■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/10/06/mh060758.html 



真に内に向けて探すことを学び、協調の仕事を通じて昇華する

文/日本の大法弟子

(明慧日本)尊敬なる師父、こんにちは。同修のみなさん、こんにちは。 

 師父は「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」で、「内に向けて探すのは有効な方法です」とおっしゃいました。

 この交流会を機会に、師父と同修の皆さんに、自分が真に内に向けて探すことを学んだわずかな心得を簡単にご報告させていただきます。

 日本に来て、すでに三年になりました。この三年間、師父の慈悲なるご加護の下、同修達のいろいろな助けで、自分の思想境地が少しばかり昇華できました。

 私は人の面倒を見たくない心があるので、ずっと協調の仕事をしたくなかったのです。

 師父は『転法輪』の中に「言うまでもなく、トラブルが起きる時、あらかじめあなたに知らせることはありません。何もかもあなたに知らせたら、何を修煉するというのですか?効果もなくなります。それはいつも突然に現われるからこそ、心性の試練となって、本当に人間の心性を高めることができます。そして、その時こそ、心性を守れるかどうかを見て取ることができるのです。ですから、トラブルが起きるのは、偶然ではありません」とおっしゃいました。

 2008年4月、法輪大法学会から突然、私に学法の協調人になるよう話が来ました。私はすごく圧力を感じて、またどこから始めたらいいかも分かりませんでした。その後、いつもの状態を維持して、何かあったら少し意見を出せばいいかと思っていました。しかし、修煉の道は順調に行かないものです。問題が次から次へと出てきて、しかも突然現れます。すぐに真剣に、無条件に、内に向けて探すことをせず、まず他の人の不足ばかりが目に入りました。結局自分が苦しくなって、すぐに心性を高めることができませんでした。難関を乗り越えたくない、面倒なことに関わりたくないというのは、実際は安逸を求める心です。その時、協調したくない、逃げたいという思いが強くなり、沈さんに「もうやめたい」と言いました。

 しかし、理性の一面はこのような考えが正しくないと教えてくれました。私は絶えず自分に聞きました。大法の仕事をしたくないなら、あなたは何をしたいの? まだ大法弟子なの? 修煉の道は師父が按排してくださいます。あなたは勝手に変えられますか。このすべてに向き合いたくない、高まりたくないなら、あなたはまだ修煉したいのでしょうか? この苦しみの中でしばらくもがいていました。

 師父は「二〇〇八年ニューヨーク法会での説法」の中で、「師父がこの世で遭った魔難、このような圧力は毎日、幾万件にも留まりません。誰も私を動揺させることができませんでしたし、動揺するはずもありません。私が行おうとすることは、誰も変えることができず、どのような形の魔難に遭っても、変えることができません。皆さんが法を実証することも同じです。しかし、皆さんの場合、法を実証し、人々を救い済度すると同時に、皆さんは修煉をしている人でもあり、修煉をしている人には人心があり、でなければ神になります。神はどのように修煉するのでしょうか? 神は修煉できません。人間の肉体があってはじめて修煉することができ、これこそ修煉なのです。この人間の肉体があるからこそ、修煉の機会、向上の機会があり、これは非常に得がたいことです。特に大法弟子はまた大きな使命を持っています。ですから、修煉の中で、どのような魔難、どのような困難が起きても、変えられてはなりません」とおっしゃいました。師父の教えを読んで、私は涙がぼろぼろ出ました。師父が毎日出遭った魔難は幾万以上ですが、私はこんなわずかな魔難に遭ったぐらいで、すぐ逃げたいのでしょうか。私は師父の慈悲深い済度にとても顔を合わせられず、本当に恥ずかしい思いです。私は、学法することによって、正念を固めました。必ずこのすべてに向き合い、必ずこの難関を越えると決心しました。私は内に向けて、自分の執着を探し始めました。まず、自分が他人の話を気にしすぎていて、心が動かされやすいことに気づきました。これは常人と同じではないでしょうか。

 師父は『転法輪』の中で「皆さんもご存じのように、羅漢の次元に達すると、どんなことに遭遇しても心にかけず、常人の中のどんなことも全然気にとめず、常ににこにこしています」とおっしゃいました。

 私は常人の考えから抜けようと思いました。動じたのは私ではなく、後天に形成した観念と執着です。このように考え、一生懸命によくない観念を取り除くと、すぐにそこから抜け出すことができました。そして、「責める心」、「不満の心」、「疑う心」も知らないうちになくなりました。

 しかし、理解、寛容と慈悲はまだ足りないのです。それに短気な心もあり、よく心配そうな顔をしてしまいます。

 師父のご慈悲により、私は2009年ニューヨークの国際法会に参加できました。とても良い勉強になりました。神韻芸術団の大法弟子たちと全体の修煉状態を見て、私と彼らとの差はとても大きいと感じました。

 師父は「二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法」の中で、「一部の地区において責任者の心が狭くて・・・・・心がそれほど狭いのであれば、どのように行うのでしょうか?」とおっしゃいました。それを聞いて、私の心が震えました。すぐに自分の問題が分かりました。心が狭くて、容量が足りないのです。だからちょっと何かあると、よく心配そうな顔をします。大法弟子一人ひとりの修煉の道はすべて師父が按配してくださったのです。同修はそれぞれ悟性も違い、法を得た時期も違い、精進の程度も違うので、私は自分の考えで他の人を判断してはいけません。もっと多くの理解と寛容が必要で、慈悲をもって同修に対応すべきです。今、私はもう同修たちの不足ばかりを見るのではなく、皆さんの良いところをよく見るようにしています。皆さんが貴重で、すばらしいと感じられるようになりました。自分の観念が変わるに従って、異なる意見の同修との交流も増えました。同修に何か困ったことがあると、私は関心を持って、助けに行きます。私が変わると、同修たちも変わり、わだかまりが減り、理解と信頼が増えました。

 最近、法を写す時、師父は私に、「同修に同じく対処すべきです。観念を持たずに、弟子たちを一人でも落としてはいけません。どんな時でも皆さんのために考えるべきです」と悟らせてくださいました。

 私は繰り返しこのことを考えて、師父の要求通りに実行しようと決心しました。まず同修のために学法、修煉の良い環境をつくることにおいて努力しようと思います。皆さんのご指摘、ご鞭撻をお願いします。私は無条件に内に向けて探し、早く成熟できるようにしたいと思います。最後に、一緒に師父の「洪吟」を暗唱しましょう。

 実修

 法を学びて法を得る
 比して学び比して修す
 事々対照し
 做すところ到るは是れ修なり

 (大阪法輪大法修煉体験交流会の発表原稿)

 2009年10月6日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/10/1/209284.html

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