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「知恵の源泉」を忘れない


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)最近、私は師父の説法を拝読する時、法理が一層一層、重なるように現れ、色とりどりの法輪が回転して非常に美しく、そして自分が向上していると感じました。これは自分が内に向けて探し、心を修め始めたからだと思います。法を勉強すればするほど、法の広さと深さを更に感じ、師父の慈悲がよく分かるようになりました。しかし、周囲の同修は私を褒め始めました。これは何故だろうかと考えました。今まで自分を同修の上に置かないように注意し、同修の長所と自分の短所を比べ、同修たちの長所は私にはまだないものだと思っていましたが、なぜ彼らは私を褒めたのでしょうか? 内に向けて探してみると、自分には名誉を求め、自分を実証する心があるのを見つけました。修煉に従って自分の能力は以前より増強したと感じ、またいくつかの自分の体験談が明慧ネットに掲載されたことで、自分を誇らしく思い始めていたのです。

 学法を通して、自分の考えは間違っていることが分かるようになりました。私は常人から歩んできた修煉者で、実際の能力は何もありません。私は自分をよく修め、関に遭った時は内に向けて探し、善の心で他人に接していますから、師父は私が正念で考える時、私の業力、思想業力を消滅し、その次元の法理を悟らせてくださり、私に相応の能力を与えて下さいます。例えば私に体験談を書こうという思いがあれば、師父は私に作文の能力を与え、順調に文を書き上げさせて下さいます。学生時代の私は文章を書く時、ペンの端を噛みながら考え、何を書くべきかよく分かりませんでした。しかし、今は容易に体験談もすぐ書くことができます。これは法の力ではありませんか? これは師父が与えてくださったものではないでしょうか?

  ある学法の時に「智慧の源泉」を悟りました。師父は何でもご存知で、何でも最高に成し遂げられます。神韻芸術祭がこんなに美しく出来るのは師父自らのご指導のおかげです。師父は宇宙の智慧の源泉です。「私は、宇宙に存在する最も根源的な要素を持っていますが、私はその中にいません。私はすべての宇宙の智慧を構成する源泉ですが、私は何も要りません。」(『各地での説法一・北京国際交流会での説法』) 私は「佛法無辺」という師父の説法の言葉の内涵も分かるようになりました。私は「『九評』でだめなら、私たちにはほかの方法もあります」(『2005年サンフランシスコでの説法』)を読んだ当時、常人の観念でほかの方法があるでしょうか? と考えたことがあります。今振り返ってみると、人間の観念や思想は低能かつ笑うべきものだと思いました。私たちは実際に何もしていません。私たちの一つの身体で何が出来るでしょうか?

  私は「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』)、また「私は何も求めません。皆さんを済度しに来たのです、私はあなたの善に向かう心が向上できることを求めます」(『法輪佛法・シドニーでの講法』)という説法が理解できました。私たちがよく出来た時、その能力の全部は師父より与えられたものです。私たちが同修に顕示し、ひけらかし、誇らしく思ったことは、法理が分かった後で、恥ずかしいと思うようになります。私たちの心性がただ所定の位置に着いただけで、他の全ては師父からいただいたものです。私たちは師父のお蔭をもって自分を証明することは本当に愚かです。私たちはこれらの能力で大法を実証すべきです。

 私は明慧ネットの同修の文章を読みながら、内に向けて探すことを学び、時々矛盾の中で心の痛みがありましたが、自分は向上していることがやっと分かるようになりました。毎日法を勉強する時に法理が次々に現れるのが見え、自分は法の要求にまだまだ程遠いことが分かりました。私たちは謙虚な態度で師父の按排をいただき、師父の期待されることを私たちの選択とすべきです。これも新しい宇宙に同化している中で、師父が私たちに最も良いものを与えてくださっておられるのです。

 2009年9月11日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/8/27/207179p.html

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