陳楚君さんは何度も拷問を受け、精神病院で迫害され死亡
(明慧日本)湖南省懷化市鉄路南駅付近に在住の法輪功修煉者・陳楚君さん(30歳過ぎの女性)は、オリンピック前に懷化市で連行され、ワン江留置所に拘禁され、再び労働教養所に移送されて迫害を受け続けた。最近の情報によると、陳楚君さんは2009年3月、懷化市第四人民病院(精神病院)で迫害され、死亡したという。
陳さんは大学を卒業し、父は兵団の幹部を務めているが、陳さんは懷化市鉄路南駅の会計士だった。1999年7.20まで、無給休職をとり、北京で外国語を学んでいる間に法輪功を修煉し始めた。中共が10年間、法輪大法への迫害を続ける中で、陳さんは法輪功の修煉を続け、また法輪功の真相を説明するために7回も陳情したことがある。何度も拘禁され、残酷な迫害を受け、九死に一生を得たが、最終的に悪人の手によって迫害され死亡した。
労働教養所にて中枢神経に害を及ぼす薬を注入された
中共が法輪功を迫害し始めてから、陳さんは自分が勤めている会社の「広州市法制教育学校」に強制移送され、洗脳の迫害を受けた。その後、湖南株洲白馬ロン女子労働教養所に移動され、迫害を受け続けた。陳さんは「転向隊」に行くことを抗議し拒否したが、警官は監視人を集め、転向隊に無理やり入れ、陳さんを地面に押し倒し、ロープで陳さんの両手を縛り、強く胸を押しつけ、髪の毛を無理やり切った。長い髪の毛は無造作に切り落とされた。陳さんは断食をして迫害に抗議し始めた。6日後、陳さんは医療室で点滴を打たれ、約半月後も、二人の監視員に医療室で監視されていた。目撃者によると、警官らは点滴の葡萄薬瓶にクロルプロマジン(強力な精神安定剤)などを入れ、中枢神経に害を及ぼしたため、陳さんの大脳に大きな影響を受け、記憶が減退した。他の人に見られないように、警官らは毎日、陳さんに少量な薬物を注射し、慢性中毒に見せかけた。この薬を注射されると、冬眠するように眠り、起きた時は何も覚えておらず、痴呆症のようになる。
労働教養所の警官は、同じ部屋のすべての法輪功修煉者を一緒に縛り付け、吊るし、足の先しか地面につけられない状態だった。陳さんは吊るされたあと、ベッドに置かれた。全身が激しく身震いし、ベッドも揺れていた。警官は少しのことでも部屋全員に夜通しで直立不動の姿勢を強制し、少しでも思い通りに行かないとスタンガンで電気ショックを与え、足を蹴った。女性の法輪功修煉者が寝るべきところに、手錠とスタンガンを持つ凶悪な特殊警官らが夜に監視するために配置され、一つの部屋に一人配置されていた。夜、誰かが煉功すると、特殊警官が手錠をかけ、電気ショックを与えた。こうして法輪功修煉者たちの身体がほぼ電気ショックを受けた痕があり、それはとても生々しいものである。
湖南省女子刑務所でも残酷な迫害
16回全国代表大会期間中、陳さんが再び北京に陳情しに行ったが、鉄路留置場に拘禁された。その後、湖南懷鉄運輸裁判所が不法に3年の実刑を言い渡された。法廷で、陳さんは2人に抑えられ、発言することができなかった。
湖南省女子刑務所の警官は、法輪功修煉者を迫害することに対して、みんなは口を揃えて「人民政府は違法行為をしている」と言う。特に「教転中隊」は法輪功修煉者を迫害する最も邪悪な場所だ。勝手に規定を定め、精神的に、肉体的に法輪功修煉者への迫害を加えている。例えば、刑務所での生活は法輪功修煉者がお互い助け合うことができない。労働をさせられる時はお互い手伝うことができない。監視員は眼を離さずに法輪功修煉者の言葉と行動を厳しく監視する。家族宛ての手紙に何かを書くときに、監視員に質問され、検査される。修煉者の間で話しかけると監視員に止められる。修煉者が立つにしても座るにしても、必ず監視の受刑者がいます。夜ベッドから起きてトイレに行くことさえ、ついて監視されます。
2004年6月、陳さんは厳管隊(刑務所の中で通常よりさらに厳しい隊)に移動され迫害を受け続けた。教転中隊の元監視隊長の李春暉などが受刑者の顔美英、張根林らを指示し、陳さん、言虹さん、肖瑞林さんを宙に吊り下げて殴打した。陳さん、言虹さん、肖瑞林さんが気を失ってから、わいせつ行為をした。
