マンハッタン説法
 

(李洪志、二〇〇六年三月二十六日、アメリカニューヨーク)

 

 師父がいつもニューヨークにいると皆さんが知っているので、ニューヨークで法会が開かれると、たくさんの人がやってきます。大法弟子は法を実証するという道で、皆力が及ぶ限り、自分の行なうべきことを行なっており、皆さんが行なっていることは皆さんの修煉と緊密に関係しているからです。これがすなわち修煉なのです。皆さんの修煉形式はほかでもなく、常人社会で修め、異なる階層、異なる職業においても修煉することができ、しかも異なる社会に身をおき、異なる職業を利用して世界の隅々で法を実証し、衆生を救い済度しており、皆現在のこの社会形式を利用して修煉しています。

 実はこの修煉形式は、ただ緩やかな形で、単純に常人社会で修煉しているだけではありません。師父も皆さんに大道は無形であると教え、形式からすでに以前の修煉と異なっており、このことは皆さんがすでに分かっています。地球はすでに宇宙で法を正すことの焦点となっており、もしそうであれば、ここの生命、ひいてはこの世界に存在する多くの事物も簡単なものではありません。実は衆生を救い済度することも、法を実証することも、あなた個人の修煉も含めて、重大な意味合いを持っています。生命は確かに以前の簡単な地上の人ではなくなり、その多くが高い次元からやってきたので、常人社会の多くのことも、常人社会の多くの事物の表現形式も含めて、実は簡単なことではなくなりました。こういう状況であれば、皆さん考えてみてください、皆さんが各職業につき、社会の隅々で、社会の各階層で修煉することに、更なる大きな意味合いが含まれています。個人の修煉はただ大法弟子として備えるべき基礎に過ぎず、師に手伝い、衆生を救い済度し、法を実証することこそ、大法弟子としての本当の目的であり、はじめて先史の誓約を果たすことができるのです。前回のロサンゼルス説法の中でもこのことについて話したので、インターネットで読んでみて下さい。

 いずれにせよ、修煉者として自分が現在社会で行なっているこの全て、あなたのプライベートの生活も含めて、いずれも修煉の範囲内のことだと分かった以上、皆さんはより厳粛に身辺に起きた全てに対処し、この形式がないという形式の修煉に、より厳粛に対処すべきです。以前、皆さんに三つのこと、つまり正念を発すること、法をしっかり勉強すること、真相を伝え衆生を救い済度することをしっかり行なうようにと言いました。皆さんは積極的に、努力して真相を伝えており、もちろん、一部の学習者は比較的緩んで、精進しておらず、いつも仕事を行なっていると感じています。実は違います。修煉の形式が異なっているからです。このように修煉の道を歩むことになった以上、しかも、これは創世後、人間が修煉して天上に戻れる本当の道でもあり、今までどの修煉方法も副元神を修めており、亡くなった後、主元神がまだこの世で輪廻転生します。しかも、各種の修煉方法と信仰は、この世で人間が神と修行を認識できるようにするため、神が文化を補充しているに過ぎません。これは人間の初めての機会であり、創世の目的でもあります。特に無量の衆生がいる中で、あなたは大法弟子になる事が出来ましたが、なぜしっかりと歩まないのでしょうか? 大法の要求に従い、自分の先史の誓約を果たすべきです。法を実証し、衆生を救い済度することは見た目では、常人社会のことと非常に似ていますが、あなたは本当に修煉しているのです。これは常人の目的と違い、常人が得ようとするものとあなたが得ようとするものとは決して同じではありません。修煉者は己の境地を向上させ、誓約を実現させ、最終的に圓満成就に達しようとしており、この目的は決して同じではありません。

