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師を敬い、法を敬うことができない行為を正そう


文/山東省の大法弟子

(明慧日本)私の住む地区で、次のようなことをよく見かけます。学法や、正念を発し、交流する時、みんな足を組んで正しく座っていますが、法の勉強を終えた後、本を敷き物の上に置き、立ち上がって通り過ぎる時、本の上をまたぐことがしばしばあります。このようなことを見ると、気分が良くありません。命を犠牲にしても守っている大法なのに、なぜ大法の書籍をそんなに大切にしないのでしょうか。私は毎回学法した後、本をテーブルの上に置き、あるいは収めて、立ち上がっても本の上をまたがないようにしています。しかし、ある日、同修の大法の書籍を保存してある電子製品の上をまたいでしまいました! 当時、非常に気分が良くありませんでした。このようなことは皆あまり重視しておらず、小さなことだと思っているかもしれませんが、私は小さなことだと思いません。私は、邪悪が公的な場や洗脳班で大法弟子に師父や大法を罵らせ、更に師父の写真を踏ませることを思い出しました。このようなことが起きた原因は、我々が師を敬い、大法を敬うことをきちんとしていないことに関わりがあるのではないでしょうか。この原因で、邪悪は世の人々や大法弟子を落とすことを惜しまないのです。このことは、どう見ても小さなことだとは思いません。

 『転法輪』の「悟」で、師父は次のように著されました。「悟性がどうしても上がって来ない人がおり、わたしのこの本に勝手に線を引いたり印をつけたりします。われわれの中の天目が開いた人なら見えますが、この本は色鮮やかで、こんじき金色の光を放ち、どの字もわたしの法身の姿かたちです。わたしがもし嘘を言っているなら皆さんを騙していることになりますが、あなたが一筆でも書いたら真っ黒になってしまいます。それでも勝手に書く勇気が本当にあるとでも言うのですか?われわれはここで何をしているのですか?あなたに修煉を教え、上へ導こうとしているのではないでしょうか?こういうことも考えてもらわないといけません。この本はあなたの修煉を指導することができるものです。これほど貴重なものがほかにありますか?佛を拝むことは本当の修煉の役に立ちますか?あなたは非常に敬虔で、佛像に触らないように気をつけたり、毎日線香を立てたりしているようですが、本当にあなたの修煉を指導できるこの大法をそんなに汚していいのですか」

 また、師父は『二〇〇三年旧正月十五日の説法』で弟子の質問に対して次のように回答されました。

 弟子:大陸に真相資料を配る時、師父の詩、経文や大法の書籍をもあげて良いのでしょうか?

 師:問題はありません。問題はありません。常人に配っても良いのです。本人が読みたければ、これは問題ありません。迫害はこれほど長く続きましたが、多くの人は本当に法輪功の真相を知りたいのですが、本を入手することができません。当時、旧勢力は邪悪を指図して本を燃やした時、その口実はどういったことであるかをご存知ですか? なぜ本を焼却しなければならなかったのでしょうか? あの時、『転法輪』は中国大陸にたくさんあって、至るところにありましたが、多くの学習者は本を敬っておらず、常人はなおさら本を敬っていませんでした。神はこれを見ていられないのです。なぜならば、これは宇宙を作り出した天法だからです! ですから、旧勢力は本が珍しくなるほど不足させ、人間にそれから法を探させ、法を敬わせ、法の貴重さを知ってもらうようにしました。当初、旧勢力はこれを口実にこのことをしたのです。

 法を読んだ後、眼鏡などのものを『転法輪』の上に置く人もいれば、大法の書籍を他の同修に投げる人もいました。『転法輪』が非常に汚れており、古くなった人もいます。原因を聞いてみると、法をたくさん勉強したからそうです。法を勉強する前に、まず手をきれいに洗って、本を大切にすれば、こんなに古くなることはあるでしょうか。

 私は一式の大法の書籍を持っていました。初めはきれいな所に置いていたため、邪悪が家宅捜査した時は見つけられませんでした。ところが、心配になって心が動じ、誰もが住んでおらず、汚い部屋に書籍を移動しました。これなら絶対安全だと思いましたが、結局、家族に発見されて燃やされてしまいました。私は非常に後悔してたまりませんでした。これは、自分は大法を敬わず、大法の書籍を大切にしなかったため、旧勢力が隙に付け入り、家族を利用して悪事を働いたのです。

 きれいな包装の『転法輪』を邪悪に発見されないように、ある同修は本をベッドの板の下に置きました。結局、邪悪に発見されて持ち去られました。その後、大法の本をベッドの下に置いたら、自分の身の下に本を抑えていると同じではないかと彼は悟りました。大法を敬わないからこそ、邪悪はこれを口実にして本を持ち去ったのです。同修との交流で、大法の本を完璧に保護できている人は、すべて邪悪に協力せず、大法の本を大切にし、きれいな所に置き、師を敬い、法を敬う方面に問題がないからです。また、同修達はあることに気づきました。即ち、邪悪は家宅捜査する時、往々にして枕の下を探しているのです。これは、多くの同修は大法の本を枕の下に置くことと関係があるのではありませんか。大法の書籍や資料は、枕の下に置いてはいけないのです。

 以上のような家宅捜査のことは以前のように少なくなり、邪悪の最も荒れ狂った時も過ぎましたが、しかし、我々はやはり内に向けて探すべきで、師を敬わず、法を敬わない行為が我々にあるのでしょうか。この歴史が過ぎたら、我々の行為は将来の人に残してもいいでしょうか。もし師を敬い、法を敬うことができなければ、我々の修煉はどのくらい効果が減ってしまうのでしょうか。

 師を敬い、法を敬うことができないのは、わざとそのようにするわけではなく、二つの原因があると思います。一つは、共産党悪党が伝統文化をひどく破壊しており、修煉者さえ神を敬うことが分からず、私もこの中の一人です。この方面について、中国本土の大法弟子は伝統文化の精粋のものを多く勉強する必要があり、神が人間に教えた伝統や、文化、人間としての基本礼儀などを改めて学ぶべきです。自分が高い次元に達したと思う修煉者は、もしこの人間の道理さえ分からなければ、この方面で人間より低いのではないでしょうか。

 師を敬い、法を敬うことができないのは、もう一つの原因もあります。法を勉強していても心の中に融け込むことができず、法に照らして自分を律していないのです。「大志を懐きながら細かいことに配慮する」(『精進要旨』)ことはただの言葉だけではありません。

 このような師を敬い、法を敬うことができない行為は、どのような結果をもたらすのかが私は分かりませんが、しかし、我々は法に照らして自分の行為に注意し、なるべく人間の伝統的な礼儀を守るべきです。師父の慈悲や寛容の下で、我々は自分の行為をわがままにしても良いわけではなく、かえってもっと厳しく律するべきです。

 認識不足のところが必ずあると思いますが、ぜひご指摘ください。

 2009年9月19日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/9/15/208286.html

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