■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/10/07/mh080048.html 



虚栄心を取り除く

(明慧日本)私は若い女性の修煉者で、容姿が良いため、常に同僚や友達の褒め言葉を耳にします。それで私は比較的、体面を重んじるようになり、この体面を重んじるという執着は、常に自分の行為を支配していました。私はいつもこのことに悩んでおり、しかし、終始この執着を根本的に解決することはできませんでした。

 このような称賛の言葉にすでに「慣れっこ」になり、毎回褒められる度に、こらえきれず密に喜んでいました。自分の美しさは自分が大法を修めてからであり、常人の美しさとは違い、常人がいくら美しいといっても常人であり、修煉者と同列に論じるわけにはいかないと思います。こんな見たところ小さい歓喜心が同様に強大な執着を引き起こすことがあります。私は外見を気にするため、毎日出勤する時、服装、化粧に多くの時間を浪費し、精一杯おしゃれをしてからやっと出かけます。目的は人に自分の美しさを認めてもらいたいからです。

 この前、男性の同修から私に好感を持っていると告白されました。この同修は着実に修煉していると多くの同修に認められていました。同修は私が美しいだけでなく、とても美しく装おい、品位があり、私の姿がときに脳裏に浮かんできて、自分の修煉に妨害をもたらすと言いました。私はこの話を聞いて、すぐに同修に注意をしてあげず、自分に魅力があると心から喜んでいたのです。

 今この文章を書きながらやっと悟りました。自分の周囲のすべてのことが自分の修煉状態に反映しているのです。色欲の心を取り除かなければ自分自身を妨害するばかりでなく、さらに同修にも影響を与え、この虚栄心がもたらす色魔の情の悪魔は本当に恐ろしいものです。面子を重んじる心は虚栄心を引き起こすばかりでなく、もっと根本的な色心を引き起こしやすいのです。

 周りの多くの女性の同僚はブランドに命を賭け、常に陰でお互いに張り合っています。こんな良くない気風の下で、私も自然にいくらかの影響を受けました。自分があまりにも質素であると他人に笑われると思い、こんな虚栄心に駆り立てられ、私もますますブランドを重んじるようになり、給料の多くの部分をブランド品に使い、時には足りなくなりました。

 私は自分の根本的な執着を取り除かないままに、人心はさらに膨らんでいきました。この間に師父は同修の口を借りて何回も悟らせてくださいましたが、私は正しく悟らず、常に自分のやり方を通していました。この時自分はブランドに執着し、常人のいわゆる幸せな生活を過ごしていたのです。師父が要求された三つのことは任務を果たす形だけで対応し、そのため貴重な時間を少なからず浪費していました。

 改めてこの間の修煉の道を考えてみると、自分は根本的な執着をまだ取り除いていませんでした。それはすなわち虚栄心と関係のある、名、利、情を重んじる心でした。これはどんなに大きな隙間なのか、これは私にとって本当に「目を覚ます」ことでした。

 ここまで書いてから、私は突然師父の法を思い出しました。「名を為(と)る者は氣(こころ)恨むこと、終生利を為る者は六親を識らず、情を為る者は自ら煩悩を尋ね、苦しく闘い相って業を造ること一生」(『洪吟』「人を做す」) 今回この文章を書きながら、自分の心の奥深くに隠れていた顕示心も発見し、根本的に取り除き、解体し、自分の心を清浄にし、正さなければなりません。師父が要求された三つのことをもっとよく行い、自分の一思一念、一言一行を正しく修め、勇猛邁進して、自分が誓った先史の大願を成し遂げ、そして師父に従って円満成就いたします。

 次元が限られており、間違ったところは同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

  合掌! 

  2009年10月7日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/10/4/209644.html

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