■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/09/04/mh054776.html 



北京:夫が拘禁され、友人は迫害により死亡(写真)

(明慧日本)不法に拘禁された北京の法輪功修煉者・楊小晶さんの救援を求めていた夫・曹東さんは2006年5月21日、欧州議会副議長のエドワード・マクミラン・スコット氏と面会し、法輪功が受けている迫害の真相を伝えた。その直後、曹東さんは中国共産党のスパイに連行され、出身地の甘粛省へ連れ去られた。そして、2007年2月8日、何の理由もなく不法に5年の禁錮刑を言い渡され、甘粛省の天水監獄に拘禁された。

 2006年8月末、北京女子労働教養所の拘禁から釈放されて家に戻った楊小晶さんは、夫の無実を中共当局に主張したが、かえって恐された。2007年8月、楊さんは友人の于宙さんと一緒に北京へ行き、弁護士に助けを求めた。しかし、于宙さんは警官に連行されて行方不明になった。友人の消息不明に焦る楊さんは、異郷で行方を探して歩き続け、さまよった。

 2008年3月、友人の于宙さんが迫害されて死亡したことを知った楊さんは、あまりにも大きなショックを受けた。しかし、その後、中共は迫害の矛先を彼女に向けた。楊さんは一連の迫害を受け、精神状態が悪くなり、体の調子も崩れた。そして、2008年8月、彼女は西安西津病院の診断により、すでにリンパ腺の癌に罹っていると伝えられた。

楊小晶さんと夫の曹東さん

 北京市の法輪功修煉者・楊小晶さん(45歳女性)は、1990年に北京林業大学情報管理科を卒業、その後、北京供電設計院のコンピュータ室に配属された。彼女はパソコンの普及において、技術の向上と業務量の増加により職場の管理職に昇進し、1999年には月給が平均より3000元上がった。しかし、1999年「4.25」以後、企業のネットサイトに李洪志先生の文章を掲載したことで、急に人事異動になった。

 2000年2月24日は、楊さんと曹東さんの結婚記念日である。2000年3月5日、夫は故郷の甘粛省慶陽へ戸籍登録をするため帰省した。その帰省途中の汽車の中で、同修・高峰さんと一緒に警官に連行された後、内蒙買戒毒所へ送られ、不法に17日間拘留された。

 実は2人は新婚生活で、極度の圧力の下でビクビクしながら過ごしていた。法輪功を放棄しないため、楊さんは労働組合に除名され、2000年10月1日には、建国門派出所の強制連行にも遭ったが、夫婦で強く反対したため、連行されなかった。しかし、それから夫婦はともに迫害で職を失い、住むところも失った。

 異郷で流離しても、2人は至る所で監視されていた。2001年5月21日、楊さんは建国門派出所の警官・烏利亜に連行された後、専ら法輪功修煉者を迫害することで悪名高い東城鳳凰賓館という洗脳班に拘禁された。そこで、彼女は迫害に対して7日間断食で抗議した。しかしその後、東城分局留置場へ移送された。中共は、「転向」を強く断った彼女のことだから、いつまた天安門に行って迫害の真相を暴露するのかと恐れ、不法に1年半の労働教養を科した。2002年12月末、さんざん迫害されて体調を崩した彼女は、釈放された後、甘粛省平涼にある平涼監獄、へ4年の不法判決を下された夫の面会に行った。その日から、女一人で異郷に11カ月居留し、辛い思いをした。

 2004年4月、北京朝陽区亜運村派出所と、朝陽分局国保大隊の5、6人の警官は、楊さんの家を荒らし、彼女の実家も捜査するように命じた。そして、また彼女を連行して、北京女子労働教養所の第一大隊へ送った。

 2005年2月、楊さんは労働教養所の「攻堅隊」へ移された。朝5時に起床してから、高板(60センチの高いプラスチック製の椅子)に座らされ、足と足の間は隙間のないように閉じさせ、5本の指もきっちりと閉めて太腿の上に置かせ、目線は前方に向かわせ、少しでも命令に反したら、すぐに殴打された。そして、食事以外にトイレへ行く事さえ禁じられた。ある時、同じ拷問を受けた修煉者が、高板から転んだ。その人の臀部を見ると、血と肉が混ざってひどい傷を負っていた。迫害期間中、食事はわずかしか与えられなかった。その上、夜12時の就寝時間には、囚人を監視役として傍に置き、寝ている時に何回寝返りをし、何回いびきをかいたかまで一挙一動を細かく記録させた。迫害の場所は封鎖された空間の中で、昼夜が分からないほど時間の感覚を喪失させた。こうして、一日中、ただ高板に座らされて、転向するまで続けられた。

 2005年9月、楊さんを第一大隊長に戻した。そこで引き続き、衰弱した体で、大隊長・陳立の命令で重労働をしなければならなかった。重労働に加えて、作業時はずっと下向きの状態で目を酷使したため、近視になり、さらに脊髄炎を引き起こした。

 2006年7月、安全局の人間が訪ねて来た。「夫・曹東さんが酷い目に遭ってとても困っている。そのため、早く夫に手紙を書いて『転向』を勧めなさい」と、恐喝されたが、彼女はきっぱりと断った。

 2006年8月末、釈放されて家に戻った楊さんは、夫が連行された経緯を調べ始めた。2006年9月30日に曹さんへの「逮捕状」が甘粛省に住む親の手元に届いたが、妻の楊さんが知ったのは10月末ごろだった。夫の無実を訴えるために、北京、蘭州、平涼、慶陽を行き来して、各界、弁護士などを訪ねて救援を求めた。しかし、甘粛慶陽安全局は法輪功修煉者を迫害する主な機関で、曹さん両親に「息子は行方不明だ」、「刑罰が加重された」などと、でっちあげていた。一方、曹さんに対して「法輪功を中傷すれば、許される」などと言ったという。

 2007年8月、友人の于宙さんは北京で迫害の真相を弁護士に訴えて救援を要請した。しかし、2007年9月11日に、彼が連行されたと同時に、楊さんの家も北京豊台国保所に壊された。その時、ちょうど彼女は留守だったため、危険から免れた。その後、彼女は友人が連行されたと知って心が痛んだ。さらに、安全局の執拗な監視と嫌がらせを受け、心身共に崩れて正常に生活ができなかった。

 2007年末、楊さんは天水監獄で夫に会うことができた。面会の間、夫が受けた理不尽な迫害を耳にしてとてもショックを受けた。

 2008年2月、于宙さんと、修煉者・許那さんも連行された。その後の3月に于宙さんの死を知った。こうして、中共による一連の迫害と身の回りにある圧力に、楊さんの精神状態は最悪で、自分をコントロールできなくなった。体調が日増しに悪化し、2008年7月ごろ、左の頚部と脇の下に触れると痛みが走るので、腫瘍だと気がついた。2008年8月、西安西津病院の検査により、リンパ腺癌に罹っていると診断された。

 現在、楊さんは激痛を伴う病気と戦う毎日で、苦しい生活が続いている。

 2009年9月4日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/8/28/207302.html

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