何湾労働教養所の迫害で楊清華さんは半身不随になり死亡
(明慧日本) 湖北省武漢市武昌区中華路青石橋社区の法輪功修煉者・楊清華さん(56歳女性)は2000年末から1年間の労働教養を科された。重い労役と残虐な拷問の迫害で知られる何湾労働教養所は楊さんの体に障害をもたらしたまま釈放したが、2005年8月に彼女はこの世を去った。
1999年11月、楊さんは法輪功の無実を陳情するため上京した。天安門広場に辿り着くと、天安門派出所に連行されて拘束され、「蘇秦背剣」という枷掛けの拷問を6時間も受けた。公安局駐京弁公室を通して居住地へ送還された後、1カ月も身柄拘束をされた。
2000年11月6日、再び上京した楊さんはまた天安門広場で連行され、公安局駐京弁公室によってほかの修煉者と同様に持っているお金や所持品を全部没収され、武漢市中華路派出所の王金甫と610弁公室の張愛ティによって武漢市第一拘留場へ入れられた。
50日後、12月28日になると、さらに何湾労働教養所へ移送され1年拘禁された。当初、武昌区の約20人の法輪功修煉者も捕まえられたが、そこでは尿検査だけの健康診断を済ませた。
何湾労働教養所では朝5時起床、労役は6時から始まり深夜12時及び2時までの長時間労役で、修煉者は心身の疲れで苦しんだ。さらに重労働をさせながら、傍にいる受刑者の監視を受けた。かれらは麻薬や売春や詐欺の犯罪者が多く、修煉者の一挙一動や考えも制限した。修煉者の互いの会話を禁じたり定期的に大小の批判会で法輪功を誹謗中傷し、さらに「転向班」で昼夜を問わず洗脳をして修煉をやめさせようとした。
楊さんは自分の信仰を固く守ったため多くの拷問を受けてきた。また、家族との面会、家族からの仕送り、家族への電話、手紙の郵送などはすべて許されない。大変厳しいことで知られる三分隊へ移されて、20人が一つの部屋に詰め込まれた。大勢が狭い場所で共同生活をして、生活に必要なことは何でも5分間しか与えられず、洗面などの水道の蛇口はせいぜい五つしかなかった。
かつて体が丈夫だった楊さんは労働教養所にいる間に日に日に衰弱していった。2001年5月ころまでは、まだ朝のトレーニングから労役まで速やかに行動できたのに、7月に極度に衰弱して受刑者の力を借りながら、歩くようになった。そして、8月には人に頼っても歩けなくなっていた。そのころ、姿が見えず表に出ることがなかった。実は、そのときにもう危篤状態で隔離されていたという。
10月になると、楊さんは全身が動かなくなり、家へ帰された。しかし、楊さんはすでに片麻痺、視力と聴覚障害で倒れて日に日に体調が落ちていた。2005年8月25日、理不尽に迫害された鬱憤をせらさないままにこの世から去っていった。彼女が死んだとき、遺体には二つのある大きな穴状の傷跡が見つかった。
2009年9月16日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/9/14/208300.html)
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