■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/09/22/mh230939.html 



他人事も自分の修煉となる

文/河北省大法弟子 丁容

(明慧日本)ある日、他所から当地に避難して来た同修2人のために、発正念してあげようと協調人からの知らせがありました。

 実は、この2人は30代と40代の男女で、数年間も放浪生活をしています。普段、同じ部屋に住み、学法や発正念もし、真相伝えなどもしています。男性の家庭では、妻と子供が学法のことに反対で、学法する度に大法の本を奪うのです。女性の方は、学法していると旦那さんが告発するぞと言い、とにかく学法をさせないとのことです。

 この2人の行為を見て、誰もが心を痛めるでしょう。原因は、まず放浪生活のなかで、男女が付き合う修煉の状態は大法に認められないことです。修煉者は色欲の心を無くすべきなのに、かえって自分から進んでそんなことを求めます。それはどんどん悪い方向にいくのではないでしょうか? また、家庭の環境がよくないならば、まさに自分自身が向上して、家族に真相を伝えるチャンスではありませんか。

 旧勢力の按排したことを認めたので、隙に乗じられたのです。当日この2人は現地のある同修と一緒に真相資料を配布する予定でしたが、突然男性は「脳梗塞」のように倒れて、人事不省になりかけました。慌てて、同修達は男性を病院に運びました。一週間が過ぎても病状はよくならず、記憶も失くしています。その上、同修は一万元余りを費やして治療費に充て、数人の同修が毎日病院に来て発正念しなければならなくなりました。幸い、同修の奥さんも同じく修煉者であり、一言も文句を言いませんでした。

 この事件が私たちの地区に発生したのは偶然ではなく、その原因を内に向かって探すべきだと思います。しかし、私の耳に入ったのは愚痴ばかりでした。「今はどんな時期なのでしょうか、まだこんなことがあるなんて。何を修めているの? どう悟ったの?」 「今人を救うのに急いでいる時期なのに、全県の同修に呼びかけて、精進していない人の為に動くなんて、これは やり甲斐があるのでしょうか。これは内部の消耗ではありませんか」 「あの一万元を、人を救い済度するために使ったら、どれだけの人を救うことができるのでしょうか? しかし、すべて病院にあげて残念です」

個人的な考えですが、表面上では同修の事に見えますが、この話を聞いた同修は、皆が内に向かって原因を探すべきです。私たち全員が他人事として外に押し出そうとしている心があるから、その男性同修に魔難を増やしました。他の空間にいる邪悪は、我々を狙っています。悪党の敏感日が迫って来ており、きっと自分の滅亡を承知しなくて、我々にいろいろの妨害を作るのです。しかし、私たちは師に従って法を正す大法弟子なので、これくらいのことで動じるわけはありません。同修の事を手伝ってあげるのは正しいことですが、邪悪を暴露し人を救い済度する心が妨害されるわけではありません。全員一致で協力し合い、共同精進する私たちの意志を変えることはできません。

 もし我が県の同修が皆この機会を利用し、自分の心性を向上させ、発正念の強度と頻度を強化して、理知慈悲に真相を伝えに行って、その上この男性同修の事に対して表面の是非を論じることをしなければ、きっとよい転機が現れるはずです。我々全体が「自然に任せて得られる」の心境を持っていけば、その男性同修が今の難を乗り越えたかもしれません。なぜなら、修煉上に出会ったすべては我々の心性の向上に関わるからです。

 個人的な認識ですが、不足があればご指摘ください。最後に、師父の『2009年大ニューヨーク国際法会での説法』の一部を引用します。 「しかも、師父は皆さんに教えたのですが、修煉は自らを修め、内に向けて修め、内に向けて探すべきです。皆これができれば、どんな問題も解決され、これは協調を取る最も良い方法で、最も有効な手段であり、なぜこのようにしないのでしょうか?」 「環境は人心によるもので、環境が良くないのは、皆さんがそうさせたのです。もちろん、自分を神だと言い、理性的に行うことができなければ、それがまた自分自身を妨害することになります。必ず理性を持って、正々堂々と行い、自分が何を行うべきかについてはっきり分かっていなければなりません」

2009年9月22日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/9/15/208343p.html

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