湖南女子刑務所で、修煉をどうしても放棄しない修煉者に対して長期にわたり、通常の2、3、4倍の過剰労働を強いられた。ある修煉者は24時間強制労働をさせられ、睡眠すら取らせなかった。2005年3月前後、陳さん、言虹さん、肖瑞林さん、何麗佳さん、宣荷花さん5人は一緒に大法の経文を暗記し始め、迫害に拒否し抗議し始めた。しかし、李玲を中心に数名の警官と受刑者の監視役が彼女らに対し40日間苦しめた。たとえば、身体を束縛する各種の迫害、スタンガンを使う、脚が一つしかないイスに座る、直立不動の姿勢を強制する、2004年に行われた体力を消耗する迫害、残酷な灌食、禁固刑に処するなどいろいろな迫害を同時に行ったり、とても残酷な迫害を行っていた。朝昼夜3回トイレの時間以外、朝7から夜21まで絶えず迫害を続け、ご飯を食べるときも脚が一つのイスに座られて食べさせされた。肖瑞林さんは何度もスタンガンで電撃され、吊るし上げられていた。断食してすでに20日経過した陳さんは、走ることを強制的にされ、さらに5階から1階まで引きずられ、禁固刑に処された。彼女たちは生きているか死んでいるかも分からないぐらいに苦しめられ、ガリガリに痩せても、それに屈しなかった。
陳さんは迫害されて失明し、さらに歩けなくなり、トイレに行く時は助けが必要になった。ある時、陳さんの歩きが安定しない、早く進むことができない、腕立て伏せができないため、警官が監視役の受刑者の張根林と別の受刑者の監視役を指示し、陳さんを囲み引っ張り、そして禁固刑に処された。手足に手錠をかけ、昼や夜にもかかわらずかけたままで、寝るときはうつ伏せでしか睡眠がとれない。さらに監視役の受刑者の張根林は、プラスチックの棒で陳さんの喉を数十回突き刺し、また「とても面白い」と言い、そばにいたもう一人の監視役の受刑者が「俺にも遊ばせろ」と言った。陳さんの喉は突き刺されてとても痛く腫れあがり、唾液を飲み込むときでさえ痛く感じ、話すことができない。ある時、警官の李玲がスタンガンを使い、陳さんに電気ショックを与え、陳さんを縛り、吊るし上げた。陳さんが気を失ってから、監視役の受刑者の顔美英は陳さんの首を絞めて左右に振り、「生きている、問題がなければ続けて吊るす」と言った。
オリンピック前に連行され、迫害で死亡
湖南懷化市政府、610弁公室などの法輪功修煉者を迫害する機関が2008年5月、オリンピックが安全に行われることと聖火が湖南省に入ることを理由に、全市内、市区から県、村落まで法輪功修煉者を連行し、家宅捜査、いやがらせなどの迫害を行い、十数名の法輪功修煉者を拘禁した。ある修煉者が懷化市第二留置所に拘禁され、ある修煉者が封鎖された邪悪な洗脳班で迫害を受けた。家族や親戚の面会は許されず、修煉者たちがどんな状況なのかは知ることができず、さらにある修煉者は行方不明のままである。
2008年5月10日前後、陳さんがタクシーに乗ろうとしたとき、610弁公室などの人らに強制連行された。陳さんは懷化市にある勤務していた会社に給料の滞納金(7000元)を取りに行く予定で、懷化市に短期滞在して戻ろうとするときに連行された。それから陳さんは地元から離れたシ江留置所に拘禁された。拘禁中、薬物を乱用罪で逮捕された受刑者の肖前蓉、陳亜冬に殴打され、頭にけがを負い、血が流れた。
留置所に拘禁されて間もなく、陳さんは再度株洲白馬ロン女子労働教養所に拘禁された。それから身体の健康状態悪化が原因で、610弁公室の指示で懷化市洗脳班に移送され、迫害され続けた。最近の情報によると、陳さんは2009年3月、懷化市第四人民病院(精神病院)で迫害され死亡したという。
2009年10月4日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/9/21/208730.html)
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2009/9/24/111072.htm)
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