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同修を助け、体得したこと


文/中国安徽省の大法弟子

(明慧日本)最近、ある同修を助ける過程で体得したことが印象深く、それを書いてみなさんと交流したいと思います。もし不適切がところがあれば慈悲なご指摘をお願いします。

  私は1999年7.20以降、普段連絡できていたすべての同修との連絡を失い、あまり精進しないまま4年間過ぎてしまいました。2003年の末になって、私は偶然、同修の安琪さんに出会いました。私の方が少し年上で2人とも大学教育を受け、よい家庭と安定した職場を持っています。しかし、2人の育った家庭環境が違ったことで、お互いの性格は大いに異なっており、安琪さんは率直で、私は比較的に物やわらかなタイプでした。

  また2人とも子ども弟子がおり、4人で一つの学法グループを作りました。ほぼ毎週勉強してお互いに交流し、協力して「三つのこと」も行いました。私たちは師父が按排されたお互いの縁を重んじています。5年来、私たちはお互いに長所を取り入れ短所を補い、共に精進して修煉の道を歩んで来ました。その間、楽しいことも苦しいこともありましたが、一度も衝突したことはありませんでした。

  しかし、最近半年くらいは毎週の集団学法ができなくなりました。安琪さんが決まった時間に来られなくなったのです。家庭や子供たちのことが彼女の重圧になっているのです。例えば、子ども弟子たちが学校で成績が良くない、携帯で女性にメールを送るなど、夫は全ての責任を彼女に背負わせ、叱責し、責めるだけではなく、大法によくない話をする・・・まだ問題が解決出来ない間にまた新しい問題が次から次へと起きてきます。いくら努力して学法、発正念、内に向って自分を探しても良くならず、ひいてはほかの家族にも影響したのです。

  私は初めて安琪さんに出会った時、彼女に不満を持っていました。それは彼女が高慢で尊大、独善的で苦しみに耐えることができないからでした。大法修煉者としてこのように思うことは間違いだと思いながら、実は彼女が持っている執着心の全ては私にもありましたが、彼女の言い方、やり方が私の観点に合わず、かえって自分の嫉妬心、競争心、他人を軽視する心を刺激したのでした。これらの執着心を認識したにも関わらず完全に無くすことに全力を尽くさなかったのです。

  私はこれらの執着心を持って、彼女の訴えを聞いていました。表面では彼女のために内に向って一緒に方法を考えているように見えましたが、心では自分がよく修煉してないから子ども弟子にも影響をもたらしたのだと不満を持っていました。いろいろ災難もありましたが、彼女はその辛さを経験しなければならないと思っていました。一週また一週と経過してもその効果は僅かでした。 

  最近になって、私は猛然と目を覚ましました。彼女が長期間このようなよくない状況に留まっているのは彼女1人の問題ではなく、必ず私も修煉するところがあるのです。困難な正法修煉の道、私たち4人は最初からお互いに支え合いながら歩んで来ており、当初は彼女が私を助けてくれたのです。本当に私たち2人は以前、幾世の輪廻の中でどれだけ大きな縁があったのか分かりません!

 彼女が今困難に出遭っているのに、私は彼女の空間場によくない念を発しているのでは、それこそ邪悪を手伝っているのではないでしょうか?

  私はすぐ座禅をして発正念をしました。邪悪が私と同修を隔離することを許さず、徹底的に同修が法を実証することを妨げる邪悪な要素、また私たちが協力して「三つのこと」を行うこと妨害する他の空間のすべての邪悪と卑しい鬼と共産邪党のすべての邪悪な要素を解体しました。長時間自分と同修の思想を連結して、私たちの空間場のすべての良くない思想、観点、執着心、思想業力を取り除きました。続いて、私は初めて真剣に彼女のことを自分のことのように考え(実は実際行動する時はあまり難しくなく、私たちがその心を持つと師父は他の空間からそのよくない物質を取り除いてくださるのです) 彼女の立場から冷静に分析して彼女の問題点がどこにあるのか、どのようにして彼女を助けるのか、どのように指摘すると彼女が受け入れるのか、何回も繰り返して考えました。

  ある日、彼女から「助けて欲しい」というメールを受け取りました。内容は以前あったこと以外に、家庭と外での矛盾がだんだん悪化して、夫と一緒に生活できないほどになり、その圧力に耐えられず、子ども弟子2人と倒れそうなので、助けてほしいということでした。彼女がこのように私に助けを求めたのは初めてでした。

  私はすぐ電話して会いました。私たちが交流する際に、私は以前のように一方的に彼女が苦難を訴え、それに動かされた状況とは違い、積極的に自分の修煉に存在する問題と家で子ども弟子との付き合いの話をして、彼女が最近勉強する時に漏れがあると厳しく指摘して、穏やかに彼女が内に向けて探すように励ますと同時に、正念を発しました。

  交流する前には考えがはっきりしていませんでしたが、話をしているうちに思惟も開き法理もますます明瞭になり、自分の正念もだんだん強くなりました。別れる時、彼女は何かが分かったようにうなずきました。

  数日後、彼女は日にちどおりに集団学法にやって来ました。顔を輝かせ、以前の悩みはなくなり、落胆した表情が全くなく、強い正念をもって話をしました。「私はやっと分かった。私はずっと常人の中でのよくないことを、よくないと思って学法と『三つのこと』をやって現状を変えようとしたが、求める心を持って学法した結果、学べば学ぶほどその環境は悪くなった。常人の中で出遭ったよいこと悪いことは、修煉者に対してすべて良いことだと師父はおっしゃいましたが、それは自分の間違った考えで起きたのです」と言いました。私は心から彼女のことを喜びました。

  その後ある日、座禅をした時に突然何か頭に浮かんできました。瞬間今まで自分の身体に現れた良くない現象や思想業の妨害、普段出遭ったすべての順調でないことをよくないと思い込み、その結果、長時間にわたって元気を失い、心性を高めることを怠けてしまいました。最初修煉する時は気楽でしたが、後になって、なぜかだんだん苦しく感じるようになりました。何度も方法を考え、白髪も多くなり、自尊心が強く、それを外に出さないので、他人からはよく見えたようですが、自分の中では苦しんできました。

  実のところ、自分が修煉の意味をよく理解せず、片手で人の執着を放さず、片手で仏のものを持って、自分の利益に損失を及ぼさないかを心配していたからでした。私は普段何かをやろうとする時、慎重で完璧を求めるタイプでした。常人の方法を尽くして自分の思い通りにしようとし、ひいては修煉を通じて変えようとしました。これが大法弟子なのでしょうか? 厳しく言うとそれは外に向けて求めることであり、邪法を煉ることでした!

  同修が私のとても大きな執着心を捜してくれ、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。私は普段、大法の本と新経文をよく読んでおり、一生懸命原因を探そうとしました。しかし、表面の文字は何度も読みましたが、深い法理は悟っていなかったのです。或いは今日のようにこんなに法理が明らかになっていませんでした。本来は同修を助けるつもりでしたのに、逆に同修から助けられたのです。考えて見ると師父がこのように按排してくださったのです。他人を助ける過程も自分が高まる過程でした。心性が高くなるとほかのものも高くなり、自我を放下して同修との間隔をなくし、本当に一つに溶け合えば、全体が高まり、昇華するのです。

  私たちは勇猛精進して真修の大法弟子になることで、師父の慈悲なる苦度に報いることができるのです。師父はこのように一つを溶かして全体となし、共に心性を高める機会を与えてくださったことに感謝します。また同修の長い間の無私の助けに感謝します。

  2009年10月2日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/9/29/209203.html

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