 以前も話したことがありますが、いかなる社会形式をとっても修煉することができます。私は当初この修煉形式を全社会の各職業、各社会形態に広めず、ある形式または以前の宗教形式だけを用いて修煉すれば、それは単一にその道を歩むこととなり、出家するしかなく、修煉に形式があるようになりますが、これでは宇宙大法と宇宙で法を正すという洪大な要求を満たすことができません。もしこのようになれば、実は皆さん考えてみてください、世界の隅々にいる衆生をどのように救うのでしょうか? 大法が急速に全世界に広まることもありません。法を正すことに時間の制限があるのです。大法弟子がいかにこの形式をよく利用できるか、これはすなわちどのように修煉の道をしっかり歩むかのことになります。大道無形ですので、各種の環境はいずれも大法弟子に提供された修煉の場であり、いずれも修煉することができます。皆さんの今日の修煉は以前の覚者が人間に残した文化にあった小道の修煉ではなく、全人類社会に広めて、皆さんが各自で自分に合う形式を選んで修煉するようになっています。便利になりましたが、精進ということ以外、お互いに参考にし合うこともなかなか難しいのです。これは大法が皆さんのために切り開いたもので、未曾有のことでもあり、この道を、自分で歩まなければなりません。背負っている責任が極めて重大なのですが、表現形式は最も普通のものです。以前の修煉者には何らかの修煉形式があり、山に入って修行したり、出家して頭を剃って和尚になったり、キリスト教またはカトリック教の修道士と修道女になったり、道士になったり、全国民が同じ宗教を信じる場合にも厳しい管理形式があります。これらはいずれも大法弟子の修煉方式にしてはいけないのです。大法弟子の修煉形式は無形であり、常人社会のすべてがあなたの修煉形式になっています。さらにそれぞれの道も違います。仕事が異なり、生活環境が異なり、それぞれの家庭が異なり、それぞれが置かれている社会階層と出会う出来事も異なっています。実は、これだけではなく、もしこの背後に含まれる内涵が非常に大きいのであれば、背負う責任も重大なものになります。実は大法弟子一人ひとりはそれぞれ一つの巨大な宇宙体系に対して責任を持っており、これほど大きな体系にいる無量の衆生を救い済度するには、責任が重大であるだけではなく、道を正しく歩むことが非常に肝心なことになります。救い済度され得る生命は法を正す中で、善解され、浄化され、正に帰され、残り得る各種の形態の物体が浄化される中で、良くないものが取り除かれ、純正な部分が残されますが、これは全宇宙で法を正す際の要求です。実際、皆さんは修煉の中で自らもこのように行なっています。このような尋常でない修煉方式と責任、この巨大な法と宇宙で法を正すことは、大法弟子にとって何を意味しているのでしょうか? これはなんと偉大な責任でしょう。これもあなたが先史のときに結んだ聖なる縁であり、これは偉大な生命の未来の聖なる徳を成就させています。しっかり行なわなくていいのでしょうか? 実は皆さんが将来、修煉して圓満成就するとき、果位の次元の高さは言うまでもありません。ですから、この過程で修煉に対する要求も高いのです。この高い要求はいかなる外部の形式による束縛もなく、しかも管理は常人社会で緩やかな形で行なわれており、法しかないのです。

 常人社会で緩やかな形で行なわれていますが、皆さん考えてみてください。見た目では緩やかですが、実は着実な修煉において、正しい念と正しい行ないに対する規準と要求は非常に厳しいのであって、法に従って着実に修め、真に修めるというあなたの意志にかかっています。この世俗の中で自分自身が正しく歩むこと、この複雑な環境の中でいかに常人から抜け出すかが肝心なことです。常人が求めているもの、得たいもの、やっていること、言っていること、行なっていることはあなたにとって、いずれも修煉によって取り除かなければならないものです。圓満成就するまで常人の中で修煉する必要があるので、持っていてもその心がなく、行なっても執着しないようにすべきです。逆から言えば、常人が行なったこの全てもあなたに提供した修煉環境です。皆さんが歩んでいるのはこういう道です。この道で最も現れやすい問題は己を緩め、常人の仲間入りをしてしまい、特に法を実証する期間中、圧力や各種の困難の前でさらに気落ちしやすいのです。もちろん、皆さんは何と言っても予め誓約を立てた大法弟子であり、皆さんの生命は大法とともに存在するのです。これほど大きな法があり、正念の中で大法が皆さんとともにあり、これは絶大な保障です。正念が足りず、法に符合していなければ法の力から離れ、孤立無援のように見えます。大法の事を行なっていても、法に符合しなければならず、そうでなければ、法の力がありません。現在、皆さんは全体的に非常に良く行なっています。もちろん、修煉は大波で砂を洗い落とす過程でもあり、だめなものは必ずこの過程で淘汰されてしまい、これも正常なことです。大法弟子は全体的に非常に素晴らしいのであって、皆前へと進んでおり、大多数の人は乗り越えてきました。もちろん、落ちこぼれた人もいれば、再び追いついてきた人もおり、これも正常なことです。これはこの修煉過程で現れたことです。法を正すことがまだ最後の一歩まで進んでいなければ、修煉の人、衆生にとって、いずれも機会なのです。

 ですから、この緩やかな修煉方式は見た目では、条令も戒律も規則や制度もなく、あなたを律する人もいませんが、要求は非常に高く、なぜなら、あなたは自分で自分を律する必要があり、自分で規準に達しなければならないからです。責任が重大で、高い次元まで修煉できるからこそ、また人類社会で直接あなたに何らかの厄介なことを引き起こすほどの大きな魔も現れないので、旧勢力は中共邪党を作り出し、迫害の中でまだ修煉するかどうかを見ており、乗り越えられればあなたを認めますが、そうでなければ、あなたがだめだということになります。私はもちろん、これらのことを認めていませんが、それらはこのように行なっており、本当に一部の人は正念がなくなり、罠にはめられました。

 もう一つは、皆さんの実生活に現れる困難です。現実社会で人心が利益に誘惑され刺激されている中で、あなたに修煉の機会を作り、提供しています。これは実は最も難しいのです。今まで誰もこのように修煉する勇気がなく、つまりこれが原因です。修煉したければ、出家し、世俗を避け、世俗の妨害がなければ、心が清浄になります。それらの厄介なことに遭遇せず、現実社会の利益に人心を刺激されることもありません。修煉者にとって、誰が修めているのかにかかわらず、全体から言えば、次元が限られてしまい、高い次元まで修めることができないのです。なぜなら、その修煉に条件があり、劣悪な環境を避け、トラブルを避けたからです。それに対し、皆さんは直接、これらのトラブル、人心に触れる社会の現実、個人の利益、人心の執着など各種の問題に直面しています。この世で修煉する場合、これは最大の困難であり、これより難しい修煉方式はもうないのです。

