■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/10/06/mh061795.html 



内に向けて探し、心性を修め、大法の名に恥じぬ大法弟子になる(二)

文/日本の大法弟子

(明慧日本)

 三、母の病業の関

 私達の家族は3人とも修煉者で、修煉を始めたのは母が一番遅かったのですが、うちでは母が最も精進していると私は思っています。

 母は修煉を始めた翌日の朝、事故に遭いました。事故で右の手首が複雑性骨折になり、骨がずれて肋骨も軽い骨折を負いました。当時、母は修煉を始めたばかりで、病院に行くべきでないと私は思っていますが、入門したばかりなので、自分の考えを無理に母に押しつけてはいけないと分かっていたので、病院に行くかどうかは完全に母に自分で決めさせました。母は病院に行くと言ったので連れて行きました。医者が初めて治療をする時、私から見れば治療とは言えず、ずれた骨を麻酔も使わずに、強行して手でずれた所を戻し、骨のつなぎ目を合わせました。骨折して触ることもできないほど、ひどく腫れていた手首を、なんと医者はそのまま手で矯正しようとしているので、その痛みはどれほどのものか想像できるでしょう。そばで付き添っている私までそれを見て全身に汗をかいたほどでした。私はすぐ母に「忍び難きは忍びうる、行い難きも行ないうる」。(『転法輪』)。「法輪大法は素晴らしい、真、善、忍は素晴らしい」と念じるように言いました。母は絶えず念じました。私もそばで念じていました。同時に、私は自分の下腹部の法輪がものすごい速さで回転しているのを感じました。それは何を意味するのか分かりませんが、きっと良い事に違いないと分かっています。母は手術をしなければならないと言われました。修煉を始めて一週間も経たないうちに手術を受けました。手術後、医者が出した鎮痛剤、消炎薬など、母はなんと一錠も飲まず、看護婦がくれた薬を全部こっそりと隠していました。しかし、回復も、傷口の癒合もかなり早かったのです。母は法輪功を修煉する前、皮膚の癒合がとても遅く、小さい傷口でも膿みがでて、自然に治るのに10日間から半月かかってもなかなか良くならなかったのです。

 手術の当日は冬だったため、とても寒かったのですが、子供を連れて私の母のために法を読んでくれた同修がいました。ここで感謝を申し上げます。

 交通事故の後、しばらく経って、もう1つ大きな関がきました。ある日、私は仕事から帰って家に着いたら、なんと母がベッドで転げ回っていて、ずっと叫んで顔色もとても悪かったのです。父に聞くと、彼らは午後別々に入浴して、父が浴室から出て来た時、すでに母がお腹を押さえてベッドで転げ回っているのに気づいたそうです。あまりの痛さで顔から出て来る汗は、洗面器の水に顔をつけたほどたくさんの汗だったと父が事情を説明してくれた。それを聞いて、私はすぐに座禅して正念を発し始めましたが、正念は全然出ません。目の前で最も親しい身内が苦しんでいて、心が裂けるほど苦しい気持ちが先に出てきて、心ではこれは私に対する試練でもあると分かっていましたが、あまりにも急すぎて、正念は発しても出てきませんでした。私は心を落ち着かせて、母に『転法輪』を読んであげようと思いましたが、やはり心が静められず、全然効果がありません。そこで、母に尊師の説法ビデオを流して見せました。それでも思うようにいかず、何の効き目もありません。なぜならば、私は求めているためです。本来なら「旧勢力からの妨害を否定しなければなりません。これは良い事です、尊師はあなたの業力を取り除いてくれています」などと励まそうとしましたが、母には痛さを耐えることしかできないのを見て、実は難関の中で耐えている同修にとって、このような言葉は本当に残忍で、ただ彼女に負担を増やすだけだと思いました。

 しばらく経てば良くなると思っていましたが、その痛みはなんと20数日、約1ヶ月間も続きました。その上、痛みは毎分毎秒止まりませんでした。しかも食べられない、飲めない、寝られない、横たわることさえできない、ただ座ることしかできなかったのです。そして、母は日に日にやつれて、ガリガリに痩せて、顔色も死人同然でした。そのような彼女を見て、私と父は母に何も言えませんでした。2人も心性の試練を耐えていました。2人とも、母にいかなる圧力も与えませんでしたが、それでも母が耐えていたことは恐らく私達が想像もできないほどと思います。2人は交替で母の世話をして、そばに付き添っていていました。父は私より苦労していました。私の仕事に影響がでないように、土曜日を除いて、ほとんど父が付き添っていました。あの時期、私も仕事が終わると一刻も遅らせずにすぐに家へと急ぎました。夜、母は横たわることができないため、私の下腹部に法輪があるから、母の背中を自分の胸の前に寄りかかるようにしました。よく眠さに我慢できなくて座ったまま寝てしまうときもありました。毎回、母の苦しみのうめき声で目が覚めました。母もできるだけ声を出さないようにしていて、どうしても痛くて我慢できない時に声を出しているのを見て、私はさらに辛かったのです。ある時、父は母に対して「病院に行きましょうか?」と聞きました。私もかつてこのような考えがあって、聞いたことがありました。心性が所定の位置に到達できなければ、無理に我慢することはとても危険である事を分かっているからです。しかし、母はいつも「なぜ病院に行くの、病気もないのに」と返答していました。当時の私の心は、正念が強かったり、心配したり、尊師に母が早く良くなるように求めたり、様々な人心のが表れがありましたが、それらはすべて心性に対する試練でした。

