嫉妬心を無くす
文/河北省大法弟子
(明慧日本)先日、私は静功していた時に、頭の中にいろいろな考えが浮かんできて、心を鎮めることができませんでした。昼間の出来事が繰り返し現れ、自分に嫉妬心があったと分かりました。私は13年間学法、煉功しても嫉妬心のことに気付きませんでしたが、そんなにも強烈に存在しているとやっとわかりました。
問題は、私の夫に対する観念と恨む心にあります。結婚してから33年も経ちましたが、私たちの家庭は平和な日々は殆どありませんでした。いつも話がかみ合わず、生活習慣、観念も違いました。夫は十数年来ずっと自分の給料を独り占めして全部小遣いにしたうえ、家事も子育ても手伝わず、私に対しる横暴な態度はかなりきついものでした。私は何回も離婚を要求しましたが、夫は同意しないので、ずっと離婚さえもできませんでした。私は夫に対して恨み、軽蔑し、相手にせず、毎日不平に思い、身体もぼろぼろになりました。
1995年5月、私は幸運にも大法の修煉を始め、学法、煉功を通じてたくさんの病がなくなり、情緒が安定し身体もよくなりました。しかし、夫にたいする恨みの心はなくなりませんでした。学法を通じて、多分私は前世で夫にこのように対処したため、今は反対になったのだと思い我慢しましたが、心には恨みの気持がずっとありました。夫が大声でどなったりした時に、私はやはり我慢せずに口答えし、心では離婚したいという気持ちがずっと強くなりました。
先日、晩御飯の後に夫はいつものように、皿をテーブルに置いたまま、爪楊枝をとって後ろにもたれて気楽に休みました。私はこの様子を見てまた恨みの心が生じ、「こんな生活はいいね、ホテルよりも楽だな。ホテルでは金を払うのに、このような客ならばホテルも拒否できるかもしれない。しかし私はいつまでしなければならないのか? もし私と交替したらどうなるのか?」といろいろ考えました。観念を変えて考えてみれば、私の考えはよくありません。私は修煉者なのに常人と代わってどうするのか? 常人が要るものは我々は要らない、常人が羨ましいと思うなら私は常人ではないかと、もう一つの念が現れました。
夜に静功をしているときに、またこのことが浮かんできました。急に嫉妬心と言う言葉が現れて、おや、これは恨みの心ではなく強烈な嫉妬心だったと分かりました。夫が家にただで住み、飲み食いすることに嫉妬し、娘を育てることも何もしないのに、娘の結婚式に主役として出席したことを嫉妬し、彼が何もしないのに世帯主になることに嫉妬し、勝手に私を罵り、誰の前でも構わず怒ることを嫉妬しました。いつも私は修煉者でなければ絶対に喧嘩してやるのにと思いました。
真剣に考えて、怨恨心、嫉妬心のほかにまだ顕示心があります。自分は強い、夫ができることは私でもできる。他の女性より強くひとりでも良くなる・・・と思い込んでいました。
この観念はすべて常人の考えではないでしょうか? 内に向かって探したときに、自分でもびっくりしました。13年来修煉したものの、自分はなにをしてきたのか、本当に大法弟子と言えるのでしょうか、真を修めていたでしょうか。嫉妬心、怨恨の心、不平不満、顕示心を無くさずに、私は常人から脱出できるでしょうか、師父について家に帰れるでしょうか?
私の不平不満、怨恨や嫉妬心はすべて外に向けて探す行為であり、内に向けていなかったと今やっと分かりました。いつも家庭の問題は夫が悪く、私はよい方で、修煉者でなければとっくに離婚してやると思っていることは、これは常人の心ではありませんか?
13年も修煉してしながら、ずっと常人の心をなくさずに常人の観念の中でうろうろして、常人の理で問題を見ていました。本当に情けないです、私はずっと常人のレベルに留まっていいでしょうか? いいえ、私はそれを無くして、修煉の道に勇猛精進し、私は合格した大法弟子になり、師父について家に帰りたいのです。
ずっと存在している嫉妬心を探してから、私はとても気が楽になり、気持ちよく、夫を見ても敵意と怨恨の心を持たなくなりました。
2009年10月13日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/10/13/210195p.html)
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