 皆さんよく聞いてください。以前、人間は修煉がこれほど難しいとか、あれほど難しいとか言って、数十年、一生ないし数世を修煉しました。実は時間が長引いたのは直接的な誘惑がなく、それほど大きな苦がないからです。皆さんの現在のこの修煉は修煉形式に関する要求と束縛が見えないのですが、現実社会で修煉していれば、人間にとって本当に各方面から誘惑され、いつでもどの出来事においても、あなたが要求に達しているかどうかのことがあります。ですから、歩み続けてきた人は本当に素晴らしいのです。歴史上、このように修めた人はなく、誰もこの道を歩む勇気がなく、どの神も人間にこの道を歩ませる勇気がありません。その上、乱れた世にあり、邪悪の迫害と恐怖の形勢による圧力もあります。

 なぜ、大法弟子の圓満成就に対する要求が高く、背負っている責任が大きいと私は言ったのでしょうか? 実際はこういうことです。さらにこのような環境で修煉しており、多くの学習者はまだ完全に迷いの状態にいます。一部の学習者はある程度、異なる状態でまたは視覚的に幾らかのほかの空間の状況に触れることができます。学習者それぞれの道が異なり、状況も異なっています。実はあなたがいくら分かっていても、実に少なすぎるのです。法を正す中での宇宙の壮観な光景と、大法弟子が法を正す中で修煉するときの体の変化の壮観さは、まだなかなか見られません。この迷い自体は学習者に大きな困難をもたらしました。宗教の中で修煉しても、世俗を避ける方法を取ったいかなる修煉も、今日の大法弟子の修煉方式と違っており、それらの修煉は程度が違いますが、幾らかの能力を修煉の人に与え、神通力そのものをもって人を精進させるのです。しかし、邪悪の旧勢力の妨害で、大法弟子はこの面において最も厳しい状態に置かれ、多くの学習者は自身の変化が見えず、自分が行なったこの全ての成果を見ることができません。この状況下でも、己を厳しく要求し、この道をしっかり歩まなければなりません。特に今回の中共邪悪の迫害の中で、皆さんは表に出て法を実証することができ、圧力の前に、命の安全まで脅かされている状況下で、多くの世の人は真相が分からず、騙され、様々なうわさが飛び交う圧力の下で、それでも精進でき、この人は素晴らしいのではありませんか? 本当に素晴らしいのです。この環境下で修煉できる人は圓満成就すべきであり、大きな果位を得るべきです。これは歴史上かつてない巨難であり、今まで誰もこの道を歩む勇気はありませんでした。(拍手)

 人類社会で現れたいかなる重要なことも偶然ではありません。人間が何かをしたいと思い、表面ではその人が行なったように見えますが、実は彼が行なったのではありません。背後に神の要素がなければ、人間は何もできません。今日の社会にあるいかなる事物も含めて、たとえば、世界の各大手会社が大きくなったこと、人類が科学研究の分野で何かを作ったこと、社会の存在方式、人間の生活状態、いずれも簡単なことではありません。特に社会形式を左右しうる事件の背後にいずれも神の要素があります。もちろん、以前にも皆さんに話しましたが、人類社会で起きた多くの出来事は法を正すことと直接関係しています。皆さん冷静に考えてみてください。各民族の出現、全世界で起きた全てのこと、ひいては今日の人類の政治勢力の均衡、様々な出来事の絡み合い、いずれも今日法を正すことと直接関係しており、大法弟子が法を実証することと直接関係しています。大法弟子が真相を伝えるとき、暴露した中共邪党の邪悪な迫害を聞きたくない人がおり、場合によって中共邪党から注がれたことを言い訳にしています。実はこれも偶然なことではありません。皆さん考えてみてください。それらの邪悪のものも宇宙のそれらの旧い勢力に制御されているのではありませんか? 旧い勢力はそれらの理念と認識をもって法を正すことと大法弟子の修煉を制御しようとしているのではありませんか? 法を正すことが旧勢力を含む宇宙のすべての生命に及んでいるため、それらの不純なもの、純正さが足りないものは理解できるのでしょうか? 高次元の生命の一つの考えは下界に影響を与えてしまいます。常人のある考えはほかの人に影響しませんが、自分自身に影響し、影響の大きさの問題だけなのです。高次元の生命の一念は所在する宇宙範囲にいる衆生に影響を与えてしまいます。さらに次元の高い生命の一念は極めて広い宇宙範囲に影響を与えます。もちろん、それらは直接、下界の衆生に悪事を働くことはありませんが、その一念がちょうど下界の中の卑しい鬼らの意思に符合したので、後ろ盾を得た卑しい鬼らはこのように邪悪の極みにまで大法弟子を迫害する勇気があったのです。法を正す中で、それらがこの迫害の形勢を維持し、世の人々を無関心な状態にし、法輪功が迫害されていることに関心を持たないように仕向けるのは、とても簡単なことです。それらは人々が法輪功の迫害の真相に触れないようにさせようとしています。それらがこの迫害を維持している目的はいわゆる、大法弟子に試練を与えるためであり、この邪悪の恐ろしい雰囲気を維持し続けなければなりません。なぜなら、大法弟子の中に意気地のない人、しっかり修めていない人、これから表に出てくる人がおり、一部の衆生がまだ救われていないからです。それらは学習者のこれらの不足を掴まえたため、やりたいようにやっています。それらの言葉を借りると、それらは法を正すために命を犠牲にすることも惜しみません。実はそれらは自分たちの目的に達するためには、何も惜しまないので、法を正すことに大きな困難を来たし、ひいては法を正すことを左右してしまいました。

