同修の間に起きる問題の対処について
(明慧日本)私の周りの一部の同修は、本来なら互いにうまく協力し合えるはずなのに、心性が向上できなかったためにトラブルを起こしてしまいました。同修たちはそのことで心が落ち着かず、他の同修に愚痴をこぼしたりして、関係のない同修まで巻き込みました。
これは同修の間のいざこざであり、時間を無駄にすることです。師父がおっしゃったように、大法の資源や貴重な時間を、三つのことをするために使わず、ひいては同修の修煉を妨害してしまいます。
このような状況に陥った同修は、共通の問題点を持っています。すなわち、自分の不足を探すことをしない、あるいは内に向かって探すと言いながらも、相手も修煉者だから内に向けて探すべきだと相手を責めるばかりで、さらに不平に思う時もあります。
私は次のように悟りました。一、いかなることに出会っても、まず自分自身の不足を探し、どこに問題があったのかを探さなければなりません。二、相手のことをみて、自分と照らし合わせ、同じ問題があるかどうかを考え、相手を自分の鏡として見るべきです。三、もし、本当に自分に問題がない場合、善意をもって相手に指摘してあげるべきです。四、もし、相手が指摘されて怒ったりする場合、それは私たち自身が心性を向上させるチャンスです。五、本当に自分に問題ない場合、相手が指摘されても改めたくない場合、これ以上は気にしません。
もし、私たちがこのように続ければ、同修の間の問題は出てこないと思います。人の執着心ばかりを見て、それに自分が執着してはなりません。時間を大事にして、しっかり自分自身を修め、貴重な時間を細かいことに費やしてはなりません。
実際、相手が自分に対して不公平だと思い、不満が出て放下できず、ずっとこの関を乗り越えられないため、同修の執着に執着してしまうのです。あるいは、同修の間が親戚関係の場合、情が強いため、相手が改めて良くなることを期待しているのです。これは相手に対する情です。相手の執着を見て、反感をおぼえ、責めたり、相手のために心配したり、怒ったりします。とにかく情が働いた下で相手に要求するのです。これは逆効果で、多くの場合は悪化させてしまいます。
最近、同修の間に問題が起きて、双方ともに私に愚痴をこぼしてきました。しかし、法理に従って考えると、双方ともに悪い所があり、皆が人の次元の理だけを争っています。最初は、私もその中に陥って、物事の表面の事を考えていました。しかし、人間の方法を持って問題を解決することはできません。さらに、自分も動揺して落ち着かなくなります。冷静になってみると、本当に争う必要はないと分かりました。「一歩引き下がれば世界が広々と開ける」(『転法輪』)と師父がおっしゃったように、一歩引き下がればすべてが解決できるのです。
すべての大法弟子と一緒に精進したいと思います。個人的な体験であり、不足の所をご指摘ください。
2009年9月4日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/8/27/207237.html)
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