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人を見下す心を捨てる


文/中国の大法弟子

(明慧日本)師父は『二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法』の中で次のようにおっしゃいました。「その多くは自分の意見を採用されず、またはほかの人を見下しており、この二種類の心は最も強く現れています」 私は、毎回読むたびに、心の中で何かが動揺するかのように、またドシンというような衝撃を受けました。いつも「人を見下す心があるのではないか?」と自分に問いかけてみましたが、認めようとしませんでした。このようにいつも動揺していました。昨日、同修の家で一緒に交流して初めて、自分に人を見下す心があることを認めざるを得なくなりました。

 同修の言うことがいくら道理に適っていても、完全に受け入れようとしません。心の奥深くにある考えが潜んでいました。「週に十数枚の真相資料しか届けてこないし、あなたは依然として精進していないのに、私はこの数年たくさんの大法の真相を伝えてきたのを知っていますか? 私はどんなに忙しいか、私はどんなに正念がしっかりとしているか」と思いました。すべては自分がよくできていて、他人に不足があるという考えは、自分の頭の中で他人のことを考えていないことと同じです。私は夫(修煉者)に聞きました。「私には人を見下す心があるのかしら? あなたを見下しているのかしら?」 夫は非常に穏やかに「あなたは誰でも見下しているよ。いつも自分がしっかりとできていると思い、私でさえ見下しているよ」と言いました。もし、以前に夫からこんなことを言われたら、必ず怒ったでしょう。しかし、今は独りよがりが人を見下す心であることをすでに認識できるようになり、夫の意見を平静に受け入れることができたのです。

 人を見下す心を奥深く見ていくと、自分を実証する心が原因でした。大法の真相を伝えることを他人より多く行うと、それが無意識に自分を実証する要因になるのです。口では言いませんが、心の中ではっきりとこの心が現れていることに気付かなかったのです。しかし、見た目では自分よりよくできていない同修を見るときに限って、この心が表れるのです。本当に恥ずかしいことでした。

  人を見下す心があることに気付かないと、他人のやり方に対してやたら批評することが表に現れます。真に法に従い、自分の言行を律することができず、他人の立場になって考えず、慈悲が足りませんでした。師父はおっしゃいました。「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」(『転法輪』)。修煉者は、すべて師父の弟子なのですから、なぜ私たちはほかの人に一目おくことができないのでしょうか?!

  常にこの良くない心を捨てるように修煉し、周りの同修としっかりと協調し合い、ともに師父に遵って法を正すという神聖な使命を完成しましょう。

  以上、自分のわずかな悟りです。間違っているところは慈悲に指摘してください。

  2009年9月9日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/9/7/207830.html

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