 つまり、皆さんが衆生を救い済度し、法を実証する中で遭遇した全てはいずれも偶然ではありません。どんなに小さいことでも、ある人の一つの考え、真相を伝える時に出会う各種の人、出来事はいずれも簡単なことではなく、皆さんが慈悲の心をもって行なうしかありません。常人の態度と誤解を気にしないでください。ただ人を救い、衆生を救うために行なっていれば、その効果は全てを変えることができると思います。真相を伝えるとき、自分の心が常人の心に動かされてしまえば、何もできなくなります。真相を伝えるとき、常人は中共邪党が初期のときマスコミで発表した嘘偽りの宣伝を信じ込み、大法弟子に誤解を持っており、あなたに無礼な態度をとったり、またはあなたの話を聞きたくなかったりして、このとき心が揺らいで、心中穏やかでなくなり、機嫌が斜めになり、ひいては理性を失ってしまえば、真相を伝えることができなくなり、人を救うこともできなくなります。実は邪悪も大法弟子に対する常人の誤解を利用して、絶えずその人の頭に反発の念を強めています。もしあなたの正念が強ければ、邪悪が解体されます。本当の慈悲の力は全ての正しくない要素を解体することができ、あなたが話をしているときエネルギーを外へ放出しており、邪悪のものが解体され、ほかの空間の邪悪はその人に近づき、その人を制御することができなくなります。このとき、人間に道理を説いてあげれば聞き入れ、中共邪党に注ぎ込まれたそれらの虚言を打ち破ることができ、その人の誤解を解くことができるのです。

 ロサンゼルスで説法したばかりで、今日はまたネットで発表されたので、今日は多く話すつもりはありません。しかし、あることを皆さんに話さなければなりません。多くの神は私の耳元で、あなたの大法弟子は指摘されてはならず、言われるとすぐに怒ってしまい、指摘されてはいけないのであれば、そうであってはならず、それならどのように修めるのか、これでも修煉者なのか、などなどと言っています。以前に各種の妨害があり、迫害の中で行なわなければならないことをまだ適切に対処できないと私に分かっています。法を実証し衆生を救い済度することをしっかり行なうように、私はずっとこのことに関する法を説かず、皆さんに重点的にこれらのことについて話しませんでした。現在、これらのことは目立つようになり、注意しなければならないのです。修煉者にとって、皆さんがご存知のように、殴られてもやり返さず、罵られても言い返さず、本当に損をしたときでも、修煉者は一笑に付すことができ、これは皆さんが持つべき状態で、必ずやり遂げなければならないことです。あなたは常人ではなく、常人から抜け出そうとしているからです。常人の理で自分を要求してはならず、高い基準で自分を律するべきなので、皆さんは必ずこのように行動すべきです。

 ここ数年、皆さんは多くの素晴らしいことを行ない、功徳は無量ですが、確かに多くの学習者はこの癖をつけてしまい、毎日法も見ており、法も読んでいますが、この方面において、多くの人が大きく改善しなかったどころか、かえって膨らんでいると私は気づきました。一部の人はすでにまったく指摘されてはいけないところまできており、少しでも気に障ることを言われると、我慢できず、個人の執着に触れるとすぐに爆発してしまいます。それはすでに相当頑なで大きなものになりました。人に指摘されたり批判されたりしてはならず、間違いを起こしても指摘されてはいけません。これではいけません。これでもまだ修煉者なのでしょうか? あなたが大法のこと、人を救うことを行なっていても、修煉者として行なうべきであり、常人として行なってはいけません。場合によって、間違いを起こし、ほかの人が善意をもって指摘しても、言い逃れようとしている人がいます。間違いがあると、すぐ言い訳をし、顔色を一つ変えずに嘘をついています。ひいては間違うと、言い訳をして客観的な原因を探しています。この常人にも及ばない状態はまだ大法弟子の行為なのでしょうか? 修煉者は相手からの批判を受け入れられるようになるべきであり、本の中にも書いています。また、一部の学習者は遠まわしに責任を言い逃れようとし、問題が起こると、あれこれのことを理由にあげていますが、どうしても理由が見つからない場合、造ってしまいます。(皆笑って)「あなたたちには分かりませんが、当時はこういう状況だったので・・・」と言っています。(皆笑って) これはまだましなほうです。もっとひどい場合、少しでも触れてはいけません。こういうことが起こるとき、神はどのように皆さんを見ているのかを知っていますか? 旧勢力はすぐにあなたのことを覚え、今回の行動は弱みとしてそれらに握られてしまい、厄介なことがあなたを待っています。この方面の心性が低いため、大きな面倒を引き起こします。気をつけてください。

