■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/09/27/mh282593.html 



機縁は一度のみ、急いで人を救い済度しよう
—私の周辺の大法弟子—

文/中国の大法弟子

(明慧日本)

  一、大法弟子の李明さん(匿名)は、子供と手をつないで街を歩いていました。歩いているうちに子供は「お母さん、このお祖母ちゃんに真相を伝えようよ」と言いました。李さんは子供の話を気に止めることなく歩き続けました。子供は李さん引き止めようとしました。そして「お母さん、このお祖母ちゃんに真相を伝えようよ」とさらに言いました。李さんは子供の強い意志に負け、そのお祖母さんに近づき話しかけました。ところがそのお祖母さんは大法弟子で、ほかの地区から引っ越しして来たばかりだというのです。その同修は心の中で地元の同修と出会えればよいのにと思っていました。これはまさに師父の按排だったのです。2人は昔からの知り合いだったかのようにすぐ仲良くなりました。地元の同修たちもこの年配の同修に会えたことを心から喜んでいました。李さんこのことを通して、修煉者は、出会ったことに偶然はないということ、子供の言ったことは法に適合していれば、大人として聞き入れるべきだということを悟りました。

  二、ある日、大法弟子の黄慧さん(匿名)は、街を歩いていました。突然後ろの方から黄さんを呼ぶ声が聞こえ、振り返って見ると、中年の女性が黄さんに向かって歩いて来ていました。そして「あなたは黄慧さんですね?」と聞き、「私は玉翠(匿名)です」と言ったのです。黄さんは玉さんに出会えたことを嬉しく思い、そして「あなたは連行されたと聞きましたが、いつ出られたの?」と聞きました。2人はそれぞれこの数年来の出来事を話しました。このような人混みの中で出会えたのは、本当に縁があるのです。玉さんは真相資料を配っていた時、二度連行され、7年以上拘束され、残酷な迫害を受けましたが、九死に一生を得ました。玉さんは収容所で癌と診断され、余命3カ月と医者から死刑宣告を受けたため、釈放されたのです。

  師父のご加持と、同修の手助けのもと、玉さんはいち早く全身全霊を正法に投じました。玉さんは「大難を生き延びたのは、師父が救ってくださったからです。ですから私の命は、師父に手伝って法を正すことに尽くす、それ以外には考えられないのです」と言いました。この話を聞いて黄さんはとても感動し、自分の行いを振り返って見た時、あまりにも恥ずかしく思ったのです。その後、黄さんは自分を厳しく律し、師父の言葉「確固として最後の道をしっかり歩み、法をよく学び、自らをしっかり修めていれば、正念はおのずと強くなり、大法弟子が行うべき事を必ず良く行うことができます。」(『祝辞』) 肝に銘じ、「三つのこと」をしっかり行い、人を救い済度します。

  三、黄さんは李平という人と、商売で10年来の付き合いがあり、お互いに信用し合っていましたが、しかし、商売以外で言葉を交わしたことはなかったのです。最近、李さんは身体の調子が優れず、医者の診断は癌ではないかとのことでした。李さんは治療のため仕事を休むことにしました。黄さんはこの話を聞いた時、李さんに法輪功の真相を必ず伝えようと思いました。「あなたに一つの秘密を教えます。私は法輪功の修煉者です」と告げました。それを聞いた李さんは驚いたようで「そう! それは確かに秘密ですね! でも何故私に教えようとしたのですか?」と聞きました。黄さんは以前、自分が病気になったこと、いかに治療を求め、どれだけの薬を飲んだか、どのように神佛を拝みお願いしたか、いろいろの気功を試したこと、最終的に真の佛法と出会えたこと、その真の佛法である法輪大法が迫害を受けていることなどを一気に話しました。

  2人は10年来の付き合いの中で、初めてこんなに長く、しかも意義深い話をしたのです。黄さんは続けて『精進要旨一』「法正」を暗唱し始めました。「人に徳がなければ、天災、人災が起きます。 地に徳がなければ、万物が凋落します。 天に道がなければ、地は裂け天は崩れて、茫々とした宇宙は、すべて空っぽになってなくなります。 法が正しければ、乾坤は正しくなり、生気があふれて、天地は固まり、法は長く存在します。」 李さんは目を丸くして、瞳を輝かせながら夢中で聞き入っていました。そして大きく深呼吸をして「とても素晴らしい!」と言いました。黄さんも思わず「あなたは縁のある人」と称賛しました。黄さんはこのとき再び、衆生を救い済度することの緊迫性を認識し、大法弟子としての責任を感じました。

  四、私は、その女性が私の目の前に立った時のことを、しばらくの間忘れることが出来ませんでした。その人の名は「黄菜花」と言います。あの日、私たちは法を勉強していました。黄さんは慌ただしく部屋へ入って来て、私の目の前に立ち止りました。黄さんは皮膚の色が黒く痩せていました。上下の服には黄色の菜の花模様が描かれていました。黒人のようでした。その服は強く印象に残っており、だから私は彼女のことをよく覚えていたのです。黄さんは袋を背負っていました。実はその人は同修であり、以前この地区の協調人でした。黄さんは正念が特に強く、何時も袋に真相資料を入れ、周囲数十キローメートル配って歩き、警官の追跡をかわし、危険にさらされた時も、正念をもって何度も危険から脱出したのです。

  しかし後になって、黄さんは連行されたことがありました。釈放されてから、家族は黄さんに再び出られるのを恐れ、街に住むのを諦め、数十キローメートルも離れた郊外に転居し、そして家に鍵を掛けていました。それでも黄さんはグループ学法に参加したいと夫に言いましたが、大声で怒鳴られてしまいました。黄さんは夫に対し「あなたの騒ぎで、私が法輪功修煉者だということを知られ、これで外に出て真相を伝えることができるようなった」と話したそうです。黄さんはこの話をすると、いつも笑い出してしまうと言っていました。

  黄さんは間もなく帰って行きました。隣の同修は、黄さんと同じ収容所にいたことがあり、当時、黄さんは残酷な迫害を受けて「転向」し、それを後悔し、その過ちを百倍、千倍にして償いたいと言っていたと話しました。

  正法の過程は素早く進展しており、機縁はこの一度しかなく、私たち大法弟子は急いで衆生を救い済度しなければなりません。

  2009年9月27日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/9/19/208588p.html

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