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人と神との一念の差


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)2年前、臀部に腫れ物ができました。時間が経つにつれてますます大きくなり、痛みも伴って夜には眠れなくなり、不安でイライラしました。常人の方法で治療してみようかな・・などと思ったりもしましたが、同修に笑われるのが怖くて止めました。しかし、腫れ物の痛みはますますひどくなり、一日が1年のように長く感じられました。

 一番苦しくなった時、「私が人の考え方を選択したならば病院に行くだろう。神の立場で選択をしたならば師父に一切のことを任せるだろう」と自分自身に対して問いました。そこで私は自分を師父に任せようと決め、腫れ物を心の底から放下しました。それから数日たって、私は意外にも腫れ物のことを完全に忘れていました。私はふと腫れ物のことを思い出して触ってみると、小さくなっていて痛みもありませんでした。出来事自体は小さいことですが、この事から、私は大法の不思議さを経験し、人と神との一念の違いの意味を悟りました。

 オリンピックの前夜、中国共産党はいわゆるオリンピックの安全保障のためという名目で、大法弟子を気が狂ったように迫害していました。私もそのとき捕まりました。留置場の扉を見た瞬間、私は師父に「師父、私はきっとよく行いますので、安心してください」と心の中で話しかけました。そこで私は師父の教えを思い出しました。「大法を学んだら、良いことにあっても悪いことに遭っても、皆良いことです」(『2005年サンフランシスコでの説法』)私は怖がる心がなくなり、時間があれば発正念をしました。「私が邪悪の巣窟に来たのは、発正念してこれらを解体する絶好の良い機会ではないか? 普段こんな機会に出会えるものでもないし・・」と考えました。私は、法に照らして、やるべきことと話すべきことを考え、邪悪の要求と指示に従いませんでした。

 私は『米国西部国際法会での説法』の師父の教えを思い出しました。「ですから、一人の修煉者にとって、自らを堅め、如何なることがあっても動揺しないという確固たる正念があれば、これこそ素晴らしいのです。金剛のように、磐石のごとく確固としていれば、誰もあなたを揺るがすことができません。邪悪はあなたを見て恐れてしまいます。もし困難の前で、念が非常に正しければ、邪悪の迫害や妨害を前にするとき、あなたが言った、正念の強い一言は邪悪を直ちに解体することができ、邪悪に利用された人がすぐに逃げてしまい、邪悪のあなたに対する迫害はすぐ消え、邪悪のあなたに対する妨害を即刻になくすことができます。正しい信念というこの一念だけですが、この正念を守りきることができる人は、最後まで歩むことができ、大法によって造られた偉大な神になるのです」その時、私は一瞬師父が身近にいらっしゃるのを感じました。

 家庭の環境をよく正さなかったため、夫は私が大法に関わることをするとき機嫌が悪くなりました。私も日ごろ大法の事をするときには夫に気付かれないようにし、夫に知られるのを怖がっていました。今回の連行事件で、夫は邪悪の偽善に騙され、私が邪悪に協力するように仕向けたり、邪悪が要求する保証書を書くなどして、邪悪な気勢がはびこっていました。私は夫に動かされず法で一切のことを量り、普段のように夫に対して怖れる心もなくなりました。監禁されている期間中、私の頭にはただ二つの事、発正念と法を暗記することしかありませんでした。翌日の午後、夫は留置場に私を迎えに来ましたが、態度は完全に変わり、何の文句もなく、外食してから家に戻りました。何事も発生しなかったのです。私はあらためて師父を信じ、法を信じるという事は一番の安全策であると悟りました。師父は常に私達を守ってくださいます。しかし、私達自身が自分を神にしてこそ、師父は私達を守ることができます。

 家に帰った私は今回の監禁を良いことと見なして、真剣に内に向って探した結果、自分の多くの問題点を見つけることができました。表面的には三つのことを全部良く行っているように見えますが、本当は全部ちゃんと行っていなかったのです。発正念するときの状態も悪く、発正念の時間も守りませんでした。法を学んではいても、真に心を静かにして学ぶところまでには至りませんでした。真相を伝えることはなおさら良くできていませんでした。緊迫感がなく、怖がる心もありました。こんな不足を見つけて自分でも驚きました。最近、身体に常に病業の状態が現れてきましたが、これは全部自分の修煉上に漏れがあったので、旧勢力と黒い手に隙に乗じられたからです。当然、師父は旧勢力の迫害を認めず、もちろん私達も認めませんが、もし私たちが師父の要求される大法弟子として、一つの念、一つの物事さえも大法の法理で量ることができ、正々堂々とした大法弟子になり、神のようになったら、邪悪が私達を迫害しに来るでしょうか? 病業が現れるでしょうか?

 再び『法輪大法-オーストラリア学習者への説法』を聞いて、感じるところが多くありました。私は古い弟子なのに、本当に慈悲で偉大なる師父と、同修、さらに私が救うべき多くの衆生に対して顔向けが出来ません。これからはさらに三つのことを良く行い、師父が要求されている正法の進展に追いつき、自分が先史に誓った願いを達成させようと決心しました。

 2009年9月25日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/9/23/208864.html

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