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内に向けて探し、心性を修め、大法の名に恥じぬ大法弟子になる(一)


文/日本の大法弟子

(明慧日本)「小型の交流会をやりますので、交流文を書いてください」と同修から電話がありました。書く前に、何を書けばいいのかを考えました。正法時期の中で私は多くの事をしてきたつもりですが、その過程の中でどれだけ人心を修め、取り除くことができたのかと思うと、数えるほどしかなかったことに気づきました。多くの時は、大法の事をするその過程の中で自分を顕示し、自分を実証して、自分が何かをしたら、いつも他の人に知って欲しいという状態でした。その上、闘争心もとても強くて、多くの執着心に対して真剣に対応し、しっかり取り除こうとはしませんでした。

 一、自分の顕示心と闘争心について

  私は小さいときから虚栄心がとても強く、よく自分を顕示したがり、闘争心も強いため、弱い者に味方して助ける傾向もありました。修煉を始めてからも、これらの心をきれいに取り除くことができず、抑制しても、繰り返し現れてくるのです。法を得てからしばらくの間は、グループ学法や、何かについて交流をする時、他の人の発言をあまり熱心に聞かないのに、逆に自分がいつも何かを発言したがっていて、その上、自分の言ったことはとても筋が通っていると思っていました。

  また、自分は他の人より修煉がよくできているとも思っていました。そしてある日、ある同修と雑談していた時、私は自分がどちらかというとあまり話したがらないほうだと言うと、その同修はすぐに「結構おしゃべりですよ」と言ったので、私はちょっとびっくりして、彼女はなぜ私のことをそのように言うのかと思いました。同修の何気なく言った言葉が私の心を鋭く刺しました。そこで急に、自分に修めるべきところがある事に気づきました。そうでなければ、言われたことに対して、それほど気にしないはずです。きっと師父が同修の口を借りて私を悟らせようとして下さっていたのです。

  それ以来、私はできるだけ自分を抑えて発言しないようにして、真剣に他の同修たちの話を聞くようにしました。しかし、抑えきれない時もありました。また、自分の意見と同じであれば好んで聞きますが、意見が異なっていれば聞きたくなく、甚だしきに至っては闘争心まで出てきて、論争したいときもありました。同修の発言を尊重すべきだと同修が言ったので、それを聞いて、自分の顕示心と闘争心を放下し、同修の表面上の言葉使いや態度を見ないで、その発言の内容をよく聞けば、毎回の交流にそれなりの収穫があり、またとても受益できることに気づきました。こんなに良い事を、今まで何回逃したのでしょうか。だから、今は他の同修の発言を聞くのが大好きです。もちろん、時にはまだ執着心が出てくるときもあります。しかし、そのような心が出てくるとすぐに分かるようになりました。

 これらの執着心は、またいろいろな事に現れてきます。神韻公演を報道する時、取材の要求がとても高いため、事前に用意していたVIP(重要人物)リストを見て、他の同修が全部これらの取材を担当したいと言うので、彼らに譲りました。そのため、私達は自分で身分のある人を探して取材しなければなりません。その階層の人物は要求通りでなければ、内容がいくら良くても使えません。限られた時間内での任務は重く、プレッシャーもかなり大きかったのですが、これらの事に私は全部協力し、何の異議もありませんでした。また自分自身に、「尊師が私達に何かを求められれば、私達はそれをやらなければなりません。無条件に協力します」と言い聞かせました。

 しかし、事後、リストをあげた同修から「あなた達は取材する人が見つかったの?」 と皮肉っぽく言われたので、その時は心の中でとても不満に感じて、「当然見つかったよ」とすぐに返答しました。もっと言おうとしましたが、「私は口を修めています。あなたとは争いません。今回は寛容にします」と心の中で思いました。しかし、それは、ただ表面だけの忍に過ぎません。心の中ではそのことを全く放下できていないので、ずっと気分が悪かったのです。神韻の子ども弟子達があれほど大変な中でも、間の休憩時に皆で学法していること、また、ニューヨーク交流会の時に神韻芸術団のビデオを見て、彼らはみんな自己を強調せず、全体を表現しています。また誰も愚痴などを言いません。これらを見て、自分がとても恥ずかしく思いました。

 そこで、本当に内に向って探して、初めて気づきました。実は最初から名簿リストを譲った時からすでに不満な気持ちがありましたが、この心は深く隠れていたため、それからの無条件な協力さえも表面的なことだったかもしれません。

 実は心の中でずっと気にしていました。事後、同修に聞かれてやっと分かりました。同修はただ気にかけてくれて聞いたのかもしれません。しかし、自分に執着があるから、それを皮肉だと理解していたのかもしれません。実はすべて自分の心理状態のせいでした。

 しかし、これは認識できるだけではダメで、「做すところ到るは是れ修なり」(『精進要旨二・実修』)なので、「辛くても苦しくてもそれを取り除かなければならない」と思いました。このようにして、木の年輪のように、一層ずつ取り除きました。そして、放下できたとき、何かをやる時、大分落ち着けるようになり、自分の心理状態も泰然自若となり、落ち着いたら周囲も変わって、さらにすべての同修が皆とても素晴らしく見えるようになりました。

