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面子を重んじる執着、うまい汁を吸いたがる心


文/海外の大法弟子

(明慧日本)

 面子を重んじる執着

  私は外国語が得意で、中国語を外国語に翻訳する仕事をしています。ある日、私は他の人に翻訳した文章を校正してもらいました。校正後の文章を見ると、第一段落はかなり変えられており、ばつが悪い思いをしました。こんな翻訳文章を見られて面目がないと思いました。第二段落からはあまり変えられておらず、ほっとして、挽回したと思いました。その後、考えてみると、大変おかしいと思いました。私はなぜこんなに面子を重んじるのでしょうか? これは執着ではありませんか?

 数日後、法を学んでいる時、師父の一篇の経文に次のように書かれていました。「実は、この万古の機縁とこの世にやってきた本当の目的を失うことは、人に会わせる顔がないという執着より、一層、恐ろしいことです」(『至難の関から抜け出す』) 文章の校正は私の自我が強いことを認識し、人に合わせる顔がないという執着を捨て去るための按排だったと悟りました。私達は万古に会えない修煉の機縁を得ました。これがこの世にやって来た真の目的です。

 少しでもうまい汁を吸いたがる心

 先日、ネットで一篇の文章を見ました。日本人の夫婦がローマを旅行してレストランで昼食をとったとき、他のレストランより10倍ほど高く、600ユーロ近いお金を請求されました。夫婦は警察に通報しましたが、このことはイタリア政府を驚かせました。政府はこの夫婦を再びローマに招待し、一切の費用を政府が負担するともちかけました。

 私はここまで見て「十分引き合うなあ。数百ユーロ多く払って、無料の旅行ができるなんて」と思いました。そして、イタリア駐在の日本の官吏が夫婦を訪ねた時、夫は「お誘いはありがたいですが、結構です。この旅行はイタリアの納税者のお金ですから」と話しました。私は自分を振り返って、本当に恥ずかしい思いをしました。常人でさえこのように他人のことを考えているのに、自分はかえってこの夫婦はうまい汁を吸ったと考えていたのでした。 

 以前、中国にいるとき、誰もがどこでも少なく払うのが良いという考え方でした。外国では、多くのことできちんとルールを守り、少なく払うこともありませんでした。野菜市場でも値段の駆け引きをすることはありませんでした。積年に形成された、少しでもうまい汁を吸いたがる心を完全に捨て去っていませんでした。こんな小さいところも気をつける必要があると分かりました。

  2009年9月4日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/9/2/207608.html

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