■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/09/14/mh154288.html 



15歳の学生が学法を堅持して体験したこと

文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は今年15歳になる高校1年生の大法弟子です。私は、1998年の春から大法修煉の道を歩み始めました。それから10年が経過した今、私の身には数々の奇跡が起こり、多くの恩恵を受けました。師父の慈悲深さにとても感謝いたしております。私は学法を堅持して大法の真相を伝えたことや、体験したことを述べさせていただき、皆さんと共有したいと思います。

 家族は5人です。おばさん、おじさん、母と私は大法弟子で、父(時々大法の真相伝えを手伝う)は常人で、いつもほかの土地で働いています。このようにとてもよい修煉環境です。

 師父は『オーストラリア法会』でおっしゃいました。「法が基礎であり、大法弟子の根本であり、すべての保障であり、人から神に向かう道であるため、私はオーストラリア法会のこの機会を借りて、全世界のすべて の大法弟子に教えます。つまり、古い学習者であれ、新しい学習者であれ、忙しいからといって、法の勉強を決しておろそかにしてはいけません」 師父は再三、大法弟子は必ず法を学ぶようにとおっしゃいましたので、私は学法の重要性を承知しています。家族が促す中で、いつも学法を堅持しています。

  小学5、6年生と中学3年生のときのことがとても印象に残っています。その当時、中学受験と高校受験にとても忙しかったので、毎日、お昼の時間を使って『転法輪』一講を学び、『洪吟』を暗唱して、新経文を学び、師父が要求された三つのことをよく行いました。定刻には発正念をし、周辺の同級生に真相を伝え、三退を勧めました。何度も真相資料を配り、紙幣に真相を書き、最終的に優秀な成績で有名中学に合格し、しかも3年間の学費を免除されました。

 学法は自分にとって本当に利こそあれ害は決してないということです。明慧ネットの文章を読んだとき、ある小弟子が、幼いときは法をしっかり学んでいたが、中学に上がってから、勉強が忙しいため、学法を放棄してしまったと書かれていました。本当に気の毒に思います。身の回りで経験したことを通じて悟ったことですが、学法を継続することは、そんなに多くの時間を取るわけでもなく、しかも大法が知恵を開いてくれるので、勉強の効果も上がり、自分の思考がもっと上の境地に達することができるのです。また常人の良くない事を避けることによっても向上します。常人のテレビを見るのも少なくし、最も良いのは全く見ないことです。こうすればテレビの良くないものから自分が汚染されることはありません。今、私はほとんどテレビを見ません。

 ここで言いたいことは、成績を上げるためでもなく、智恵を開くために学ぶのでもありません。そうではありません。法を学び続けることは一種の自発的な行為であり、何らかの目的のためではないのです。ここがとても肝心なことです。大人の修煉者にも責任があります。小弟子に正しく法を学び続けさせることです。成績が上がり、智恵を開くことは法を学び続けた結果によってもたらされた効果ですし、私たちが追求する目的ではありません。目的は円満して師父と一緒に家に帰ることです。中学3年生の頃は、家で学んだことはほとんどありませんが、法を学ぶことで、成績が少しずつ上がりました。今は高校に入学して寮生活をするようになり、勉強もしなければならないし、大法の学法をする時間も厳しくなりましたが、それでも毎日、いつも通り正午になると『転法輪』一講を学び、短い経文を暗記し、週末には家に戻ります。家に戻ると、五式の功法を煉功し続けています。そのおかげで成績はクラスで上位です。

 師父はおっしゃいました。「よく本を読んでください。本の中に法があって、そして法の中にはわたしが皆さんを助けてあげる一切のものが入っていますから、業力を取り除くことができます」(『シンガポール法会での説法』)大人の修煉者は小弟子とともに法を学び続け、自分を法の中に溶け込ませて精進し、先史の大願を達成することを望んでいます。

 以上は、私自身が学法を堅持することについての少しの体験談です。不足なところは慈悲なるご指摘をお願いします。

  2009年9月14日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/9/11/208080.html

明慧ネット:jp.minghui.org