 前回の説法のとき、師父がこのことを説いた以上、皆さんが帰ると、きっとこの場面に遭遇し、会場の扉を出たとたんに、この場面に遭遇する人もいると話しました。トラブルがくるとき、あなたに準備する時間を与えることはなく、いつもいかなる心の準備もない情況下でやってくるのです。だれもあなたを試しにきたとか、あなたの心性を高めるために批判しているとかを教えるわけがありません。実は、トラブルの相手自身もわけが分からず、互いに心性の関を乗り越えようとしているのです。師父の説法の後、皆さんができるかどうかを見たいと思います。心の準備も前触れも予めの警告もなく、全て突然現れてきたトラブルで、常人に見られるトラブルとまったく同じです。もちろん、今日このことに触れたのは、皆さんに帰ってからこの面において修煉してほしいということです。いかなる事も習慣になれば物質が生成されるのです。ほかの空間にそういう物質があるから、この空間でこの状態が現れたのです。その物質は埋もれている地雷のように、触れると爆発するので、地雷を除去しないといけません。今から、どの地区の誰であっても、大法を修める人であれば、この実質的なものを私は取り除いてあげます。(拍手)

 実質的なものは取り除かれますが、養われた習性は自分で除去しなければなりません。長い間養われた習慣ですが、この習慣は異なる執着から由来するものです。面子に対する執着があり、人に言われたら面子がつぶれると思えば、言われたくないという心が触れられてしまいます。また、自分がプロジェクトの責任者だから、人に言われたくないと思う人もいます。また、ある分野で得意な技能があるので、言われたくないという人もいれば、相手を良く思っていないから言われたくない人もおり、などなど様々な原因があります。人に言われたくないということは異なる執着から由来しています。どういう状況であっても、皆さんはみな、大法弟子であり、どういう責任を背負っていても、あなたは修煉者であり、師父はあなたの修煉に対して責任を持ちます。あなたは全ての修煉者と同じように、己を修めており、最終的に圓満成就に向かうのであって、自分の修煉に対しても責任を持つべきです。今日ここを出ると、誰かにきつく言われる人がいるかもしれませんが、そのとき、誰がすぐ爆発するのかを見てみましょう。(笑)(皆笑って)

 皆さんは今からも同じことになりますが、あなたが正しいかどうかに関係なく、この問題は一人の修煉者にとってまったく重要ではありません。言い争わないでください。誰が正しいか、誰が間違っているのかを強調しないでください。いつも自分が正しいと強調する人がおり、あなたが正しいのであって、間違っていませんが、それはどういう意味があるのでしょうか? 法に対する認識が高まったのでしょうか? 人心をもって正しいかどうかを強調すること自体が間違っています。なぜなら、あなたは常人のあの理で自分を量っており、常人のあの理で相手に要求しているのです。神から見れば、修煉者がこの世において、正しいかそれとも間違っているのかはまったく重要ではなく、人心の執着を取り除くことこそ重要であり、修煉の中でどのように人心の執着を取り除くかが重要なのです。(拍手) いくら不当な仕打ちを受けても、平然として対処し、心が動じることなく、自分のために言い訳をせず、多くの場合、弁解する必要もありません。なぜなら、修煉の道のりにはいかなる偶然なこともなく、話をしている中であなたを刺激したもの、トラブルの原因である利害関係は師父が作ったものかもしれません。相手の話は非常に刺激的かもしれませんが、あなたの痛いところに触れたから、刺激的だと感じたのです。本当に不当な扱いを受けたかもしれませんが、その話は必ずしもその人が言ったのではなく、私が言ったのかもしれません。(皆笑って) そのとき、あなたがどのようにこれらのことに対処するのかを私は見ており、相手に口答えをしたら、実は私に口答えをしたことになります。(笑)(皆笑って、拍手) 今日はここまでにしましょう。その物質は私が全部取り除いてあげますが、養われた習慣を皆さんは必ず除去してください。必ず、必ず除去してください。(拍手)

 初期のとき、私はすでにこの問題に気づきましたが、ずっと話しませんでした。なぜ言わなかったのでしょうか? 大法弟子が法を実証するとき、中共邪党の各種の妨害があり、中共は国の全ての宣伝機関、数千種類の新聞、中共邪党にコントロールされた数百のラジオ局、テレビ局を利用して凄まじい勢いで法輪功を弾圧し、スパイを利用してかく乱し、様々な手口を使っており、報道したのはデマと虚言ばかりでした。しかも、全世界の人々が全部毒害された情況下で、大法弟子は七十億人に対して真相を伝えなければならず、正念から由来する堅忍不抜の意志がなければ、衆生を救い、法を実証することをやり遂げることができません。ですから、この数年、それらの神がいくら言っても、私はこの法を説きませんでした。大法弟子はみな、優しい人で、相手に何かを言われると、すぐ黙ってしまい、邪悪の虚言に対しても、何も言わなくなり、これでは真相を伝え、人を救うことに不利であり、邪悪を暴露することになおさら不利なので、私はこの法を説きませんでした。これが原因で私はこのことについて厳しく言いませんでした。今それを指摘したのは皆さんが真相を伝えることに影響しなくなったからです。邪悪を前に、現在大法弟子は成熟し、真相を伝えることに影響されなくなり、皆理智的になり、冷静になったのです。この数年を経て、皆さんはどのように行なうべきかも分かるようになり、今この法を説いても、皆さんが真相を伝えることに不利な要素をもたらす可能性がなくなりました。それなら、今から皆さんはこのことに注意して修めるべきです。

