■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/09/03/mh043143.html 



執着を取り除いて早く成熟しよう
ー師父の評注文章「片付けよ」を拝読した感想

(明慧日本)「皆さんがみな成熟するようになったら、次の段階がはじまります。」これは『放任しないように、鬼を招かないように』という文章について、師父が評注された中の最後の言葉です。私はこれを読むと心の奥深くが痛みます。師父は宇宙の衆生を救い済度するため、弟子たちの修煉を指導するため、弟子たちの成熟を待つため、どれぐらいの苦難を受けておられるのでしょうか?

 師に遵って法を正し、衆生を救うためネットを開設しましたが、結局目的に達成できなかった同修たちに対して、師父は法理を説かれ、彼らの不正なものを片づけられ、彼らが早く成熟できるよう期待しておられます。実際、これは全て大法弟子に対する期待だと思います。

 私たちはそれぞれ、ある程度の執着を抱いていますから、法を正す過程を妨害しています。少ない執着は何日か妨害し、重い執着あるいは皆が同じ執着を抱いている場合は、何か月、何年と妨害したかもしれません。

 数年前、多くの大法弟子は中共の「十六回大会」に執着していた時、「中国共産党の第十六回党大会が開かれる前、中国のあの魔の首魁、人類のこのくずが位を退けば、大法が名誉挽回されるのではないかと多くの修煉者は思ったのです。」、「旧勢力にもそれが見えました。旧勢力はそれがとんでもないことだと思い、党大会の結果を更に悪くしました。」、「実は常人社会で起きた全ては今日においても、皆大法弟子の心によって促成されたのです。」(『各地での説法二・2002年米国フィラデルフィア法会での説法』)と説かれています。中共の「十六回大会」に対し、私たち大法弟子の人心は、自分たちに困難をもたらしました。2007年、2008年に多くの大法弟子は北京オリンピックの開催に執着していた時、旧勢力は大法弟子の人心が見え、邪党に見栄を張って派手にさせ、また邪悪に多くの大法弟子を迫害させました。大法弟子の人心がどんな逆効果をもたらしたのでしょうか?

 もし、大法弟子が師父の教えを聞き、正しい念、正しい行いで、師父の要求に基づき、執着せず、求めず、三つのことをしっかり行えば、迫害はとっくに終わっていたかもしれません。大法弟子の人心は邪悪を招き、邪悪を滋養し、邪悪に迫害の口実を与え、師父が迫害を終える時間を長引かせてしまいました。師父はこれらを見て心を痛め、迫害を終えようとされましたが、人心を重く抱いている多くの弟子がまだおり、千万年も待ち、永遠に二度とない回帰の機縁を失おうとしているため、師父は巨大な苦難を受けることで時間を延ばされ、待っていらっしゃいます。しかし、永遠に待つことはできません。「片付けよ」の中で師父は「もう長い間あなたたちを待っていました。」とおっしゃいました。

 私たちは早く成熟すべきだと思います。師父は成熟するように私たちを何度も励まされました。多くの時、私たちは本当に未熟の状態でした。1999年に迫害が始まった時、私たちの未熟さは修煉過程の一つ段階でしたが、今、師父は法理をこんなに詳しく教えてくださったのですから、私たちはまだ迫害開始の時の状態にあるべきでしょうか?

 私たちは早く修煉すべきだと思います。人心が現れた時、法理をはっきり理解できない時、修煉者ですから、大法を勉強すれば、師父の法理は私たちの人心のこの硬い殻を剥いでくださいます。そして、私たちにこの人心を認識させてくださいます。私たちは時々、自分の人心が現れた時に人心が揺れ動き、執着してしまいます。法で自分を正させないことは自分を修煉していないことです。さらに明確に言えば、まだ修煉ができていないのです。私たちは早く成熟すれば、師父の苦難を減らすことができ、より安心していただくことができます。

 しかし、現在の状況から見て、大陸の相当な部分の同修は、邪党の十六回大会やオリンピックなどに執着したように、邪党の60周年といわゆる敏感日に執着しています。強烈な恐怖心の中で正しくない道を歩んでいます。一部の同修は、お互いに気を付けようと言い聞かせ、一部の同修は大法のものを収め、ある同修は真相を伝えることにあまり出て来なくなり、ある同修は、同修に会うと話さなくなり、ある煉功場は解散してしまいました。 

 ここに1つ厳重な問題があります。私たちは師父の教えを聞くのか、それとも邪悪のものを聞くのか、ということです。師父の教えを聞けば、法で自分を正し、強い正念があれば、邪悪を解体させることができます。悪人の背後にある邪悪の要素を排除させたら、悪人は悪いことができなくなって救われるかもしれません。恐怖心に動かされたら、あれこれと疑い、自分の心より魔が生じ、雀の涙のような邪悪の要素を神仏より大きいのだとみなしています。私たちは師父の『転法輪』に言及された(水の滴る音が聞こえて自分の血が流れているように錯覚し、しばらくすると死んでしまった)あの人のようになってはいけません。

 正念があれば、師父はどんなことでも助けてくださり、あなたは手や足や口を動かすでけなのです。多くの実例から明らかになったことは、旧勢力は正しい念、正しい行いの大法弟子を恐れて迫害をしないということです。

 中共のいわゆる60周年の日が近づきました。私たちはまさか以前のように人心で旧勢力の迫害を求めるのでしょうか。私たちがどのように成熟していくか、実践に移すべきです。もちろん理智、知恵も大事なことで、常人の中での安全にも注意すべきです。師父は『二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法』の中で次のようにおっしゃいました。「私は皆さんがすぐに成熟し、すぐに理性的になり、それによってこのことを短い間に終わらせてほしいと本当に心から期待しています。」 師父の弟子として、私たちは誰も師父が迫害を終えることを妨害したくはないでしょう。

 2009年9月3日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/8/27/207226.html

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