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正念を用いて物事に対処し、5年間の苦痛が一瞬にして解けた


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)固定観念をもって物事に対処したことで怨恨の心が生じましたが、正念で問題を見ると、5年間積み重なった苦痛が一瞬にして解けました。

 師父は『各地での説法四・2003年アトランタ法会での説法』の中で、「皆さんが法を実証する如何なることを行っている時も、皆と一緒に何かをする時や、一人で何かをする時も、自分でそれを考え、難しい問題を解決する方法を考えています。人間の観念を用いて考えるのか、それとも修煉者の正念を用いて考えるのかによって、事の結果が違います」とおっしゃいました。

 この部分の説法に対して、私は深く体得しました。同修の間に何かの問題が起きた時に、私は人間の観念を用いて対処したため、結果的に身近な協調人達に強烈な恨みを抱きました。そして、協調人たちとの間に厚くて取り除けない良くない物質が生じました。それによって、私たちの仲は表面では親しそうに見えますが、実際は自分自身の向上が抑制され、同修間の協力にも深刻な影響を蒙りました。しかし、私は自我を放下して、人間の観念を捨て、心を割って、大法弟子としての広い心と正念を用いて同じ問題に対処すると、5年来ずっと私を苦しめてきた良くない物質がぱっと解体しました。この経験を、すべての同修に対して、戒めとする価値があると私は思っています。

 五年前の事です。私は修煉の中で最も困難な時期に遭いました。私は公務員の仕事を失いました。当時、時間に対する執着を持っているため、正法はもうすぐ終わるだろうと思い込み、このような迫害(経済的に苦しめる)はあと数年ですべて正されるだろう、と正しくない認識を抱えました。そして、私は何もできない、何をするべきかも知らない、常人の仕事、技能も持っていない、何かをしようとするのに運営資金がない、という状況になってしまいました。さらに、警察が嫌がらせに来て家庭内部のプレッシャーも受けていました。常人社会の私に対する誤解もあれば、自分自身も常人の生活に未練がありました。このもろもろの人心に動かされた結果、もう修煉は無理だ、将来がない、生きることも辛いと意気消沈する状態でした。この状態下で、私は前後して今まで知らなかった同修のAさん、Bさん、Cさんと知り合いました。彼らは私が法を堅持する原動力となり、私の悩みを聞いてくれる相手となりました。私はこの世でわずかな暖かみを得て、修煉のどん底から上がってきました。したがって、私は彼らに対して親近感を持ち、彼らなら私を理解してくれると思い、彼らからの助けをありがたく思っています。

 しかし、この3人はみな大法の仕事を分担しているので、私とよく会っている事を知った協調人は、私を行かせないようにと3人に話しました。この事を知ってから、当時、法に従って問題を対処することのできなかった私は、協調人に対して強烈に恨む心が生じました。協調人が特殊な身分を利用して同修の仲を引き離し、そして同修を私から離れさせ、私を孤立させ、排斥し、ひいては私を攻撃していると思い込みました。同時に、私はその3人の同修にも愚痴をこぼし、3人はまったく友情がない、少し言われただけで変わるやつだと思いました。そこで私は、この世で形成したメンツをもって、この問題に対処しようと思いました。自分もメンツがあるので、その後は一切、3人と接触しませんでした。私がとても困難に陥った時、協調人が他の人を連れて来て助けてくれましたが、私は表面だけで感激したように見せかけ、内心では全く動じなかったで、同修の純粋な善良と無私をも感じませんでした。

 上記の私の問題を対処する基点を見て、私は善の方向へ行かずに悪の方に走りました。人間の中で形成された邪党の文化を用いて考え、闘争や疑いの態度で人に対処しました。いつも人を悪い方に思い、悪い考えを抱いて、学法を通じて得た正念を用いて全く対処していませんでした。だからこの問題に対して、私は修煉とは言えません。師父に按排された執着心と観念を取り除く試練に対して、私はゼロ点を取ってしまいました。

 同じ問題で、今日の私が正念を持って見るとどうなるのでしょうか? まず内に向けて探し、なぜ協調人が同修に私と接触させないように言ったのでしょうか? 私は法を離れて同修に影響を与えていないでしょうか? 私はいつも同修の家に行って、家庭に迷惑を掛けたのでしょうか? 同修は時間を作って学法ができるのでしょうか? 同修がやらなければならない事は全部済んでいますか? 同修の安全に影響を与えていませんか? のように考えなければなりません。

 また、私は同修と接してひたすら同修に自分の苦しさを話し、これは常人の困難への対処方法と同じで、真に自分を修めていません。時間を取って心を鎮めて学法、衆生を救い済度することに力を入れていません。これは修煉とは言えません。ゆえに、同修と一緒にいても無駄です。同時に同修にも一種の妨害となります。だから協調人は我々の接触を阻止しましたが、本当の目的は私を法の下で向上させ、自分を修めさせるためです。

 ここまで考ると、私は同修への怨恨はなくなり、かえって自分は人心が強すぎて、純粋さに欠け、協調人、同修および私自身に対して責任を持っておらず、皆さんに申し訳ない気持ちが湧いてきました。

 この文章を書いて、過去の私と同じ考え方を持っている同修と共有し、皆で共に早く向上できればと思います。個人的な体験ですので、不適切なところはご指摘してください。

 2009年9月11日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2009/8/26/207176p.html

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