日本明慧
■印刷版   

私達はいつ成熟するのか


文/河北省の大法弟子

(明慧日本)私達は法を学び、煉功し、真相を伝えている時は穏やかな心理状態で、物事を法に照らして考えることができます。しかし、個人の執着に関わると、つまり心性に問題がある時は、互いに責め合ったりしてトラブルが生じます。時には心から納得できず、同修の間で陰口を話し、完全に人心をもって同修との間の問題に対処しています。このことについていつも思っていたのですが、修煉者として時に表れる状態はまるで小学生のようで、学校にいる時は先生の話をよく聞きますが、いったん学校の環境から離れると先生の話を全部忘れてしまいます。修煉者には取り除くべき悪い物はたくさんありますが、時間は私達を待ってくれません。私達は人を救うという重大な使命を背負っているため、早く成熟しなければなりません。

 私達は修煉者であり、修煉者と常人の根本的な違いは、常人の全ては自分のためですが、一方、修煉者の全ては他人のためだということです。私達の出発点は違っており、出会ったすべてのことを常人の理で量ってはいけません。ですから、私達は常に大法弟子の心理状態を保ち、法ですべてを量らなければなりません。それにより、自分自身の不足を次第に取り除くことができ、早く成熟することができます。

 1999年の迫害開始からすでに十年が過ぎました。今日まで歩んできたあらゆる大法弟子は、修煉の過程で執着を取り除く時の苦しさ、友人が理解してくれない時の気持ち、社会の圧力、邪悪の妨害と迫害を経験しました。このすべてのすべてに、私達はみな正々堂々と対処してきました。しかし、同修同士のトラブルや隔てが大法弟子の正念を消耗する主要な要素になってしまい、全体の協力と世の人々を救う効果に直接影響を与えてしまいました。

 海外の大法弟子が神韻公演のチケット販売をするときのことですが、ある地区の大法弟子の人数は少なくありませんが、協調に問題があって、チケット販売の効果が良くありませんでした。しかし、ある地区では大法弟子が数人しかいませんが、チケット販売の効果がかえって良いのです。なぜでしょうか。数日前に私は夢を見ました。私はある地区の法会に参加しました。私が会場に入ろうとするとき、法会に参加した同修は囲まれた枠の中で2、3人がグループになっているのを見ました。同修たちは枠の中で修煉のことを話し合っていました。この夢は、私の地区と一部の地区の協調に対する真実の現れでした。

 私の地区の状況を話すと、同修たちは一丸となっておらず、枠の中で2、3人がグループになっている状態です。これもこの数年間の真実の状況です。全体の協調について話す時は、皆も全体の協調と協力の重要性が分かり、緊迫感を覚えます。しかし、なぜ今になっても数年前の状態と同じなのでしょうか。はっきり言うと、自分を放下できないからです。他の同修は、個人の観念と情を持って物事に関して話し、ある同修は完全に常人の心ですべての問題に対処しています。全体の協調の問題について話すと、誰の間違いかの問題に陥り、後で誰が協調人になるかの問題でも食い違いがありました。ある同修はまず毎週一緒に学法して、問題があったら一緒に交流し、協調して法の中で共通認識を持てば、次第に一丸となれるのではないかと話しました。しかし、自分を放下できず、同修に意見があって、ある同修はやはり昔のように各自でやるべきことをやればいいと話しました。当然、修煉の中で現れたすべては偶然ではありません。トラブルに遭って、みんなが是非を論争しているのでは、向上できません。

 師父は『マンハッタン説法』で次のようにおっしゃいました。「皆さんは今からも同じことになりますが、あなたが正しいかどうかに関係なく、この問題は一人の修煉者にとってまったく重要ではありません。言い争わないでください。誰が正しいか、誰が間違っているのかを強調しないでください。いつも自分が正しいと強調する人がおり、あなたが正しいのであって、間違っていませんが、それはどういう意味があるのでしょうか? 法に対する認識が高まったのでしょうか? 人心をもって正しいかどうかを強調すること自体は間違っています。なぜなら、あなたは常人のあの理で自分を量っており、常人のあの理で相手を要求しているのです。神から見れば、修煉者がこの世において、正しいかそれとも間違っているのかはまったく重要ではなく、人心の執着を取り除くことこそ重要であり、修煉の中でどのように人心の執着を取り除くかが重要なのです」

