくないのでした。座ってからは自分でも動きたくなくなり、一心不乱に本を見つめて読むだけです。1時間あまりの時間ですが、身体のどこかがかゆくてかいてみたり、服を直してみたりすることもないのです。本当に神が法を学んでいるような感じでした。
今、私たちの学法の状態を見てみると、多くの不足点を見つけることができます。例えば、座っている姿勢が正しくない人もいれば、足を組んでいる人もおり、しばらく読んでのどが渇くと何かを飲む人もいる・・・などなど。本当に自分が神の状態で学法をしていれば、このようなことはないと思います。
『転法輪』の第5講では次のように述べています。「釈迦牟尼は正念を重んじています。自分が修煉しているその法門の世界を本当に震動させるほど、一心不乱に読経して、はじめて覚者を招くことができます。その覚者の法身の一つが佛像に降りてはじめて開眼する目的が達成されることになります」 もし、私たちが「一心不乱に読経」することができなければ、本の中の文字の背後にいる佛道神はどうやって啓示を与えてくれるでしょうか? どうやってもっと高い次元の法理を教えてくれるでしょうか? そうなると、われわれはどうやって法に対する理性的な認識を昇華させることができるでしょうか?
また、長期にこのような良い状態で学法を続けていると、大法の仕事の時も純粋で清浄な心理状態を保つことができ、純正な場を保つことにも気を配ることができるのです。例えば目下、海外の大法弟子は多くのプロジェクトを抱えていますが、毎回大規模な大法の活動を行うとき、純正な心を保つよう気をつけることができます。周りの同修が常人の話をすると、すぐにその場の調和が取れなくなり、このようなときにはチケットの販売や「三退」を勧める効果もすぐに落ちてしまうのです。
2009年9月3日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/8/30/207391.html)
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