 それから20日間あまり、母の痛みはだんだん間欠になり、少しでも良くなると、私と父は交替で、母の後ろから両脇を支えて、体力をつけるためにテーブルの周りをゆっくりと歩く練習をさせました。さらに良くなって、少しでも自分で動けるようになった時、母は自分で何とか座禅して煉功をしていました。ガリガリやせていたため、力が入らず、手を所定の位置に置けなくても煉功していました。煉功したため、母の回復は想像以上に早かったです。母は尊師と大法を信じる信念によって、乗り越えてきました。その固い意志に私はとても震撼しました。「これは奇跡ではありませんか、1人の常人なら、あまりの痛さに1カ月も食べられず、飲めず、寝られなければ、とっくに死んでいるよ。大法を修煉しているから、大法弟子だから大丈夫だった」と、後になって父は私に言いました。その後、母はこのような痛みがまた何度か出てきましたが、痛む時間がだんだんと短くなっていきました。

 この期間、何人かの同修が来てくれました。ここで、それらの同修の正念による支持に感謝します。

 母はその後、黄疸(おうだん)性肝炎の病業の関がありました。当時、母の全身の皮膚、目玉さえも黄緑になっていました。その他、吐き気、嘔吐、力がないなどの病状もありました。今度は、姉夫婦が毎日仕事帰りに私の家に来たことで、3人に心性に対する試練がありました。姉の夫はウェブ上でこの病気の病状を調べてから、「この病気は早く治療しないと、最後にむくんで、お腹も大きくむくんで、最後に治療ができなくなって死ぬしかない」と、毎晩うちにきて母に話していました。私は全然聞く気がないのであまり覚えていませんが、とにかくとても恐ろしくなることを言われました。

 しかし、言われた病状は母とまったく同じでした。彼は毎日うちに来て母に病院へ行くように迫っていました。母は時には彼の言ったことに心が動じることもありましたが、結局承諾しませんでした。それから、彼は勧めても、迫ってもダメだと見て、今度は私を攻撃し始めました。彼が言ったことはとても聞き苦しく、「あんたはそれでもお母さんの娘と言えるのか、あんたがお母さんを病院へ連れて行かないとお母さんを害していることになる。それでも人間か、お母さんはすでにこんなになっているのに、あんたはまだ大丈夫と言っているなんて、本当に親不孝だ」などと言っていました。以前、他の事でよく心性を守りきれなくて彼と口論になり、後で後悔していたので、今度は、私はできるだけ心性をしっかりと守って、できるだけ彼と衝突しないように、彼に真相を伝えました、しかし、あまり奥深いことは伝えられないし、彼とのやりとりは本当に難しかったです。しかし、いくら言われても私達は心が動じなかったので、彼も仕方がなく、最後に「もし病院に行かなくても、この病気が良くなるのなら、私は法輪功を信じます」と言い残しました。でも、結局良くなっても彼は信じませんでしたが、もう私達の修煉を反対しなくなりました。

 このようにして、母は数回の大きい病業の難関を乗り越えてきました。その過程は、母本人、私と父に対して本当に各方面の心性の試練でありました。でも私の家で起きたこの数回の大きな事があって、私達は大法に対していっそう固く信じるようになりました。同時に、修煉は本当に非常に厳粛、非常に厳粛、非常に厳粛なことだと感じさせられました。私は、まだまだたくさんの人心と執着心を取り除いていません。自分が精進しない時に、私はよく尊師の『精進要旨二』「妨害を排除せよ」の中の説法「わたしは一人の学習者にも落ちていってほしくはありませんが、ただし、基準に達していない弟子も決して欲しくはないのです」を思い出します。私は最後の大審判の時に不合格な弟子とらないよう、精進して、神の道中で奮い立って追いつきます。

 次元と認識がとても限られているため、同修に対してまだ参考にならないかもしれません。妥当でない所があれば慈悲にご指摘お願い申し上げます。

 尊師、ありがとうございます。皆さん、ありがとうございます。

 (完)

 (大阪法輪大法修煉体験交流会の発表原稿)

 2009年10月6日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/10/1/209286.html

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