正念を持って邪悪なアジトを脱出した感想
文/山東省の大法弟子
(明慧日本)私は1996年に法輪大法を修煉し始めた弟子です。修煉の道で、大法の基準に従い自分自身を律しています。しかし、ある時は精進できなくなり、2009年5月に邪悪に弱みを突かれました。警官らは、私の車の中から法輪功の真相資料とスローガンを見つけ、そして、家にあった法輪功書籍と師父の肖像を押収しました。私は地元の留置所に移送され、さらに一年の労働教養処分を言い渡されました。当時、邪悪の一切の態度や言動を怖がらず、ずっと発正念をして警官たちの背後にいる邪悪な要素を取り除きながら、牢屋で法輪功の真相を伝えていました。家族も外で懸命に私を救助し、私も自分の漏れを探していました。なぜここにいるか、ここにいるということは絶対にどこかに漏れがあるに違いないと思いました。数日間、内へ向かって絶えず探していました。修煉上であまりにも多くの漏れを発見しました。
普段、私は天目が見えませんが、拘禁されてから4日目に、かすかに師父が私の右側に現れたのを見えました。しかし、その表情は厳しいものでした。周りに多くの神々が現れたがはっきりと見えません。突然左側から「あなたは後悔しますか?!」という声が聞こえました。その時とても感情的になり、涙を流して、「数千年もの間を待っていたのはこの大法です、師父はかつておっしゃいました『朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』(『精進要旨』「法の中に溶け込む」)、私は法を得てこれほど年月が経ち、法輪大法を修煉するために監獄に入ることは光栄で、なぜ後悔しますか? 大法のために、進んで私の命を含むすべてをささげます」言い終わった後、師父と神々は消えて行かれました。
涙が止まらないので、人の目を避け、トイレに入り、ずいぶん泣きました。泣きやんだあと、部屋に戻って自分を迫害するすべての邪悪を取り除こうと発正念し続けました。私は大法弟子ですから、師父も今回の迫害を認めていません。私は認めていないので、絶えず発正念しました。
こうして数日経ったところ、突然この邪悪なアジドが爆発しました。たくさんの黒いものが砕けて四方に飛んでいました。振り返って見て驚きました。大勢の大法弟子が黄金に輝きながら私の周りを囲み見つめ、黄金色が空全体を覆い、邪悪は一瞬にして烏有に帰しました。私はただ呆然としてそこに立ち、思わず涙を流しました。こんなに多くの大法弟子が私を助けてくれるなんて思いもつきませんでした。またトイレに駆け込み泣き続けました。この震撼した気持ちは死んでも忘れることはないでしょう。心から師父に感謝し、同修に感謝します。これから私の正念はさらに強くなり、拘禁されるべきではなく、ここから出なければならず、まだたくさんの衆生が私が救うのを待っています。この一切のことは師父が按配されているので、誰も変える権利はないと思いました。そして、この数日間の師父の按配はとても完璧で、とても不思議であると肌で感じ取り、それは言葉で表すことはできません。強いて言えば、絶えず感動し、涙をこらえている感じです。
金であればどこに置こうとも黄金に光る。私は大法弟子です、どこに行っても人々に大法の素晴らしさを伝えるべきです。ですから、受刑者に法輪功の真相を伝え、「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と覚えれば、悪いことに遭うと良いことに変わり、困難に遭うとめでたいことになるとみんなに伝えました。数日後、受刑者たちに「覚えていますか」と聞くと、「法輪大法は素晴らしい」と大きな声で叫ぶ人がいました、しかも受刑者たちは私の名前を呼ばず、その代りに法輪功と呼んでいます。私はこれに反対しません。なぜならいつも自分が大法弟子であることを気付かせてくれ、また皆さんにいつも大法が素晴らしいことを気づかせています。彼らの中に団員、党員に加入しているもいて、そのほとんどの人が三退に同意しました。彼らの代わりに良い仮名を付け記録しました。数日後、私は無罪で釈放されました。留置場を出るときみんなに私が言ったそのことを覚えてくださいと伝え、みんなはそろってうなずきました。中にいた党員に加入している人(その時はまだ三退に同意しなかった人)が、突然私にこう言いました。「忘れないでください! 彼が脱党したことが分かっています(自分が三退をしたいという意味)」、私はうなずいて、「忘れないよ」と言いました。
以上話したのは留置場で感じたことです。帰ってから、同修たちはいたるところで私の消息を尋ね、法輪功修煉者を迫害する機関に大量の真相スローガンを貼り、そして一部迫害に関与する人の連絡方法を手に入れ、みんなで集まって発正念をして救援し、海外の同修も絶えず電話で真相を伝え、大いに邪悪を震撼させ、他空間の邪悪の要素を解体しました。私がこのようにして留置場を出たのは、すべて大法弟子が協力し合ったからです。内外が呼応し邪悪を取り除くことは、本当に行えばたちまち効果が現れ、親族が救援活動をするときはいろいろな困難に遭い、得た情報はあいまいでした。最後に、労働教養所が私を引き取ることを拒否し、やむを得ず留置場は無罪で釈放しました。本当に「弟子正念が足りれば、師は回天の力有り」(『洪吟二』「師徒恩」)の通りです。
自分にどこに漏れがあるかを考えると、自分が前より精進しなくなり、法を学ぶ時間はだんだんと少なくなり、煉功は統一した時間で煉功できず、夜中0時の発正念をすることはとても少なくなり、それを補うことも少なくなりました。資料を配る時はぐずぐずして勝手にすることが多く、真相を伝えるときは人を選び、見て感じが良い人に伝え、感じが良くない人に伝えません。闘争心を徹底的に取り除いておらず、常人に対して不公平になり、恨みが生じます。パソコンのゲームをやりたがる癖もあります。自分にたくさんの漏れがあることを知っているにもかかわらず、しかも正法の最後の時期に努力していません。これは師父の慈悲に対して恥じることになります。今後、必ず努力して同時に三つのことをしっかりと行えば、正法時期の大法弟子として恥じることはなく、衆生に対して恥じることはないのです。これからは、これまで努力しなかったために生じた損失を挽回します。
私はあまりよく修煉できていません。最近の感じたことを書き出して、同修とともに切磋し、ともに前進します。間違っているところはご指摘ください。
2009年9月22日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/9/17/208405.html)
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