資料点を自分で作った体験 文/福建省の大法弟子
(明慧日本)私は1999年から修煉を始め、今年で10年目になりました。この10年間の修煉の道は、師父のご加護があって今日まで歩むことができました。平和な時期に法を広め始め、その後に法を実証し、三つのことを行いました。衆生が三退をし、目覚めた事例が本当に多くありました。私は自分で資料点を作り上げた体験を話したいと思います。
2003年、私は子供の同修と別の都市に引越しました。この地で、若い同修一人と年配の同修一人と知り合いました。2004年、若い同修は邪悪の迫害を受け、監禁されました。連絡の取れる同修は年配の同修一人だけになりました。私は年配の同修と交流し、一緒に邪悪のところに行って近距離で発正念をしました。私は年配の同修から資料をもらって配布しました。私は、資料点の同修の辛さと安全のことに思いいたらず、自分は非常に安逸を求めるようになり、また資料のことも大切に思わなくなりました。私の家にもパソコンはありますが、明慧サイトに接続して自分で資料を作ろうと考えませんでした。常に資料を作るのは教養がある人のことで、自分には考えられないことと思っていました。自分の教養が高くないため、パソコンを使えないという後天の観念で、常に自分を見ていました。
このような他人に頼る心の隙に、旧勢力が乗じたのです。去年、中共がオリンピックを口実に迫害を始め、年配の同修と連絡が取れなくなりました。師父の新経文と資料がなくて、自分は非常に無気力になり、常に涙を流しました。私はこのときになって資料の大切さを感じ、年配の同修への思いは言葉で言いあらわせませんでした。あの数日、私は毎日年配の同修のため発正念をしました。
後で心を静かにして学法をし、内に向って探してから、自分の安逸心や他人に頼る心などを見つけました。私はここで倒れたままではならない、このままでは師父の弟子ではなく、この状態を邪悪は一番喜ぶのだと思いました。
私は涙を拭いて、師父が『論語』の中でおっしゃった「コンピュータがどんなに発達しても、人間の頭脳とは比べるべくもありません」の段落とまた同修の「鋤からマウスまで」の文章を思い出して、自分も明慧サイトに接続したいと思いました。この一念で、師父は私に智慧を与えられました。私は何も知らない状況下で、真相DVDの中にあるネット封鎖を突破するソフトをクリックしてみました。これで順調に明慧サイト、大法弟子自身が運営するサイトに接続できました。サイトのホームページにある、師父がニューヨークを離れ山中で世間を静観する写真を見たとき、私は感激して涙を流しました。私は合掌し、「師父ありがとうございます」と感謝の言葉を口にしました。
ここからは、どのように資料を作るかが問題でした。私には全く経験がなく、どうしたらいいか途方にくれました。私は明慧編集部の同修に電子メールで質問しました。編集部の同修はすぐに返事をくれ、『ゼロから資料点を作る実用技術小冊子』を見るよう助言してくれました。私はその小冊子に書いているとおりに一つずつやり、資料が作れるようになりました。『九評』『明慧週刊』『明慧週報』や神韻公演のCDなどの真相資料を作り上げた時、私と子供は大変喜びました。この一年を振り返ると、まるで一夜で神になったかのように、今まで分からなかった多くのことが、こんなに容易くできるようになりました。師父はおっしゃいました。「弟子正念足りれば、師は回天の力有り」(『洪吟(二)・師徒の恩』)。私はこの全ては師父が行っていることで、「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』)ということです。
家庭資料点は今、順調に運営されています。私にも自信があふれ、資料もますます多く作れるようになりました。より多くの世の人々に真相を知らせ、師父に従ってより多くの衆生を救う使命を、果たして見せます。私は条件がある同修は方法を考えて明慧サイトに接続するよう提案します。機縁を失ってから後悔しないでください。徹底的に一切の邪悪な要素を否定し、師父が按配された道を歩みましょう。
2009年9月30日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/9/27/209018.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
|
|