自分の環境を真の修煉の環境とみなす 文/中国本土の大法弟子
(明慧日本)師父の最新発表の経文『マンハッタン説法』を学びました。最も感じたことは、今まで自分の仕事と生活の環境を、真に修煉する環境と見なしていないことでした。たとえば、仕事の環境で遭遇した問題、あるいは、家で何か問題が起きたとき、問題に対して何も考えず早くこのことを終わらせようとする気持ちで一杯でした。如何なることに遭遇しても、すべて自分の執着を取り除く過程ではありますが、周りの環境を修煉の環境として見ていませんでした。目の前のことを早く終わらせ、その後学法して、三つのことを良く行おうと思いがちでした。仕事だけではなく、何に対しても遭遇したすべての環境は、全部修煉の環境ではないでしょうか? これは自分の修煉方式ではないのでしょうか? しかし私は、意識的・無意識的に仕事と修煉を分けようとしました。仕事が終わって家に帰って学法し、発正念を行い、真相資料を作成することが真の修煉の始まりだと思っていました。実は師父がこの方面に関して「法を多く学びなさい」とおっしゃいましたが、今になって真に修煉の環境とはどういう環境のことなのかが分かりました。
師父はおっしゃいました。「いずれにせよ、修煉者として現在社会で行っているこのすべてを分かった以上、あなたのプライベートな生活も含めて、いずれも修煉の範囲に入っているので、皆さんは今まで以上に身辺に起きたすべてに厳粛に対処し、今まで以上にこの形式がないという形の、修煉に対して厳粛に対処すべきです」「あなたが行ったすべてはあなたの修煉であり、この修煉がこういう形式で、形がないという形を取っているからです。社会で遭遇したすべてはあなたの修煉範囲内のことで、あなたがどのように対処するのかを見るだけです」(『マンハッタン説法』)
以前の私は、仕事や家庭などで問題に出遭ったこと自体を恨み、早く終わらせようとイライラしました。実はどちらも自分の心がもたらした結果で、悟性が本当に低かったのです。
この法理を認識してからは、心も焦りませんでした。現在、中国共産党の建国記念日がやってくるので、職場では大合唱の練習をしています。私はその中で黙々と発正念を行っており、その場のエネルギーが強いと感じています。同時にこれらの人々が可愛そうに思えてなりません。無知のため、邪悪に操られ利用されているのを見て、心の中は慈悲心で満ち溢れました。バスや電車には中国共産党の旗が一杯かけてあり、それらの色は全部赤でした。私はこれこそ邪悪を取り除く良い機会であることに気が付きました。どこにいても全部修煉環境であり、全てが自分の修煉環境なので、私は自分が行うべき事を良く行います。
以上は私の得た悟りです。間違った所は同修の慈悲なるご指摘をお願いします。
2009年9月22日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/9/20/208532.html)
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