 なぜトラブル、隔てがあるのでしょうか。自分の執着心が自分を守ろうとする心があるのではありませんか。私達の人心が枠を作ったのではありませんか。これは修煉ですか。私達は他人ばかりを見て、他人を修めてはなりません。法理の中でも分かることができます。トラブルの双方だけでなく、このトラブルを聞いたり見たりした第三者の私達も自分の心をみて、自分の心を取り除くべきです。早く向上し、このようにすれば根本的にトラブルを解決できるのです。

 師父は、数年前の説法ですでに、私達が良く協調するようにおっしゃいました。とりわけ「オーストラリア学習者に対する説法」の中では、私達に内に向って探し、互いに良く協調することが法を良く実証できる方法だと教えてくださいました。師父は最近の説法の中でも、再び内に向って探し、全体に協調することに言及されました。しかし、私達はまだ他人の間違いを見ています。枠の中で他人の考えがどのように法から離れているのかを話しています。これは直接、同修の間の信任に影響を与え、一丸となることを妨害します。

 私達は一緒に幾つかの問題を考えて見ましょう。一つは全体の協調の問題で、自分が担当した役割は何か、果たした作用は何か。二つ目は同修とのトラブルに対処する時、あなたは誠実に同修と交流したのか、それとも同修の中でトラブルを拡大したのか。三つ目は同修が他の人の話をするとき、あなたは法に照らして制止したのか、それとも意見に同調したのか。人を救う瀬戸際で、私達は冷静に自分の言行を考えてみて、邪悪を喜ばせることをしてはなりません。

 世の中で互いにいかなる恩と仇があっても、この千年待っても出会えない正法の期間にすべてを解決するべきです。まして私達は大法弟子ではありませんか。前世の因縁があっても、現在は法でこのすべてを量るべきで、すべてを善く解決すべきです。私達を迫害する悪人、警察さえ私達は慈悲の心を持って真相を伝えているのに、なぜ自分の同修に対して度量を広くしないのでしょうか。誰でも間違いはあります。自分がこの数年間犯した間違いを考えてみてください。どんなことでも正しいか間違いかを決めようとするのは、常人の観念で物事を量るのではありませんか。自我に執着しているのではありませんか。無私無我、これは私達が到達すべきな思想境地で、私達は一歩一歩、向上すべきです。

 師父はおっしゃいました。「実は大法弟子一人ひとりは巨大な宇宙体系に対して責任を持っており、これほど大きな体系にいる無量の衆生を救い済度するには、責任が重大なだけではなく、道を正しく歩むことは非常に肝心なことになります」。(『マンハッタン説法』)自分の使命、今の修煉状態を顧みる必要があります。こんなに多くの世の人がまだ騙されています。もし私達はひたすら自我を強調し、人を救う肝心なところで全体に協調せず、これで救える人が1人でも少なくなれば、この責任は逃れられません。私達は目覚め、成熟しなければなりません。

 以上は個人の修煉過程の認識で、偏っているかもしりません。今の段階の認識を書き出し、同修と交流するときの参考になればと思います。

 2009年9月23日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/9/22/208682.html

■関連文章
執着を取り除いて早く成熟しよう
同修である家族とトラブルが起きた時でも内に向けて探す
自分を律することを緩めない
善の念で同修の不足に対応することは、一丸となるために肝要なこと
好奇心について
新しい学習者:執着を放棄し、法を実証する
旧勢力はいかに大法弟子を妨害しているのか
表の輝きと裏の執着
同修の一言で私は自分の執着心を見つけた
大学の中で大法を実証する