 前回のロサンゼルス法会の後に、皆さんに帰ったらこのことに遭遇すると言いました。私は自ら何件も目にしました。(皆笑って) 凄まじい勢いで起きたのです。しかし、勢いが強く見えても、実際はたいしたことを言われなかったのに、数名の学習者はすぐに爆発し、承知しなくなり、その場で言い争いになり、完全に修煉者の状態ではなくなりました。もちろん、皆さんの修煉が良くできていないと言っているのではなく、先ほどすでに言いましたが、皆さんの責任ではなく、師父は皆さんが真相を伝えられるように、それを動かさなかったからです。そのときそれを動かせば、真相を伝えるときに気が弱そうに見え、力強さがなくなります。しかし、今から見ると、養われた習慣はなかなか取り除かれにくいものです。実質的なものがなくなりましたが、刺激されるとやはり平然としていられません。私は何件かを見ました。そのとき、私は当事者にロサンゼルス法会に行ったのかと聞きました。ほかに何も言いませんでしたが、彼はすぐ「あぁ、間違いました。師父、私は間違いました」と分かるようになりました。(皆笑って) それはその通りで、何と言っても修煉者なので、認識するようになったら、それを改め、誰も正しく行なおうと思っており、ただトラブルはいきなりやってくるのです。トラブルがすぐやってくるので、もう準備できたのかと前もって知らせてくれることはありません。こういうことはなく、いきなりやってくるのです。もちろん、ここまで達したのは長い間の積み重ねによるもので、実質的なものがなくなりましたが、養われた習慣により、そのような言葉はすぐ口から出てしまい、すでに習慣になり、なかなか取り除かれにくいものですが、必ず取り除かなければなりません。

 この過程において、この会場から出たらすぐに同じ間違いを起こしてしまう人がいるかもしれませんが、気落ちしないでください。師父はあなたが修煉の過程におり、最終的に正しく対処できるようになり、これは修煉の過程の中のことだと分かっています。しかし、あなた自身は緩めてはいけません。ゆっくりやりましょうと思っているのであれば、それはいけません! 修煉者としてあなたは精進しなければならず、一回目で正しく対処できればそれに越したことがなく、ますますしっかり対処できるようにならないといけません。今から、特に大法弟子がお互いに協調し合って何かを行なうとき、必ず注意をしなければなりません。修煉の中で、あってはならないものを私は皆さんに何も残しませんでしたが、これだけを残しました。当時は真相を伝えることに影響してはいけないので、これを動かしませんでした。実は初期の説法で、九九年「七・二〇」の前、私は繰り返しこれらのことを話していました。そのとき、万が一旧勢力が何かのことを仕出かし、いつもの手口で大法弟子に対して行なうのであれば、この基礎をしっかり築かないと、多くの学習者は乗り越えることができず、修煉をやめてしまうかもしれず、だめになり、落ちてしまうかもしれないと考えていたので、そのときいつも強調し、たくさん話しており、心性の修煉に関してたくさんのことを話しました。九九年「七・二〇」以降、私は言わなくなり、特にこのことにずっと触れていませんでした。その理由も皆さんに話しましたので、今から皆さんは正しく対処すべきです。私が見たところ、本当に正しく対処している人もいれば、表面では無事にやり過ごしましたが、内心では気になっている人もおり、(笑)しかしまだ冷静でいられます。これはすでに第一歩で、大法弟子の次元が違うので、異なる煉功者に対する要求も違います。しっかり行なえる者はさらに高く要求され、速く向上するのです。修煉はつまりこういうことで、設けられた関が小さければ、少ししか進歩できませんが、設けられた関が大きければ、あなたは一つの飛躍を遂げます。

 もう一つのことですが、つまり大法弟子は生活の面において注意すべきです。皆さんが目にしましたが、夫婦間以外の不適切な男女関係は人類の罪悪であり、家庭を破壊し、人倫を乱しています。私は以前、早期のときすでにこのことに気づきました。つまり常人社会で修煉する場合、最大の問題は世が乱れた時期の常人社会の性の誘惑なのです。このことは修煉者にとって、以前非常に厳しく要求されており、どの修行においても重く見られていました。以前、もし出家人がこの方面で戒律を破ったら、もう修煉できなくなります。どの神が弟子を連れて山で修煉する場合でも、誰かがこの間違いを起こしたら、永遠にだめになります。これほど厳粛なことです。大法弟子として、大法の中で修めているのでなおさら神聖ですが、どうしても気をつけない学習者がいます。この社会で、世間の理がどういうものか、人間がどのようにこの問題に対処しているかにかかわらず、修煉者として高い基準で、人間の理を超越してこの問題に対処し、神の要求にしたがっているのです。不適切な男女関係は人間のところにおいても犯罪であり、神はこれらの汚いことをするはずがありません。修煉者は神に向かっているのではありませんか? 神の道を歩んでいるのではありませんか? なぜ神の基準に合わせることができないのでしょうか? なぜ神の要求に従って行なわないのでしょうか? しかも何回も間違いを起こしている人がいます。これではいけません。

