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常人の情は慈悲ではない


文/慧慧

(明慧日本)病業を患っている同修を助けるとき、私は他の同修と意見が違いました。その時に内に向けて探さず、単に同修が無関心だと思い、どう見ても自分が正しいと思い込みました。このことは2年くらい経って、別の問題が発生した時にやっと悟りました。

 実は、他地区にいる叔母さん夫婦は仲が良かったのですが、最近、急に夫婦仲が悪くなったのです。互いに話さなくなり、会うたびに喧嘩するようになりました。しかも、自分の息子がその場にいても遠慮せずに喧嘩します。私の従弟はこの環境の中で育ち、性格も徐々に変わり、家に帰りたくなくなりました。私は以前、叔父さんの家にいたことがあります。その喧嘩の場面はとても怖かったのです。罪のない子供として、従弟がどれくらい辛かったのか分かるものの、どうしようもありません。

 叔父さん夫婦の因縁関係は、おそらく前世の恩讐で、今世で互いに清算しているのだろうと思いますが、私から見ると、本当にかわいそうなのは従弟です。いつも姉として従弟を慰めたいと、メールやチャットでよく連絡していました。しかし、なんとなくギャップがあり、年齢の差も関係があると思いました。この時、私は自分の従弟への思いやりを、修煉者としての状態ではないと気づきました。しかし、法理に従って深く考えませんでした。

 昨日、従弟は頭が痛いと言うので、私は深く考えずによく寝てねと言いました。従弟は今日もう一度電話で、昨日は一晩中眠れなかったと話しました。叔父さんは酒に酔っており、身体も弱いため息子を連れて病院にいくのは無理です。どうしようもなく、私は叔母さんにメールを送りました。叔母さんは息子のために家に戻って来ました。しかし、また夫婦喧嘩をしてしまい、従弟が怒鳴って「僕は家出する」と叫んだので、結局、叔母さんが離れてやっと静かになりました。

 このことを叔母さんから聞いて、私はびっくりしました。もともと助けるつもりだったのに、なぜこんなことになったのでしょうか? 師父が『転法輪』の中で「事物の因縁関係、つまりそのことはいったい良いことなのか悪いことなのか、そこにどういう因縁関係があるのかを見通すことができないからです。そんなに高い次元に達していない一般の修煉者は、こういうものを見抜くことができないので、見た目では良いことでも、かかわると悪いことになるかも知れないのを恐れるのです」と説いておられ、私も修煉者は常人のことに関わってはいけないと知っています。しかし、その時はどうすればよかったでしょうか? かわいそうな従弟を思いながら学法も落ち着いてしていられなかったのです。

 学法しながらも感慨してしまい、この状態ではだめだ、必ず雑念を払って学法しなければならないと思い、しっかりと続けて学法しました。すると、「常人はあなたの常人の善はいらない、どうすれば真に相手のためになるのかを分からなければならない」という言葉が浮かんできました。豁然として、私は悟りました。

 人を救うことこそ急務であり、重大の中の重大なことです! 従弟に対して、いかに愛を与えても、難が訪れた時に助けてあげられないのです。真相を分からせるしか、救うことができません。常人は迷いの中にいて分からないかもしれませんが、しかし、その真の元神は分かります。彼らは救われるのを待っていて、普通の常人の関心を待っているのではありません!

 もちろん、自分の親族に無関心になるよう勧めてはいません。私は病業を患っている同修を助けるのは正しいと思います。しかし、修煉者にとって、物事の判断は表面の行動ではなく、行動の出発点が法に適っているかどうかを見なければなりません。もし、常人の理に従っていれば、それは情です。当時、同修を助ける時に、心では確かに人間の情が強かったのです。もし当時、私が内に向けて探せば、その後の同修間の対立は生じないはずで、さらに2年経ってやっと分かるようなこともなかったと思います。情けないことです。

 常人の中の情を超越した「善」こそが、真の善で、大いなる善であり、慈悲なのです。これこそ大法弟子として有するべき状態です。こうして初めて今の形勢が分かり、根本的に何をするべきで、何をしてはいけないかを知りました。そうすれば、重要なことを遅らせず、衆生を救い済度することをしっかり行うことができます。

  2009年9月17日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/9/5/207735.html

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