■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/09/10/mh110054.html 



真に根を掘る

文/河北省の大法弟子

(明慧日本)私は同修と切磋琢磨している時、同修に、「われわれと大法の要求の間にはまだ距離があり、根を掘るべきだ」と言われました。どのように根を掘るべきなのでしょうか?

 私は内に向かって探し、12年来の修煉過程を振り返ってみると、大法を基点としているのではなく、人の理を基点としていました。いつも常人のことを優先にし、修煉や人を後回しにして、いつも常人の考えでした。「私は如何にすれば良く法を学べるでしょうか、如何にすれば大法のために何かができるのでしょうか、どのように己を高めるのでしょうか、どのようにすれば更によく行なえるのでしょうか。何があっても法の勉強をしていることを感じ取り、身を大法の中に置かれている一員と感じ取ることが出来なかったのです」(『北米五大湖地区法会における説法』) 見方、考え方は全部常人の方法で、根本的に常人の観念が変わっていませんでした。大法のこともたくさんしましたが、自らの向上が遅い原因は、基点がまだ人の理から脱していないからです。

 師父は学習者と弟子を分けておっしゃっています。私の理解では、人の理を基点として常人の心で大法のことをやっている人は学習者だと思います。しかし、大法の理を基点として、いつでもどこでも大法を最優先にして、三つのことを大事にしている人は修煉者です。常人の生活においても、仕事においても大法に従う修煉者は本当に大法弟子と呼ぶにふさわしいのだと思います。

 師父は「どんな事をしていても自分が大法の為にやっているとか、大法の為にどうすべきかとか、大法の為にどのようにすればより良く行なえるのかなどとは全く考えていないのです。自分を大法の中に置き、大法の中の一つの粒子として、何かをしているとき、それは私がすべき事だと思っていることをしています」(『北米五大湖地区法会における説法』)と説法されたように、本当に修煉者の状態で大法のことをやることこそ、神聖なことなのです。

 なぜ私は多くの常人の心を取り除かないのでしょうか? 人の理を基点として常人の名、利、情を追い求めているからです。執着心を取り除きかけていますが、現象の中の問題を解決して根本を解決できず、古い問題を解決したとたんに、新しい問題を引き起こします。執着の根本が分からないのです。三つのことをやっていますが、常人の割合が多く、これこそ根本的な問題だと思います。「あなたがもしも、常人であるならば、わたしは反対しませんし、人類社会を守る良い人になることはもちろん良いことです。しかし、あなたは今や修煉者で、どういう基点に立って大法(ダーファ)に対処しているのか、ということが根本的な問題で、まさに、わたしが皆さんに指摘しておきたい問題でもあるのです」(『精進要旨・根を掘る』) この根本的な問題を掘り起こさなければ、どうやって常人から神へ歩んで行けるのでしょうか?

 私たちは常人の考えから抜け出し、常人の思想・観念が出たとたんに、すぐ「私」ではないと認識し、本当に大法に従うべきです。大法の学習者としてではなく、大法弟子として大法のことを行なうべきです。

 2009年9月10日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/9/8/207991.html

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