 皆さんが知っているように、われわれは皆分かっていますが、歴史上予言された最後の時期のことは今日の人のために書かれたのです。多くの予言で「最後まで残される人は純潔で清らかな人で、その体はきれいなのです」と書いてあります。彼らは人間の純潔さを保つことが最も重要であり、ほかの何よりも重要だと思っているので、残される人は必ずこのような人で、修煉して圓満成就できる人、この世に残る人も必ずこのような人だと思っています。皆さん考えてみてください。宇宙の中の神は大法弟子がこういうことをしているのを見て、どのようにその弟子に対処するのでしょうか? 彼らの神になろうとする人に対する要求基準では、いったんこのようなことをすると、どれほど恐ろしいことでしょうか? いったんこの面で間違いを起こせば、天上の全ての神はあなたを落とさずにいられないと思っており、決してあなたを肯定したり、認めたりしません。ですから、あなたが今後ぶつかる難のその多くの要素はそれらの神がどうしてもあなたを落とそうとしているのです。これはあなたの修煉にどれほどの困難をもたらすのでしょうか? ですから、邪悪はあなたが再三に間違いを犯し、犯しても改めないようにさせ、最後に、あなたは心性の衝突の中で邪に悟ってしまうのです。あなたが言い逃れようとして、絶えず言い逃れをしているうちに邪に悟ってしまい、最終的に大法の理を認めなくなり、反対の立場に走ってしまいます。多くの人が邪に悟ってしまったのですが、本人が本当にそうしたいとでも思っているのでしょうか? 多くの場合、ある面でしっかり行なわず、邪悪に隙に乗じられたからです。ですから、邪悪はもっぱらあなたのこれらの弱点、これらのものを握って放さないのです。いったんこの人がまったくだめになり、それらの基準で見れば引き続き修煉できなくなったと判断されたとき、邪悪は何とかしてあなたを打ち落とし、あなたを台無しにするのです。 もちろん、邪悪は分かっていますが、李洪志は彼の弟子を手放さず、引き続きその人を済度するのです。しかし、皆さん知っていますか? 邪悪はその人を反対の立場に走らせ、その人が大法と大法弟子を裏切るようになり、邪悪に利用される道具となるのです。大法に対して許されることのない罪を犯したとき、どのように済度されるのでしょうか? 邪悪はこのような間違いを犯した人をここまで至らせようとしています。本当にそこまで至ったら、もう済度されなくなり、あなたはすでに償えないからです。それなら、どのように済度されるのでしょうか? 法を正すことに基準があり、大法弟子の修煉にも基準があり、なぜこの面で気をつけないのでしょうか? 師父に泥を塗りつけ、大法弟子に泥を塗りつけ、非常に悪い影響をもたらしました。

 もう一つのことですが、皆さんが常人社会で修煉しており、修煉していない家族に対してずっと正しく対処できていません。もちろん、やはり先ほどの言葉ですが、ここまで達したのは長い間の積み重ねによるもので、最初のとき適切に対処できず、怨念が積み重なり、時間が経つにつれ、隔たりができてしまい、まったく解決できなくなったように見えます。これらの問題は大法弟子が法を実証することに困難をもたらします。これらの問題が起きた場合、やはり大法弟子に間違いがあり、最初のとき正しく対処できなかったから、このようになったのです。実は多くのことは良く協調し、按排することができれば、大法の仕事に影響することはありません。原因はほかでもなく、自分がしっかり対処できておらず、このことをおろそかにしたからです。

 皆さんが知っているように、法を正すこと、修煉は厳粛なことであり、修煉した人が正果を得ることになります。家族はあなたの圓満成就により、福報を得ますが、修煉しない親戚、友人、親、子どもは決して一緒に圓満成就することはありません。個体の生命として、修煉しない人はその人なりの未来しか得られず、あなたはその人の代わりをすることもできず、その人のことを背負うこともできません。法を破壊していませんが、修煉もしていない人はあなたの圓満成就によって福報を得て、場合によってあなたの世界に行ってそこの衆生になる人もおり、またはこの世で将来福報を得るかもしれず、縁によって決まります。あなたがこの環境で修煉して圓満成就したので、親戚やひいては先祖まで受益します。逆に、それらの大法弟子を迫害し、法を正すことを妨害した人は、その人が原因で先祖まで罪を引き受けて、地獄に落ちるのです。家族の人も修煉できるようにすれば、それは最も良いのですが、修煉できなくても、救われる生命にし、少なくとも良い人になって、はじめて福報を得ることができます。一部の学習者は最初の頃、しっかり対処できず、このことをおろそかにしました。その最大の原因はつまり、相手が私の親戚、親、子どもだから、大法を修めることがこの上ない良いことで、私が言うことに皆従うべきで、皆に大法を修煉させようと思い、言葉が強制的になり、または私の言うことに必ず従いなさいと無理やり押し付けています。生命の肝心なときは、ほかの誰も代わることができず、あなたの一存で決められません。この世の生活のことなら、代わりにやってあげることができ、ひいては相手のことを決めてあげることができますが、本当にこの生命の肝心なときになると、この生命が何を選択するかは、それほど簡単なことではなくなります。人間は一生だけでなく、今生ではあなたの家族ですが、来世になると、ほかの人と家族になり、次の世になると、どこに転生するかも分からず、ただ一生だけの縁に過ぎないので、あなたはどうして彼の生命の永遠に関わる選択を代わってしてあげられるのでしょうか? あなたが本当にただ相手を救い済度したいという願望を抱き、相手を救い済度すべき生命と見なしていれば、このことは変化します。つまり、多くのことは対処の仕方が異なれば、得られる効果も違います。