 二、父との心性の関

 私は末っ子で、小さいときから父も母も私をかわいがってくれ、手を上げられたこともありませんでした。そのため、私は小さいときからとてもわがままで、反抗的で、自分以外の誰のことも目に入らなかったのです。おまけに党文化に毒害され変異した思考形式で、家でも外でも、他人が何と言おうと一向に気にせず、今までどおり好きなようにやっていて、人の気持ちなどまったく考えませんでした。「私が一言でも言ったら、あなたからはすでに8つの言い返す言葉が待っている」とよく母に言われました。「お前が私と話す時の口ぶりは、まるでお前が私の親のようだ」とよく父に言われました。そう言われた私はとても無念で、悔しかったのですが、修煉してからこれらの業力が全部帰ってきました。

 最初の関は家庭でした。とても辛かったのです。小さいときからできてしまった世代間のギャップのため、私と父は最初、まったく相容れなかったので、よく口論していました。法理上の認識も異なっているため、私は父を説得したいと思い、父は私を説得したかったのです。いつも父のよくない所を見て、落ち着いて穏やかに父と交流して指摘しようと思うのですが、毎回けんか別れになったり、激しく論争したりしていました。ある時、父が怒って、私を殴ってしまったのです。私の心はさらに不満でいっぱいでした。なぜならば、父は今まで私に手を上げたことは一度たりともなかったからです。そのため、私はいっそう自分が正しいと思うようになりました。

 師父は『転法輪』の中で「子供をしつける時にも、ひどく怒り、カンカンになる人がいますが、しつけはそこまでしなくてもいいはずで、本気で怒ったりせず、理性的に教育して、はじめて本当に良い子供を育てることができます。小さなことも乗り越えられず、かんしゃくを起こしたりしていて、功を伸ばせるとでも思っているのですか」とおっしゃっています。実は師父の言葉をもって他人が間違っていると証明し、自分が修めるべきことを覆い隠しているだけでした。あとで、内に向って探そうとも思いましたが、いつもただ思うだけで、本当に内に向って探していませんでした。

 内に向かって探す前に、すでに自分が正しくて間違っていないと断定し、さらにひどいことに、父に殴られた時、自分がなんと「殴られてもやり返さず」ができたと思ってしまいました。父のたくさんの欠点が先に見えてきて、内に向って探しているようでも、考えているうちに、心がだんだん穏やかでなくなってきて、あちこち探しても自分がさらに正しいとしか感じられませんでした。それがどんどんエスカレートしてきて、父に会いたくないほどでした。あの時期、恐らく父も同じ気持ちだったでしょう。

 家族全員が修煉しているので、互いの対立が鋭く、2人に問題が発生すると、必ず第三者も巻き込まれます。ですから3人が一緒に座ってちょっとしゃべるとすぐに口論になります。私はとても悩んで、古い弟子であるおばさんと交流をしました。その人は親と同じ世代なので、私の考えを認めてくれると思ったのですが、私が自分の見解をまだ言い終わらないうちに、おばさんに途中で話をさえぎられて、「あなたはお父さんを尊敬していないからです」とはっきり言われました。

 当時、私は少し受け入れられませんでした。常人の中で私は父の娘ですが、修煉者としては同修であって、相手の良くない所が見えれば、指摘すべきで、間違っていないと思いました。私は依然、師父の法をもって、自分の良くない所を覆い隠すためにその「法」を口実にして、外に向かって探していました。その後、ある同修から聞いた話では、韓国に行ったある同修は、そこの夫の両親との初めての関は、その両親を尊敬していないということでした。その同修は私の考えと同じでしたが、変異した考えだと指摘されました。私は「変異した考え」という言葉を耳にした時、言葉では説明しにくいのですが、体が急に一層の殻を突破したように感じました。今まで自分がずっと守っていて、正しいと思っていた道理は変異したもので、間違いであると急に悟りました。私はやっと問題のありかを見つけました。

 しかし、すぐに直すのもまた難しく、まず徐々に自分を変えることです。実は相手の全てのよくないものは全部自分自身のよくないものの反映であって、自分のよくない所を照らす鏡だと気づきました。以前もこの理を分かっていましたが、どうしても目を他人に向けていて離れません。いつもは、口先では内に向って探すとばかり言っていましたが、実は内を探していないだけではなくて、どうやって探せばいいのかさえ分からず、何も修めていませんでした。本当に内に向って探すことができた時、自分の不足が見えた時、師父は絶えず教化してくださいましたので、自分が歪んでいることが分かったのです。

 法を学ぶ時、ある言葉に対して、突然理解できる事がよくあります。明慧ネットの交流文の中でもよく見かけますが、自分を変えれば、再び相手を見ると、違うように感じます。家族全員が修煉しているため、問題が起きると、多くの時、お互いに試練が来たと分かるのですが、どうしても我慢できなくて、あとで後悔します。次第に皆、内に探すことができるようになって、家の環境もよくなりました。今は、何かあったとき、座って穏やかに交流することができます。

 その上、何か問題がある時、たとえ見方や理解が異なっても、互いに心を開いて交流ができるようになりました。もちろん、修煉はまだ終わっていませんので、お互いに越えなければならない関はまだありますが、自分自身を修めることがとても重要だと分かっています。以前、一つの事で結構長い間、対峙していましたが、今は半日や数時間、またはちょっとの間ですぐ仲直りできます。時にはその時点ですぐに相手に指摘された不足を受け入れることができます。今、私の家では、以前のような「マッチのように、こするとすぐに火がついてしまい、地雷のように、踏まれるとすぐに爆発してしまう」(『ロサンゼルス市での説法』)現象はほとんどなくなりました。

 (続く)

 2009年10月5日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/10/1/209286.html

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