■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/09/27/mh285776.html 



神韻のプロジェクトにおける修煉と向上

文/イギリスの大法弟子

(明慧日本)尊敬する師父、同修のみなさん、こんにちは。

 2007年11月、私たちはロンドンで神韻芸術団公演の宣伝とチケット販売を始めました。私と夫はチケット販売のホットラインの受付を担当しました。最初、私は自分の会社の業務が朝から晩まで忙しく、神韻のチケット販売との兼任をどうすればよいかと悩んでいました。

 私が自分の仕事とホットラインの間の調整に努めている時、神韻協調チームの同修から、私が広東語を話せてロンドンの華人地区と付き合いがあるから、チケットの代理販売店になり、政界要人、劇場及びスポンサーを探すことに協力してほしいと依頼されました。私はいきなりプレッシャーを感じ、どうしたらいいのか分からなくなり、やる気があまりなかったのです。

 この時、私とよく付き合いのある同修からの電話で「ぜひ出て来てくださいね、これはあなたの使命ですよ。あなたは広東語が話せて、華人地区との連絡もあり、住んでいる地域も華人が多く、これらは偶然ではないですよ」と私に言いました。彼の言葉は私の目を覚ましたように強い使命感をもたらしました。それから、私は自分の会社の事をしばらく放下し、全力で神韻プロジェクトに参加することにしました。

 活動するにつれ、同修と一緒に協調して大法の活動を行うことはとてもよかったと更に分かるようになり、自分の威徳を樹立すると同時に、他の同修の無私無我の働きも私に影響を与えました。

 チケットの販売は簡単ですが、細心の注意が必要です。日付や開演時間、価格、客の住所まで間違ってはいけませんから、毎日深夜の1〜2時まで、時々3時過ぎまでやりました。これは今までのリズムある安逸な生活を過ごしてきた私にとっては大きな試練を迎えました。とても疲れて苦労と辛さを感じた時、心の中に師父のことを思いました。師父は私を加持して力を与えてくださっていると感じ、いかなる苦労や疲れがあっても、必ずよくやり、必ずよくできると常に思いました。

 師父を信じ、法を信じ、正しい念、正しく行ったことによって、私は担当していたことが順調に出来ました。この3カ月の修煉体験は法を得て以来、最も深かったのです。私は劇場で神韻公演の幕が開くと涙があふれ、鑑賞するにつれて私は涙が止まりませんでした。この数ヵ月の苦労は価値があり、たいしたこともなかったと思うようになりました。

 2009年の1月に入り、神韻世界ツアー公演は3月にロンドンで行われることになっていました。前年の経験を活かし、法を正される師父に遵い、衆生を救い済度することを更によくできるようにすることを決心しました。

 今回の公演数は7回あり、チケット販売の期間が短く、宣伝開始から開演まで1ヵ月あまりしかありませんでした。さらに他の地域のチケット販売のホットラインの担当と追加された4つのホットラインを加えた状況の中に、電話を受ける業務をする人はほとんど私1人しかいませんでした。また、自分の会社の業務も停止してはならず、私は更なる大きな試練に直面していました。

 プレッシャーや困難は自分を向上させるチャンスだと思い、師父と大法が力を与えてくださるから、必ずできると信じ、全力を尽くして使命を果たすことを決意しました。

 ホットラインは朝8時からですが、時々7時すぎから電話が鳴り始め、私たちはパソコンを同時に準備して電話を受け、夜11時、12時過ぎまでホットラインを守りました。一日中いくら電話を受けても、いくら咽喉が痛くでも、いくら疲れても、電話のベルが鳴ると、いつも微笑んで受けました。この3ヵ月は家族、皆が神韻プロジェクトを通して協力し合い、常人の習慣が多く捨てられ、心性がたくさん向上しました。

 チケット販売の苦労はまだ大した試練ではなかったのですが、ある同修との摩擦は私の忍耐力、心の容量と慈悲心を大きく試されました。苦痛の中で内に向けて探し、これらの摩擦は全部自分の人心から生じたもので、相手が正しいか間違ったかに関係なく、私の修煉を向上させるために現れた出来事だと考えました。自分の人心、情及び執着を見つけて取り除いた後、まさに師父の『転法輪』の中でおっしゃったように「柳暗花明又一村(眼前に新たな世界が開ける)」です。振り返って思うと、私に向上のチャンスを与えてくれた同修に心から感謝します。

 摩擦から内に向けて探している間は、まるで胸をえぐられるように辛かったのですが、執着しているものを取り除いた後、心性の向上と昇華に、体が軽くなり、心の容量が広くなり、同修や他人に対する慈悲の体験もよくできました。師父は私たちに心性を随時に修め、全てのことに内に向けて探して修めることを希望しておられます。「心性の高さを測るのに、もう一つ尺度というのがあります。尺度は功柱とは同じ空間に存在してはいませんが、同時に存在しています。心性が修煉して上がって来たら、例えば、常人の中で人に罵られても、黙って平然としています。殴られても何も言わず、一笑に付するだけで済ませてしまいます。そうなれば、その人の心性はもうかなり高くなったと言えます」(『転法輪』)のこの一節を再び拝読して、自分は今後さらによく修めて向上し、師父の教えを常にしっかり覚えるようにします。

 2年間の神韻プロジェクトにおいて、やった人が得ることができ、修めた人が得ることができ、悟った人が得ることができるということを体験しました。この2年間で歩んできた道を振りかえって見ると、自分が努力を払ったことはほんのわずかでしたが、得たものはたくさんありました。大法の修煉を始めて以来、この2年間の向上が最も速かったのです。

 この場で、私に修煉のチャンスを与え、たくさん業力を消してくださり、自ら私たちを導いて神韻プロジェックトを通して向上と昇華のチャンスを与えてくださり、修煉の道の中で随時に私を加護し、智慧と力をくださった慈悲で偉大な師父のご恩に、深く感謝申し上げます。修煉は大変なことですが、とても幸せなことです。

 最後に、師父の『洪吟・容法』の詩で皆様と共に励まし合いたいと思います。

 「佛光は普く照らし

 礼儀は圓明となる

 共同に精進し

 前程に光明たり」

  師父、ありがとうございます! 皆様、ありがとうございます!

 (2009年9月イギリス法会での発表原稿)

  2009年9月27日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/9/8/207970.html

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