 その他に、一部の若い大法弟子は常人と結婚し、本当に情によって引きずり落とされ、常人になり、常人よりも常人になりました。また、ひどく妨害された人もおり、その気持ちはありますが、力が及ばず、夫婦の関係に影響されることを心配しながらも、大法のことをしっかり行なわなかったことも気になり、自分の修煉が影響されたことも知って、最後に心身ともに疲れ切ってしまい、どのようにすればいいのか分からなくなりました。実は冷静になって考えれば、これらのことは全部解決できます。この法はこの世でこのように伝わり、常人社会でこの修煉方式を選んだ以上、必ず常人社会で遭遇する全てを解決することができ、あなたがどのように家族に対処するかにかかっており、正念をもって対処することができるかどうか、修煉者の正念ではっきり説明できるかどうかにかかっています。正しく対処することができれば、良い効果を得られますが、そうでなければ逆になってしまいます。

 実は常人の中で真相を伝えるときも同じで、相手がどういう態度であっても、ただ慈悲の心をもって接していれば、彼の心の奥底、彼の生命の迷っていない部分は全部分かります。もしいい加減に、ひいては常人の心に動かされてしまえば、きっと良い効果を得ることができません。これほど神聖なことで、一人の生命の未来を決めることなのに、どうして軽々しく済ませようとしているのでしょうか? どうしていい加減に対処しているのでしょうか? どうして常人の心に動かされ得るのでしょうか? 実は真相を伝えていると言っていますが、あなたはすなわち相手を救っているのではありませんか? あなたは人を済度しているのではありませんか? あなたは相手を済度できなかったばかりでなく、かえって相手によって引きずり落とされました。心を動かされたのは執着があるからです。執着がなければ、相手に動かされることはありません。非常に理智的で正念をもって真相を伝えていれば、効果が異なります。

 多くの大法弟子ははるばるこの法会に参加しにきましたが、容易いことではありません。それぞれ仕事があるので、皆週末の休み時間を利用して飛行機で来ました。来てから師父に話したいことがたくさんあり、幾つかの疑問についても聞きたいと思っているかもしれません。ロサンゼルス法会が終わったばかりで、しかも整理して本にするので、多く話すと本当に消化できなくなり、今日はここまでにします。夏になると、法会が比較的多くなるので、次回また話しましょう。(拍手)

 ついでにもう少し話しますが、真相を伝えることにますます力を入れ、緩めてはならず、決して緩めてはいけません。もし人類に本当に予言の中で言われたことが現れたら、将来後悔しても間に合いません。衆生や、自分が先史のときに立てた誓約に申し訳が立つようにしなければなりません。しかも、この邪悪な迫害がまだ終わっておらず、私たちに緩めていい理由は何もありません。大法弟子にとって、実はあなたはほかの人のために行なっているのではなく、大法のために行なっているのでもなく、なおさら師父である私のために行なっているのではありません。あなたが行なった全てはあなたの修煉であり、この修煉はこういう形式で、形がないという形をとっているのです。社会で遭遇した全てはあなたの修煉範囲内のことで、あなたがどのように対処するかを見るだけです。この迫害ももちろん、あなたの修煉範囲内のことです。ですから、皆さんが今後どのように自分の道をしっかり歩むかはつまり、どのように自分をしっかり修めるかなのです。個別に現れた幾らかの問題について、多く話したくはありませんが、皆さんが冷静になり、全てが偶然なことではなく、いずれも原因があると分かっているからです。私は皆さんの正念がもっと強くなり、もっと精進し、邪悪に隙に乗じられないようにしてほしいと思っており、このようにすれば大法弟子が蒙る損失が少なくなります。特にこの時期、真相を伝えることは人手が必要で、もっと多くの人が真相を伝え衆生を救うことに参加する必要があり、もっと多くの人が各プロジェクトに参加し、邪悪の迫害を打ち破る必要があるため、一人が少なくなると、大きな力が減ってしまい、一人が多くなると、大きな力が増えることになるので、私は誰一人も取り残したくはなく、誰をも失いたくなく、早くこの世を去ってほしくないと思っています。大法弟子の圓満成就はもう問題はありませんが、早くこの世を去ってしまえば、大法弟子が行なおうとすることに損失を与え、旧勢力に隙に乗じられることになるのです。今ちょうど人手が必要なので、損失をもたらさないでください。私が思うには、皆さんはできるだけしっかり行ない、強い正念を持ち、損失を避けてください。

 このくらいにしましょう。ありがとうございます。(会場から熱烈な拍手が沸きあがる)

 

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/9/12/208261.html)